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樹海の秘密

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――どうして、記憶がまったくないんだろう?
 という今まで持ったことのない意識が初めて湧いてきたことで、時間が経つにつれて、その思いはどんどん強くなってきた。
 親の記憶も、学生時代の友達の記憶もなかった。なぜそんな自分が町議会の中にいて、町長の下で働きながら、この街で起こった過去の事件を探ろうとしているのか、自分でもまったく分かっていない。
――前世という言葉があるが、僕の少年時代から学生時代にかけてというのは、前世のようなものだったのかも知れない――
 とも感じた。
――いや、そもそも、過去なんて本当にあるのだろうか? 他の人には過去の記憶が存在しているが、その記憶が本当に間違いないものだということを誰が証明できるというのだろうか?
 そんな考えも浮かんだ。
 いろいろな発想が頭の中を走馬灯のように駆け巡ったが、一つ言えることは、自分が他の人とはまったく違った思いを抱いているということだった。
 しかし、人間なのだから、本能であったり、潜在意識のようなものは、他の人と同じなのではないだろうか。子供の頃や学生時代の記憶がなくとも、他の人と遜色なく仕事も生活もできているのだから、過去の記憶というのは、それほど大切なものなのではないという考えも成り立つというものだ。
 門脇は、意識して思い出そうとすると、過去の記憶がないのだが、眠っていて夢を見る時、時々過去の夢を見ることがある。
――だから、普段意識して思い出そうとして思い出せなくても、不思議はないと思ったんじゃないかな?
 と感じた。
 その時の夢に出てきた意識は、過去のことだけではなく、今の自分の意識でもあった。ただ、それは門脇本人ではなく、他の誰かの夢なのだが、夢の中では、
――自分のこと――
 としての意識に違和感はなかった。
 それは、夢に出てくる過去の記憶の延長線上にいる人が夢に出てきているからだ。
 つまり、夢に出てきた記憶を持っているであろう人間になり切っているということであった。
 その人は、どうやらもうこの世にはいないようだ。
――自殺したのか?
 と考えたが、どうにも自殺をした理由が思いつかない。
 どうして自殺だといきなり感じたのか分からないが、ゆっくりと考えていくうちに、誰かに殺されたわけでも、事故に遭ったわけでも、病気で亡くなったというわけでもない。もし、そのどれかだとすると、明らかに違和感があるのだ。
 しかし、自殺ということになると、違和感がなかった。ただ、自殺するにしても、理由が見つからない。
――自分で自殺をしたという意識がないうちに死んでしまったのかも知れない――
 そう思うと、未練があったのではないかと思う。
 だが、未練は感じられない。自殺する理由がなく、自殺が本人の意思ではなかったとしても、そこに覚悟は存在していたということなのだろう。
 覚悟というのは、死ぬことへの覚悟であるが、覚悟の種類について考えてみた。
――死ぬことの怖さは、その時の痛みや苦しみなのか、それとも、これからずっと生きていくであろう将来を、自らが断ってしまうことへの思いなのかで、「覚悟」というものも変わってくる――
 という思いである。
 目先の苦しみとして死ぬまでの思いに耐えることも、確かに覚悟は必要であるが、やはり、その後の人生を自らが切断することへの思いを覚悟というのかも知れない。
 それは、
――死にたくない――
 という思いであり、その思いが未練であり、未練を断ち切ることが覚悟になるというものだ。
 だが、夢に出てきた自分は自殺をしたのだが、覚悟も未練も何もない。普通なら、覚悟か未練かのどちらかがあってしかるべきだろう。死んでしまった人の考えたことを聴くのは不可能なことだが、もしあの世でも感情を持つことができるのだとすれば、どちらかがあるに違いなかった。
 自殺をするのには、何か理由があるはずだ。
 死ぬまでの苦しみ、将来を犠牲にしてまでも、今の苦しみから逃れたいという思いと比較しても、死を選んでしまうのだから、よほどの理由のはずである。
――俺は自殺したんだ――
 という思いは強くあるのだが、自殺するまでの気持ち、そして、自殺した後のぽっかりと空いてしまった意識、死んでからも、しばらくの間、考える意識は存在していたのだった。
――人って、そう簡単に死ぬことはできないんだ――
 その夢の中で一番強く感じた思いだった。
 自分が自殺をする前のことを考えていた。
 自分は、編集者に勤めていて、事件の記事を書いていた。
 それも、過去に起こった事件の記事だったように思うが、事件の記事を書いているうちに、事件以外に興味を持ったのだ。
 それが樹海だった。
 その樹海は、この街に存在している樹海であって、富士の樹海のように、自殺の名所というわけではなく、別に死体が発見されたりしたわけでもなかった。そのためこの街の人間以外は誰も知らないところであった。
――どうして、そんな樹海になんか興味を持ったのだろう?
 と思っていると、すぐそのあとに、首吊り自殺が発見された。
 元々樹海というのは、入り込んだら出られないという意味での「自殺の名所」なのだが、この樹海は入り込んでも出られないということはまずない。ここは樹海と言っても、森としては大きいが、樹海と言えるほどの大きさがあるのかどうか、その定義が分からなかった。しかし、地元の人が樹海と言っているのだから、樹海なのだろうと思っている。
 地元の人でも、樹海があること自体、意識もしていない。しかも、首吊り自殺をわざわざ樹海しなくてもいいという思いも確かにあった。何か樹海でしなければいけない理由があったのだろうか。
 その人の遺書には、
「私は二回目の死を迎えます」
 という内容の言葉が記されていた。
 まったくの意味不明だったが、なぜか夢の中では、その理由が分かるような気がした。
「いや、俺だから分かるんだ」
 という思いである。
 そう思うと、自分が自殺をした場所がどこなのか、分かる気がした。
「そうだ、俺も樹海で自殺したんだ」
 と考えた。
 そうなれば、
「私は、二回目の死を迎えます」
 という言葉の意味が分かった気がした。
 門脇は、その時に死んだ人の生まれ変わりなのかも知れないと思った。
 樹海で死ぬということは、二度目の人生を、まったく別の人間が歩んでいるということである。かなり突飛な発想だが、自分の過去の記憶がないということの理由としては信憑性がある。
――記憶を思い出せないのではなく、記憶自体が物理的にないのだ――
 という理屈を納得させるには、
――自分が誰かの生まれ変わりだ――
 という発想をするのが一番いいに決まっている。
――どうしてそのことに気づかなかったのだろう?
 後から考えると、何とでも言えるものだとはよく言われるが、まさしくその通り、まったく狂ってしまった歯車も、一つが噛み合えば、すべてがうまく回転するということは、えてしてあるものだ。
 すべてが一つの結論に向かって結びついている時というのは、爽快なものなのだが、この時の門脇は、夢の中とはいえ、
――知らぬが仏という言葉もあるよな――
 と感じていた。
作品名:樹海の秘密 作家名:森本晃次