樹海の秘密
「町長は、何かを隠している」
と、館長は思っていた。
町長は確かに警察を辞めて、政治の世界に入ったことで成功した。しかし、あまりにも出世が都合よすぎる気がしていた。
警察を辞める時、ちょうど政治の世界の人と、町長は繋がりを持った。誰が推薦したのか分からない状態で、町長はその政治家の人のバックボーンを使い、町長選挙でも票を伸ばした。
選挙では圧勝に近い得票だった。元町長も立候補していたが、選挙運動中に元町長のスキャンダルが明るみに出たのは、得票を伸ばすきっかけだった。
「こんなに都合のいいタイミングもないものだ」
と、館長は疑っていた。
しかし、しょせんは田舎町での選挙、そんな疑いを誰も持つことはなかった。
――クリーンが一番――
というイメージが田舎の人にはあるのだ。
たとえその裏にどんな暗躍があっても、そんなことを気にする人もいない。
ただ、権力を持っている人が自分の権力を脅かされるのだけは危惧することだろう。そのあたりも裏で研究している人がいて、町長にアドバイスしていた。その連中からすれば、是が非でも、
「彼には町長になってもらわなければ」
という思惑があったのだろう。
そんなことを画策するのは、組の連中しかなかった。昔からこの土地に土台を持っていて、政治家とも水面下で繋がっている。そのため、自分たちのいうことを聞くような人を町長に推すのは当たり前だ。
町長は元警察官である。
ということは、警察官時代から、組の連中と画策があったのかも知れない、
ひょっとすると、ガサ入れや、内偵がある場合など、警察内部から情報が流れていないと、一斉検挙に繋がって、とっくに組は潰れていたかも知れないのに、今でも生き残っているということは、町長の力が働いていたという憶測は、憶測の域を出たとしても、それは当然のことだった。
町長は、自分の腹心として採用した門脇が、十五年前の事件を調べているというのが気になっていた。
しかも、それを隠すこともなく、町長に話した。さらに、その話は館長を通してのことだった。
――あの男、話をするのに、館長を通したということは、私が怖いと思っているからなのか、それとも、館長にも知っておいてもらいたいという意識なんか、侮ることのできないやつだ――
と感じた。
町長を怖いと感じたとすれば、それは町長が裏でやくざと繋がっているということを知っているということであり、館長に話したというのは、館長が町長と同じ警察出身ということを知っていて、わざと話をしたのだと考えてしまう。
町長が、裏でやくざと繋がっているというのは、誰も知らないはずだ。町長が警察関係からの転身だということは知っていても、館長がどこの出身かなどということを知るはずもない。それを考えると、
――私の考えすぎか?
とは思ったが、人間権力を持ちすぎると、どうしても猜疑心が強くなり、しかも、いつ裏切られるか分からない連中が後ろにいるという覚悟をしているつもりではいるが、まさか前からも自分を脅かす相手が現れるなど、想像もしていなかった。
――裏に手をまわして、やつを始末してもらおうか?
とも感じたが、やくざというのは、根拠がないと動かない。
特に町長と自分たちが結託しているということが露呈すると、町長と心中することになり、そんなことは許されなかった。
特に、隣町に中央から強力な力を持った別の組が張り出してきているので、今表に出ることはご法度だったのだ。
町長も、そのことは理解している。したがって、あまり目立つことはできないのだ。下手をすると、秘密裏に消されるかも知れないという思いもあり、この先のことを思うと、気分的にはピリピリもしていた。
門脇は、記憶を一部失くしていた。そのことを門脇本人は意識していない。たまに自分の知らない記憶がよみがえってくることがあったが、それをデジャブだと思い、自分の存在意義について、あまり考えたことはなかった。
町議会の呑み会で、先輩議員から、子供の頃や、学生時代のことを聞かれて、
――あれ? どんな過去だったっけ?
と返事に困ってしまったことがあった。
そういえば、過去のことを改めて思い出したりしたことがなかった。その時は、
「どうだったんだろう? 記憶にはないんだけど」
と言ったが、
「えっ? 覚えていないの?」
「ええ、あらためて思い出そうとすると、記憶にないんです」
というと、先輩議員はさらに驚いて、
「今まで、過去のことを思い出そうとしたことなかったの? それとも、以前は過去のことは思い出せたけど、今は思い出せないということなの?」
と聞かれた。
どちらにしても、尋常ではないことだ。
過去を思い返してみたことのない人などいないと思っているし、以前は思い出せて今が思い出せないのであれば、それは、痴呆症か記憶喪失のどちらかである。もし、後者であったとすれば、病院に行かなければいけないことだろう。
しかし、門脇は、
「そうですね。過去のことを思い出そうという気になったことがなかったのかも知れませんね」
と答えた。
先輩議員は、そっちの方が意外だった。
記憶喪失や痴呆症であれば、病気なのかも知れないが、治療すれば治るかも知れない。しかし、最初から思い出すことがなく、そのため、過去の記憶がすぐに出てこないのであれば、病気ではなく、その人の性格上の問題だ。これからも付き合っていくのだから、自分の中での想定していなかった性格の人を相手にするということなのだから、どう接していいのか分からなくなってしまう。
「じゃあ、ゆっくりと思い出してみるといいですよ」
と、先輩議員はその場を立ち去ろうとしたが、
「いえ、きっと思い出すことはできないと思います」
「どうしてなんですか?」
「僕が過去のことを思い出そうとしなかった理由は、本当に過去の記憶が頭の中にないからではないかと思うんです。記憶喪失のように、一時的なものだったり、半永久的なものであっても、実際には過去の記憶というのはどこかに存在していて、それを思い出すかどうかというところでの問題ですよね。でも、僕の場合は、本当に過去の記憶がないことから、思い出すという気持ちにならなかったんじゃないかって思うんです」
「なるほど、一理はあるけど、あまりにも発想が突飛すぎてついていけないところがありますね。正直、門脇君の性格が僕にはまったく理解できない」
最初は、過去のことをどうして自分が思い出そうとしなかったのか、分からなかった。というよりも、過去のことを思い出すのが普通だという発想が、門脇にはなかったのだ。しかし、先輩議員と話しているうちに、次第に自分がどうして思い出そうとしなかったのかということが理論立てて、発想できるようになった。相手の質問に、今だったら何とか答えられるかも知れない。
しかし、過去の記憶が残っていない人間なんているのだろうか? 記憶喪失の人であれば、記憶装置から引き出せるかどうかという手段の問題で、最初から格納されているというのは、大前提だったのだ。
その時は、それ以上、過去の記憶の話題に触れることはなかった。しかし、門脇の意識は、