樹海の秘密
「理由もなく命を捨てた男」
だとすると、門脇の中にいる人と、直接話をしてみたいような気がしていた。
門脇が町長の下で働くようになったのは、ひょっとすると、そんな町長の気持ちを分かっていて、
「この人だったら、自分の気持ちを少しは分かってくれるかも知れないな」
と感じたからなのかも知れない。
その思いは門脇には分からないだろう。
ただ、町長が気になっているのは、
――どうして自殺したその人が、門脇という人間に乗り移ったのだろう?
という思いだった。
今は、門脇の中に誰かがいるという意識を持っているが、最初はすべてが門脇だと思って接してきた。
つまりは、門脇本人がどんな人間なのか分からない。それだけ、町長は自分が見えているのは、
――二人で一人――
という思いで見ているということだ。
最初一人だと思っていた相手に二人を感じても、まったく違いを感じないことから、そう思ったのだが、本当であれば、もし誰かの中にもう一人いたとすれば、表に出るのは一人だけで、もう一人は眠っているのか、後ろに隠れているのか、表には出てきていないように思える。
まるで「大どんでん返し」のようである。
歌舞伎の舞台などで、上下、あるいは表と裏でまったく違った舞台を作っておいて、紐を引っ張ることで、急に場面が一変するという、あの「大どんでん返し」のごとくではないか。
――だから、門脇の中に誰がいるか分からないんだ――
と感じたが、逆を言えば、
――門脇の中にいる人にとって、自分に気づかれることは都合が悪いという思いから、わざと二人同時に表に出るように仕向けたのかも知れない――
とも感じた。
しかし、もしそうであれば、門脇の中にもう一人がいるという思いを感じやすくなる危険性があるのではないかと思った。
一人一人が表に出るのであれば、
「あいつは二重人格だ」
として、怪しまれることはないだろうが、人間性が急に変わってしまうようなのに、二重人格というイメージではない様子を見ると、町長のような発想をする人も出るかも知れないと感じた。
特に町長は、自殺をする人は、自分の意志とは関係なく自殺する人もいて、その原因を「死神」のせいとして考えることのできるような元刑事としては、まわりに対して柔軟な考え方を持てる人である。それを思うと、町長と接するには、他の人を相手にするようなわけにはいかないことを分かっておく必要があるのだろう。
門脇は、ある空き地に注目していた。そこは昔廃工場があり、そこでは三人のチンピラが殺し合ったという曰くのある場所だった。
新聞記事を見つけた門脇は、しばらくその記事から目を離せなかった。記事自体は数行の短いもので、普通なら見逃すほどのものであるが、明らかに不気味で不可解な要素を秘めていたのだ。
その時の殺し合いが目に浮かんでくるようだ。
――自分の中にいる誰かが、この場面を見ていたような気がするくらいだ――
けたたましい金属音とともに、それぞれをなじる声が聞こえる。それぞれにすべてを相手のせいにして、自分は関係ないと訴えている。
三人の男たちは、必要以上に汗を掻いている。いくら何かに焦っていたとしても、ここまで汗が出るものかと、思うくらいだった。
そのうちの一人は、顔が真っ赤で、目が血走っている。もう一人は真っ青な顔に、目の下にはクマができている。もう一人は、半分放心状態で、叫んではいるが、心ここにあらずという雰囲気で、この男が一番、この場にふさわしくない様子だった。
しかし、最後のこの男が、この状況では一番現場にふさわしかったのだ。三人とも、覚醒剤中毒で、それぞれの症状が時間差で出ているようだ。禁断症状のやつもいれば、これから禁断症状に入る寸前のやつもいる。そして、放心状態のやつは、今まさに、覚醒剤が効いている状態だった。
最後の覚醒剤が効いている男であっても、まわりの異様な雰囲気から言い知れ分不安や猜疑心が浮かんでくるのは同じだった。最後の放心状態は、普段の気持ちよさではなく、死後の世界を想像しているかのようで、後の二人の異様な雰囲気に、苛立っていた。
だから、殺し合いに参加もしたのだし、自分が今まで行ってきた悪行が走馬灯のように巡っていたのかも知れない。
――こんな修羅場と言える場面、他人事としてしか見ることはできないよな――
と思っていた。
その場にいなかったことを幸運だと思い、もし巻き込まれていたら、間違いなく殺されていたことが分かっているだけに恐ろしい。
――もし、この場に何も知らない第三者が現れたら、殺し合いなんか起こらなかっただろうな――
と思った。
なぜなら、彼らは保身のためだけに動いている、他の人はどうでもいいのだ。
同じ立場の三人だからこそ、三人だけになった時に、お互いへの猜疑心と疑心暗鬼から殺し合ったのであって、ここに第三者がいれば、彼らは自分たちが同じ立場であることを思い出し、その第三者を葬ることに一致団結することだろう。
何しろ悪知恵だけでここまで生き残ってきた連中だ。これだけの悪いことをしてきているのに、今まで生き残ってこれたのは、それなりの知恵と、要領のよさが原因に違いない。覚醒剤が効いている時、頭の回転が天才的に早くなるのだろう。悪いことへの知恵はどんなに立派な博士であっても、叶わないほどではないかと思えるほどではないと、こんなに危ない橋を渡ることなどできないだろう。
それだけに反動も大きく、相手の頭の良さも認めることで、自分の保身が危うくなると思うと、猜疑心も最高潮になるというものだ。
――こいつら、つくづく救えないやつらだ――
と、殺し合いの場面で声を掛けてやりたいくらいだった。
どんな惨劇であっても、こんな連中が殺し合っているのであれば、見ていれば爽快な気分になってくるかも知れない。
ただ、その時は完全に感覚がマヒしていなければいけないので、自分も覚醒剤を打っていなければ、そんな気分になることはできないだろう。
――覚醒剤に手を出してでも、あいつらの殺し合う姿を、爽快な気分で見てみたい――
と、過去の新聞記事を読みながら、門脇は感じた。
覚醒剤がどんなものなのか分からずに感じているので、その考えは、実に浅はかに違いない。
それでも、門脇の憎しみは、やつらに向けられている。
――俺はどうして、こいつらをこんなに恨まなければいけないんだ。自殺したことに関係あるのだろうか?
と考えた。
自殺してでも、やつらの殺し合いを爽快に感じたいと思ったのではないかと想像すると、十五年以上も前の事件が、まるで昨日のことのように思えてくるから不思議だった。
――俺は、自分の中にいる男に、同情的になっているのは間違いないようだ――
と感じられた。
しかも、何かを考えている時でも、どっちの自分が考えているのか分からない時がある。やはり、二人同時に表に出てきているという証拠ではないだろうか。
――やつらは、どうして殺し合いなんかしたんだろう?