樹海の秘密
二人は、睡眠薬での自殺について、冷静に自論を戦わせていたが、所長が急に我に返ったかのように、
「ところで、大変というのは、何が大変なんだね?」
と言われて、安藤もまた我に返った。
「実は、その死体というのが、うちの社員なんですよ」
「何だって?」
一気に緊迫した空気が部屋の中に充満した。
さっきまでの落ち着いた雰囲気はまるで二人とも、相手が別人だったのではないかと思えるほどだった。
「その死体というのは、高橋敦君なんです」
それを聞くと、所長は身体の力が一気に抜けてきた気がした。
「安藤君は、彼が死を覚悟しているように見えたのかね?」
「まさか、そんな死を覚悟しているような素振り、あるわけないですよ。分かっていれば、私の方で何とかしようと思うはずだからですね」
少し、沈黙が続いたが、先に落ち着きを取り戻したのが、安藤だった。
「とりあえず、警察からの報告を待ちましょう。もうすぐここにも警察が来て、いろいろ聞かれると思いますので、まずは驚かないようにということで、私の方から、事実だけをお伝えにまいりました」
「そうか、ありがとう。でも、死にたいと思ってもいない人が急に自殺したりするものなのかね?」
「それは分かりません。素振りに出さないだけで、実際には、ギリギリまで我慢していたのかも知れませんからね」
今は何を言っても、空想でしかない。何しろ本人は、もうこの世にいないのだから……。
しばらくしてから、警察がやってきた。初動捜査も終わり、ある程度自殺の現状の捜査で分かったこともあるのだろう。ここからの捜査は地道なものであり、動機などの解明へと背景の問題に関わっていくものだ。
まずは、身近な人からの話を聞くことから始まった。彼の隣の席の女性から呼ばれた。
「高橋さんが亡くなったと聞いてビックリしています。自殺するようには見えませんでしたからね」
「それは、どうしてそう感じたんですか?」
「高橋さんは、今新しい企画を任されていて、本人はやりがいを持って仕事をしていたと思っていたからです。悩んでいるのであれば分かったと思いますからね。でも、それ以上深いことは私も分かりません。プライバシーに関しては少しうるさい人だったので、私たちも高橋さんのプライバシーには気を遣っていました」
「なるほど、分かりました」
「でも、確か高橋さんにはお母さんがいないと聞いたことがあったんですが、取材をしている時でも、母子関係になると、少し普段と違う高橋さんになることがありましたね」
「それはどういうことですか?」
「高橋さんは普段から冷静沈着なところがあると思っていたんですが、母子家庭の取材をした時、やたらと子供に同情的なところがあったんです。私たちは、子供を育てている母親に焦点を当てて、注目してもらえるような記事を書くべきだと思っていたんですが、高橋さんは、子供の目線からの記事になったので、どうしても、母親に対して少し恨めしい感情をあらわにしたような記事ができてしまったんですよ。編集長に書き直しを言い渡されたんですが、その時は、顔を真っ赤にして、何とか描き直したんですが、その日の呑み会では荒れに荒れて、ひどいものだったようだそうです」
「よほど、子供に思い入れがあったんでしょうね。母子家庭で育ったということで、子供に感情移入するというのは当然に思えますが、とても冷静沈着という言葉で言い表されるような人ではないですね」
「ええ、そうなんですよ。その日の呑み会でも、まるで小さな子供が駄々をこねているような酔い方で、課員全員で、何とか宥めたのを覚えています」
「そんなことがあったんですね。これは参考になりました、ありがとうございます」
と言って、その女性の聴取を切り上げた。
二人目も女の子だったのだが、彼女に対しては、今度はこちらからその話をぶつけてみることにした。最初は、ありきたりの質問に終始していたが、ある程度質問を終えたところで、一人の刑事が口を開いた。
「ところでね。高橋さんは、子供に対して異常なほどの感情を持っていると伺ったんですが、何か知りませんか?」
「そうですね。確かに子供に対して他の人と違う印象を持っていたようですね。何か、子供を憎んでいるように見えて、私は怖く感じたことが何度かあります」
刑事二人は顔を見合わせて、お互いに訝しそうな表情になった。
「それはどのような時に感じたんですか?」
「あれは、取材である学校を訪問した時のことなんですが、その時の取材は、教育現場における教師の在り方のようなものだったんですが、子供にも取材をしたりしたんですよ。その時に、子供があまりにも言うことを聞かなかったので、高橋さんは切れかかって、もう少しで殴り掛かるくらいだったんですよ。私たちは必至で止めたんですが、その時に、
『お前たちのような子供がいるから、お母さんが苦労するんだ。母親への感謝なんか、お前たちにはないんだろう』って、悪口雑言ですよ。普段の優しい言葉遣いからは想像もできないような雰囲気に、目は完全に血走っていましたね。必死に止めていながら、目が血走ってるのを感じるのだから、相当だったんだと思います」
「でも、その言葉って、どこか違っていますよね」
「そうなんですよ。学校に取材に来て、先生をテーマにするために子供の意見を聞いていたのに、どうしてここで母親のことが話題になるのか、私たちもそうでしたが、怒られた子供たちも、何が起こったのか分からないという顔をしてましたよ。何で怒られなければいけないのかって思ったでしょうね」
子供は怒られた時、きっと自分たちのふざけた態度を怒っているということに気づいていたのだろう。それなのに母親のことを言われたことで、何が起こったのか分からないという心境になったのも分かる気がする。そうでなければ、もう少し反発していてもいいと思うからだ。
それにしても、母子家庭の話題を、母親を中心に記事にしようとすると、子供の方に意識が向いて、今度は学校に行っての取材で、先生を中心にしようと考えていて、取材に子供が少しふざけているのを見て、いきなり激怒し、何を思ったのか、話題を母親に向けた。まるで天邪鬼のようではないか。
これだけの話を聞いていると、普段は冷静沈着だが、母子に関する話になると、過敏に反応し、発想が飛躍してしまうのか、怒りをあらわにするようだ。
かと思えば、別の人に話を聞くと、
「高橋さんという人は、一つのことを気にすると、まわりが見えなくなるほど、集中してしまうことがあるんです」
と言った。
「それは誰にでもあることではないですか?」
「それはそうなんですが、その集中の仕方が尋常ではなく、取材の案を上に上奏した時、時期尚早などの理由で反対されても、独自に調査していたりしていたんですよ。もちろん、一人で勝手に行動するので、目立たないようにしなければいけないし、仕事の時間では無理なので、時間外に取材をしたり、休みの日に図書館などに行って、一日中、資料をあさったりと、しているようなんです。ジャーナリストとしては見習いたいところだとは思うんですが、行き過ぎのようなところがあって、ついていけないという思いが正直なところですね」