樹海の秘密
もし、自分がまわりの立場であれば、そんな人間がアシスタントであれば、一言二言文句も言いたくなるものだ。それを一言も何も言わず、その場を流しているのだから、流された方は、その場に置き去りにされてしまったかのように感じ、途方に暮れてしまうだろう。
――まるで、架けられた梯子に上って、その梯子を外されて、下りれなくなってしまった時のようだ――
と感じた。
最初は、その理由が分からなかったが、次第に分かるようになってきた。
――この人たちは、半分やる気なんかないんだ――
という思いであった。
いくら地元の中小出版社とはいえ、取材の現場ではその道のプロがやっていると思っていた。
実際に、今までは大卒ばかりを新卒として入社させてきた会社だったからだ。高卒でも採用しようと思ったのは、即戦力というよりも、会社内で地道に育てることを目標にしているからだということを、就職指導の先生に聞かされていた。だから、他の誰でもなく自分がその候補に挙がったということは誇らしいことだと思っていたのだ。
だが、大手出版社の台頭によって、事情が少し変わってきたのも事実だった。研修を兼ねての現場見習いというのを聞かされた時は、想像していたことと違ったので、少し戸惑いはしたが、順応できないほどのことはない。現場においての研修は、今の自分に持ってこいではないかと思うことにした。
ただ、見習いという言葉を使われると、どうしても、アルバイト感覚になってしまうのも仕方のないことだった。仕事をしているのだから、集中力が必要になる。敦は集中力に欠けることはなかったが、どうしても、アルバイト感覚になると、集中力の持続は困難になってくる。
ふっと気を抜いてしまうと、それまで何をしていたのか、忘れてしまうこともあり、現場責任者の人から叱られた。さすが現場責任者、集中力を切らせた相手には敏感だった。
しかし、その現場責任者が、急に辞めると言い出した時は、会社内に衝撃が走った。
少数精鋭と言えば聞こえがいいが、地元の中小出版社、事務所には十数人しかいない。その中でも、他の会社で言えば、専務クラスの人がいきなり辞めると言い出したのだから大変だ。
実務レベルのナンバーワンであり、扇の要のような存在がいなくなるということは、取材一つを取っても、収拾がつかなくなってしまう。少なくとも、製品の劣化は避けられるものではなかった。
――とんでもない会社に入ったものだ――
と思ったが、
「捨てる神あれば、拾う神あり」
ということわざがあるが、まさにその通りだ。
現場責任者がいなくなって三か月後、別の責任者が入社してきた。その人は、東京で出版業界をいくつか渡り歩き、ずっと現場一筋でやってきた人だった。その人の入社は再び会社に活気を与え、編集会議も頻繁に行われるようになり、皆もみるみるうちにやる気が戻ってきたようだった。
その人は、いろいろ会社の改革案を持っていたようだが、取材のような現場に関しては、少し偏った考えがあった。
それまで、タウン情報誌として、どこにでもあるような内容の本を出していた。
もっとも、元祖はこの会社なのだから、どこにでもあるようなというのは、実際には他の会社がまねしたものだった。
最初の特集では、デートスポットやパワースポット。カップルがドライブで行くスポットなど、綺麗な写真付きで載せていた。カップルも地元の大学生をモデルにして、
「いかにも地元志向」
というイメージを表に出していた。
グルメ情報、ファッション情報にも地元の大学生をモデルとして紹介させている。魁としては、斬新だったのだろう。
しかし、大手出版社が同じようなものを出してくると、大手出版社が全国展開している中での地元情報という枠を設けることで、そちらの方が主流だったと錯覚する人も出てくる。
若者が見る雑誌というのは、一人の読者がいつまでも見ているわけではないので、世代交代によって、地元企業がパイオニアであることは忘れられていくだろう。
ただ、若い連中というのは、どこがパイオニアであるかなどということは関係ない。面白いものがウケるという至極簡単な理屈の元に成り立っているのだ。
そうなると、地元企業の脆弱ぶりは隠せない。いくら頑張っても、一度大手がその地位を確立すれば、勝ち目はなかなかなかった。同じことをやっていては、二番煎じとしてしか見られない。
「元々は俺たちの領域なんだ」
というプライドがなかなか奇抜なアイデアへの移行を許さない。
許したとしても、今までのスタッフでは、奇抜なアイデアなど浮かぶはずもない。
タウン情報誌を最初に発行した信念の通りに続けることには長けていたが、それ以上の発想は浮かんでこない。入社させた時の理由もそればかりを追求し、今までの路線を踏襲し、誰にでもできる内容の仕事のみを行わせていればそれで十分だったのだ。
そのために、革新的な新しい発想が生まれる気風は備えているわけではない。そこに持って来ての、パイオニアとしての傲慢さが、見え隠れしてしまうと、もう大手出版社の敵ではなかった。
実は現場責任者の退社は、大手出版社が裏から手をまわした結果だった。もちろん、そのことが表に出ることはない。何しろ、自分たちのパイオニアとしてのプライドは持っているくせに、
――しょせん、大手にはかなわない――
という思いもあり、そんな大手が、自分たちレベルの弱小に、わざわざ手を回すことはないだろうという思いもあったからだ。
しかし、強い者ほど、弱い相手であっても手を抜かず、全力で立ち向かうというではないか、大手には大手の考え方があり、あまりゆっくりもできなかったのだろう。一気にとどめを刺すくらいのつもりだったに違いない。
しかし、計算通りにいかないのも現実で、まさか出版に長けた人が中小の出版社の門を叩こうなど、想像もしていなかったことだろう。
新たに加わった責任者の人は、名前を安藤さんと言った。安藤慎吾というらしいが、下の名前で呼ぶこともないので、きっと最初に聞いただけで、皆すぐに忘れてしまうに違いない。
安藤さんの考え方は、
「どこもやらないような、奇抜な発想を持って、仕事をしていこう」
というものだった。
安藤さんは、この街のことはほとんど知らない。全国を彷徨っていて、なかなか一か所にとどまることはなかったということだ。そんな人をよく上層部が入社させたものだと思っていたが、どうやら、会社の方がスカウトしてきたということだった。
ただ、安藤さんの方もこの会社に興味を持っていたらしく、
「以前から、もったいないと思っていたんだ」
と、呑み会の時に言っていた。
皆、話をスルーしていたが、
「以前から」
という言葉を敦は聞き逃さなかった。以前から気になっていたという証拠であろう。
「のぞみ出版には、新しい風が必要だと思ってね。僕がその風になれればいいと思って、ここに腰を下ろしてみたんだよ」
「安藤さんは、全国をいろいろ回ってこられたとか?」
安藤さんの隣に座っている課長が口を開いた。