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樹海の秘密

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                 樹海での自殺

――人が死にたくなるというのは、一体どんな心境になった時なんだろうか?
 そんなことを今までにあまり考えたことのなかった高橋敦が、急に自殺を思い立ったのは、高校を卒業し、地元の出版社に入社してから二年目のことだった。出版社の名前は「のぞみ出版」という。いわゆる地元密着型の出版社である。
 出版社と言っても、地元のタウン情報誌をメインに細々と営業しているだけの零細企業と言ってもよかった。地元のタウン情報誌の発行は、この会社が地元で最初に出したのだが、大手出版社も、全国的にタウン情報誌を発行する機運が高まって、やっと敦の会社の情報誌が地元で根を張ることができそうな矢先に、大手出版社が出張ってきたのだ。
 大手出版社は、情報網と、他の地域の情報も少し入れることで、後から出した不利を克服しようという狙いがあった。その狙いは的中し、次第に敦の会社の情報誌は、押されていった。
 敦が入社したのは、ちょうど、大手出版社がタウン情報誌を発行する前後のことで、会社としては、正直、新入社員に構っている場合ではなかったのだ。
 それまでどちらかというと、のんびりが社風だったのだが、大手出版社に出張ってこられたことで、今までの地道な努力が水泡に帰すと思うと、どの社員もただ事ではないことを肌で感じ、ピリピリしていた。
 もちろん中には、そんなことはどうでもよく、ただ普通に出版の仕事ができればそれでいいと思っていた人もいた。意外とそんな人の方が、出版関係の仕事に長けていて、どこに行っても通用する人が多かった。自分から転職を水面下で進めている人もいたが、中には他の出版社からの引き抜きに遭う人もいた。最初から才能はあったのだろうが、ただ、その才能も実際の仕事の中で磨かれてくることで、表に出てきた人ばかりだった。そうなると、
「俺はこんなところで燻っているような人間じゃないんだ」
 と思うのも当たり前のことであり、大手が出張って来なかったとしても、その人たちは遅かれ早かれ、転職していたことだろう。
 そうなると、残った社員は、大手出版社の進出に真っ向から立ち向かおうという気概を持った人ばかりになり、ピリピリした状態になるのも無理もないことだった。敦はそんな会社から内定をもらい、就職することになったのだ。
 これは敦にとって不幸以外の何ものでもなかった。元々社会人になることに対して、必要以上に怯えていた。何をやりたいかということが定まっていなかったというのもその理由だが、大人になるということ自体に言い知れぬ恐ろしさを感じていたのだ。
 その理由の一つに、
「何となく、記憶が欠落している部分があるんだよな」
 と感じているところだった。
 記憶喪失というほどのものではない。欠落している部分を感じるという程度で、覚えていないからと言って、生活に困ることもなければ、記憶の中で、辻褄が合っていない部分があるという明確なものはどこにもなかった。
 ただ、漠然と記憶が欠落しているという感覚だけがあるというのも気持ちの悪いもので、普段は意識していないだけに、ふと思い出したように意識してしまうと、それまでのリズムが狂ってしまい、自分が今から何をしようとしていたのかということすら忘れてしまうほど、意識が混乱してしまうこともあるくらいだった。
 この思いは、高校二年生の頃からあった。
――何か、思い出そうとしているんだけど、何を思い出そうとしているのか、自分でも分からない――
 という意識が始まりだった。
 最初から記憶が欠落しているなどという思いはなかった。思い出せるはずのことを思い出そうとして思い出せないという、どこか健忘症的なものが自分にあると思い、少し悩んだ時期もあった。
――まだまだ若いのに、健忘症なんて――
 と思っていたのだ。
 しかし、過去にあったことを思い出そうとして思い出せないのであれば、覚えているのは、表面上だけで、実際の内容を忘れてしまっていることがあるとすれば、思い出せないのも無理もないことだ。そう思う方が、
――健忘症ではないか?
 と考えるよりよほど気が楽というものである。
 記憶が欠落しているという意識はまだこの時もなかった。
 そもそも、記憶の欠落という概念がなく、覚えていないことはすべて記憶喪失だと思っていたこともあって、しかも、記憶喪失になれば、まわりの人もおかしいと気付くと思っていた。
 本当は先に自分が気づくはずなのに、気づかないということは、
――繋がっている記憶に疑問が一つでもない限り、記憶喪失などということはありえない――
 という考えがあったからだ。
 すべての記憶は時系列で繋がっていた。もちろん、覚えていないことは山ほどある。しかし、
――途中までしか覚えていない――
 であったり、
――途中からしか記憶にない――
 というものはまったくなかった。
 この思いが今後の敦の将来を大きく作用することになるのだった。
 敦は入社してすぐに取材班について見習いのような仕事をした。これは研修を兼ねたもので、本来なら、事務所で出版についての講義などを受けてから現場に出掛けるのが普通なのだろうが、そんなことも言っていられない。
――会社は俺に、即戦力を求めているんだな――
 と感じることで、高卒という負い目を感じていた敦に、安心感を与えた。
 見習いというのは、当然雑用係であり、不慣れとはいえ、戸惑いを見せたり、行動に機敏さが見られなければ、容赦なく、叱責が飛んでくる。
「こら、そこの新人。ちゃっちゃとせんか」
 先輩社員の怒号が鳴り響く。
「すみません」
 敦も大声で謝ったが、その様子を見て、まわりの人は驚くこともなく、自分の仕事を黙々とこなしている。
――これが、現場というものか――
 この感覚は複雑なものだった。
――もっと、活気のある修羅場のようなものだと思っていたけど、こんなに淡泊なものだなんて――
 コツコツと無難にこなしていけるようになれば、怒鳴られることもなくなるだろう。しかし、修羅場になっていいはずの現場で、こんなに静かなのは不気味さしか浮かんでこない。
――一体、どうしろというんだ――
 自分の立ち位置が分からない。浮足立っているというのとは少し違っている。誰もが静かに冷静なだけに、まず思うのは、
――皆何を考えているんだ?
 という思いであった。
 最初の頃は叱責ばかりであったが、次第に慣れてくると何も言われなくなる。ありがたいことだが、それはそれで不気味でもあった。なぜなら、言われなくはなったが、敦にはアイコンタクトがまだ通じるほどではなかったからだ。
「ツーと言えばカー」
 というほど親密になっていれば、何も言われなくてもいいのだが、まだまだぎこちない態度はぬぐえない。明らかに敦が間違えたと思い、心の中で、
「しまった」
 と叫んだのが分かると、自分の顔が渋い表情になっているのが想像できた。
作品名:樹海の秘密 作家名:森本晃次