樹海の秘密
「君の中にいるのは、かつて樹海の中で自殺を試みた人だったんだ。だけど、彼には自殺をする動機がなかった。だから、実際には彼は最初、行方不明とされて、捜索願が出されたんです。でも、そのうちに今度は、彼の存在を知っている人がどんどん減ってきた。本当は知っているはずの人の意識や記憶から消えていったんです。もっとも、彼も自殺をする前から、記憶の欠落を感じていたようなんですが、そのことと、まわりが彼を忘れてくるという事実とがどのように結び付いてくるかは謎ですね」
館長の話を聞いていると、何となく思い出してきた気がした。
「高橋敦……」
思わず、門脇はその名前を口にした。
「そう、高橋敦。君の中にいる男の名前だよ。彼はのぞみ出版で働いていて、樹海について取材を試みようとしていたようなんだ。そして、彼はなぜかいきなり自殺した。本人の意思とはまったくの裏腹にだよ。ひょっとすると彼は、自分が死んでも、誰かの中に乗り移ることができることを知っていたのかも知れない。だから、樹海に興味を持ち、誰も気づかないところに気づいたことで、人知れず、君の中に入り込み、人の記憶や意識の中から、自分を抹殺することができたのかも知れないね」
「そんな夢のような話」
と、門脇は呟いたが、
「そんな夢のような話であっても、今君は、高橋敦と言っただろう? 君には分かっているんだよ」
「私が分かっているというのは、分かる気がしますが、そのことをどうして館長がご存じなんですか? 館長も何か樹海やこの街の何かに思い入れがあり、調べていたということなんでしょうか?」
「それは言えると思うんだが、それよりも、僕が思っているのは、許せない事実の多さからなんだ。それが、例の三人の男たちが殺し合ったという事実に繋がって行くことになるんだ」
門脇は固唾を飲んで聞いていた。
「でも、自殺を考える人がこの樹海を訪れるのは、この樹海にくれば、苦しまずに死ねるという意識があるようなんだよ。どこからそんなウワサが出ているのか分からないけど、自殺を考えた人だけが知る迷信のようなんだ」
「夢にでも見るんですかね?」
「そうかも知れない。でも、樹海に来て死を選んだ人は、死ぬわけではなく、誰かの中で生きるのだとすれば、本当の苦しみというのはないのかも知れないね」
その話を聞いていると、まるで自殺を奨励しているようにも聞こえ、少し納得がいかない気がした。自殺しても誰かの中で生きられるのであれば、それはそれでいいのだろうが、入り込まれた人は溜まったものではない。門脇本人は、それほど嫌な気はしていないので気にはならないが、他の人は嫌な気分がすることだろう。何しろ、自分が表に出ている時、入り込んできた人も表に出るのだ。本当の自分をアピールできる機会が減るのだから、嫌な気分にならないことはないはずだ。
「樹海という場所に、死への思いを封じ込めて、楽になりたいという思いを抱くのかも知れない」
「この間、首を吊った女性がいたけど、あの人はあの場所で直接命を絶ったんですよね。あの場所でなければいけないなかったのかな?」
と門脇がいうと、
「あの人は、実はすでに誰かが入り込んでいたんですよ。入り込んだ人がいたおかげで、何とか自殺を思いとどまってきたんですが、どんどん追い詰められてくるうちに、入り込んだ人が表に出ることもなくなってきた。そのために、彼女の気持ちが最高潮になって、結局命を絶ったんですね。彼女としては、最初からあの場所で首を吊ることをずっと考えていたんでしょう。言い方は変ですが、彼女にとっての『大願成就』というところですね」
「あれを大願成就と言われると、何と答えていいのか分からなくなりますね」
苦笑いをしながら、門脇は答えた。
門脇は次の瞬間我に返ると、
「僕の中に入り込んでいる人は、樹海の中で自殺を試みた人だって言っていましたが、どんな人だったんでしょうね。彼は自分が表に出ている間も表にいるというのは何となく分かるのですが、その人がどういう人で何を考えているかなどということは分からないんですよ。それが気になってしまいます」
「その人はさっきも言ったように、のぞみ印刷で樹海について意識していた人なんだけど、彼は最後まで知ることはなかった。急に自殺したくなったのは、彼が樹海のことを知ろうとしたからに違いはないんだけど、樹海が知られたくないという思いから、彼を自殺に追い込むような意識を植え込んだわけではないんです。彼の自殺は樹海が絡んでいるのは間違いないんですが、自殺は彼にとって悪いことではなかった。その証拠に、今彼が乗り移ったあなたが、樹海や過去の事件について調べているでしょう? 彼は自分が何も知らずに自分の身体の中で生きていくよりも、誰かの中に入ってでも、知らなければいけないことを知りたいと思ったんでしょうね」
「そんなことって……」
門脇は、想像を絶する発想が、館長の口から語られていて、その内容を理解しかねているという今の自分の立場に、正直戸惑っていた。
「そうだよね。門脇君からすれば、何が自分の頭の中で起こっているのか分からないし、自分の中にいるであろう男性の気持ちを分からないと思っているんでしょうね。その気持ちはよく分かります。でも、あなたはその事実を分かろうとしているじゃないですか。あなたはそれを自分の中にいる男性が、そうさせているだけだって思っているのかも知れませんが、そうではないんです。もっと言えば、彼の魂があなたの身体に入ってきたというのも、偶然ではないんですよ。内臓移植のように、誰かの身体に入るというのは、適性があるんですよ。もし、適性がそぐわなければ、薬のように副作用を起こすことになるんですよ」
門脇は、どんどん飛躍するその話にどう反応していいのか、まだまだ戸惑っていた。館長は続けた。
「その副作用を引き起こした状況は、あなたにも想像つくと思いますよ」
「どういうことですか?」
「ほら、さっきも話しに出た樹海の中で首吊り自殺をした女性。彼女は気の毒だったんですが、乗り移った方の女性と、適性が合ってなかったんですね。だから、副作用を起こして、死にたくなった。それで樹海の中で自殺をするという。他の人と違うパターンが生まれたわけなんです」
「あっ」
門脇はその言葉を聞いて、少し納得できた気がした。
「ところで、問題にしていた過去の事件の中で、三人のチンピラが殺し合ったという事件、これにも、以前自殺した人が絡んでいるというのが、最近私には分かった気がするんです」
「どういうことなんですか?」
「あの三人は、いろいろ悪いことをしてきた連中で、私も生きる価値のない人間がいるとすれば、あいつらのような人間だって思うんですが、あいつらが殺し合ったのは、覚醒剤の中毒によって、お互いが疑心暗鬼に襲われたからだというのが一般的に言われている事実のようになっていますが、それだけではないんです」
「何か、他の力が働いていると?」