樹海の秘密
「俺には二つの理由から、この自殺を普通には納得できないんだ」
「どういうことですか?」
「まず一つは、この人には子供がいるんだろう? しかもお父さんがいなくて、自分で育てている子供だ」
「ええ」
「そんな子供を一人残して、簡単に自殺をしようと思うものなのか?」
「ええ、それは僕も考えましたけど、記憶を失っている期間が半年間あって、急に思い出したことで、忌まわしい思いが一番に来てしまった。それにより、記憶が戻ったとしても、意識の中は異常な状態のままだったら、突発的に自殺を思い立っても、無理もないんじゃないですか?」
「確かにその通りで、俺もそう思ったんだが、それにしては遺書まで残しているんだぞ。突発的だと言えるのか?」
「そうですね、遺書に関しては納得できないところがありますね。じゃあ、もう一つはなんですか?」
「自殺した場所だよ。どうしてわざわざ自宅から離れたあの場所を選んだのかと思ってね。確かに自殺する場所を選ぶのは、なるべく家から遠いところで死にたいと思ったとしても無理もないとは思うけど、あの奥さんと自殺した場所に何か関連性は見つかったのかい?」
「いいえ、何も見つかっていません」
「そうだろう。以前住んでいたとか、知り合いや親せきがいるわけでもない。あの場所にどんな意味があるのかというのを考えると、どうにも気になるんだよ」
「そうですね。でも、さっきからの先輩の表情は少し変ですよ。確かにやりきれない事件の結末だけど、先輩には、何か他に考えていることがあるような気がしているのは、気のせいでしょうか?」
「気のせいではないさ。俺は、ここの管轄の事件を少し探してみたんだ。すると数日前に、この近くの廃工場で、三人の男たちが、お互いを殺し合ったというこちらも不思議な事件があったんだ」
「その事件と奥さんの自殺が何か結びついていると?」
「ああ、そうだ。そして、俺はそのことを考えていると、奥さんが本当に自殺しようと思って自殺したのかどうか、そのあたりも気になってきた」
「でも、先輩はさっき、遺書があったことを指摘したではないですか。遺書があったんだから、自殺に疑問を持つというのは、矛盾していませんか?」
「そうだな。矛盾しているかも知れない。しかし、この事件は矛盾が多すぎるような気がする。不思議なことや理解不能なことは、ことごとく、この事件の矛盾を引っ張り出しているように思えてならないんだ」
どんなにここで話をしても、すでに奥さんの事件は、「自殺」で片づけられていて、暴行事件の方も捜査本部が閉鎖されたこともあって、廃工場で死んだ三人が関係しているという意見は、机上の空論でしかなかった。
さらに現実的に考えにくいことも多いので、誰も信じてはくれないだろう。実際に暴行事件と自殺に関わっている二人でも、決定的な矛盾を突き崩すことはできない。それに廃工場での事件は完全に管轄外なのだ。よほどこの二つを結びつける証拠でも見つからないと何もできないのだ。二人はやりきれない気持ちを抱きつつ、警察の限界を感じずにはいられなかった。
ちょうどその頃から、廃工場の近くで自殺者が多発していた。
その共通点は、そのほとんどが若い女性で、自殺の原因については、納得のいかないものも多かった。
中には腕に注射の跡がある人もいた。
地元署の刑事の間で次のような会話があった。
「覚醒剤か?」
「そのようですね」
「同僚の話によれば、たまにテンションが高いこともあるが、いつもは暗い性格だったという意見が多かったようです。まだ完全な常習者ということでもなかったようなので、覚醒剤による副作用で、自殺しようと思ったとも考えにくいですね」
「例の廃工場の連中は、全員覚醒剤中毒だったわけだろう? そのせいでお互いに殺し合ったということだが」
「やつらが何か絡んでいるのは間違いないようですが、今のところ証拠がありません」
「しかし、自殺が流行するというのも物騒になったものだな」
「はい、この間、そこの公園で自殺した女性は、本当に関係ないんですかね?」
「半年前に暴行されて記憶を失っていたという女性だろう? 気の毒には思うけど、管轄も違うし、証拠もないので、捜査のしようがないよな」
「ええ」
「可哀そうだが、迷宮入りかも知れないな。俺たちの方もそうならないように、しっかり捜査しないとな」
「はい」
と言って、捜査は継続されたが、決定的な証拠は見つからない。
三人の家をがさ入れしても、やつらが立ち入りそうなところ、さらには組事務所をがさ入れしたが、結局何も見つからなかった。彼らのようば臆病者は、猜疑心と恐怖に苛まれるようになると、証拠を隠滅したのかも知れない。
そこに組が絡んでいるとすると、証拠隠滅には、抜かりはないだろう。覚醒剤の売買には欠かせない連中だったということもあるのだろうが、組としては、自分たちに火の粉が降りかかる前に処分したとも考えられる。
ひょっとすると、三人が殺し合わなければ、組の方としても、彼らが少しでも役に立たなくなったりしたり、警察の捜査に触れそうになった場合は、速やかに処分されることは決定していたのかも知れない。
警察の捜査力には、やはり限界があった。事件は結局迷宮入りとなり、どの事件も解決に至らなかった。すべての事件は単独とされ、自殺者は、原因不明の人が多かった。
ほとんどの人は状況としては普通の自殺であった。死体に不審な点がある変死でもない限り、解剖されることはない。
実は、彼女たちは皆暴行を受けていた。暴行を受けてはいたが、その場で自殺をしたというわけではなく、皆警察に訴えることもなく、しばらくは生きていた。
「ずっと暗かった」
というのは、当然のことであるが、暴行に味をしめた三人は、犯行を薬の力を借りることで、自分たちの臆病を覆い隠していた。
暴行した相手を殺すところまではさすがにできなかった。覆面をして相手に分からないようにしていたし、こちらは三人、相手は怖くて訴えることもできないだろうと、最後には恫喝もしていた。
それでも、最後の方は相手の女性に覚醒剤を注射することで、口を塞ごうとも考えた。薬の売買にも利用できるので、一石二鳥だった。
彼らとしては、組の中ではこれからだったはずだ。
それなのに、殺し合った時は、河原で襲った女のことで皆が皆疑心暗鬼に陥り、極度の恐怖を煽っていたのだ。
「あの女の怨念だ」
そう言いながら、仲間を殺そうと狂気の形相で殺し合う三人。この世の地獄だったに違いない。
しかし、この男たちのやったことは、まったく許されることではない。怨念が渦巻いていたと言っても過言ではない。
自分はまだ若い頃だったので、先輩刑事の意見を聞いて納得はできたが、それが警察組織の中では、何ら役に立たないということをその時初めて思い知らされた。
――いずれ自分が捜査の中心に立った時、できるだけ真実に近づいて、上を納得させられるような刑事になるぞ――
と思うようになっていた。
それから月日は流れ、今に至っているのだが、
――あれから何年経ったんだろう?
と思うと、最初に河原で自殺した女性の子供がどうなったのか、今になって気になっていた。