心理の挑戦
「おいていくわけにはいかないので、一緒に連れていきますね」
と言って、帰ってきてすぐではあったが、とんぼ返りのような状態で、またおばあちゃんの家に行くことになった。
おばあちゃんの家に行くと、すでに白と黒のストライプになった膜が張られていた。お花が飾ってあって、線香の匂いが印象的だった。
「そういえば、おばあちゃん、死に際に言っていたわ」
おばあちゃんの死に際を看取ったおばさんがお母さんに話していた。
「何て?」
「こういちに、『おばあちゃんに似た人を見たって言われた』ってね。どういうことなのかしらね?」
その時の記憶は、しばらくずっと残っていたが、ある瞬間を境に忘れてしまった。この感覚をそれ以降、何度も感じるようになるのだが、今から思えば、一番最初に感じるようになったのは、その時が最初だったのだ。
それを今、こういちは思い出していた。
――まるでこのことを思い出すために、僕は交通事故に遭ってしまったかのように感じる――
そんなバカなことはないと言い聞かせたが、その思いに至らせてくれないのが、夢の中に出てきた友香の存在だった
――まさか、友香の存在自体が、このことを思い出させるためのものだったのか?
と思うと、友香の言っていた、
「運命」
という言葉の本当の意味を、今知ることになるのではないかと思えてきた。
こういちは、自分の身体に流れる友香の血を意識していた。
輸血されて、輸血してくれた人の血を意識するなどということは普通であればないだろう。意識しても仕方がないと思うからだ。
こういちも同じように、
――意識しても仕方がない――
と感じていたのだろう、最初はまったく何も感じていなかった。
しかし、いくら夢とはいえ、面と向かって自分に輸血してくれている人の顔をまともに見てしまうと、意識しないわけにはいかない。意識しない方がウソというものだ。
またしても、意識は輸血のシーンに戻ってくる。
「私はこういちさんの中に入れて幸せだわ」
と、顔色からは信じられないような言葉を吐いているにも関わらず、まったくウソを言っているようには思えない。
そのくせ、目の前の友香に恐怖を感じている。
――何て恐ろしい形相なんだ――
そう思うと、またおばあちゃんの顔が浮かんできた。
今度のシーンは、病院の一室で、寝ているおばあちゃんの横で、お父さんもベッドに横になって、輸血をしているシーンだった。友香から輸血されたという話を聞いたから、取って付けたように、自分が想像したものではない。間違いなく記憶の奥に燻っていた意識だった。
おばあちゃんくらいの年齢になれば、いろいろな病気が身体を蝕んでも無理はないということを分かるような年齢ではなかったはずなのに、今思い返してみると、子供心に分かっていたかのような気がしてきた。
「おばあちゃんは大丈夫なの?」
と聞くと、お父さんが、
「ああ、大丈夫だよ。何しろお父さんの血が、おばあちゃんを助けることになるんだからね。こういちは、お父さんを信じることができるんだろう?」
と言われて、
「うん」
と元気よく答えた覚えがある。
その元気がどこから来ているのかを思い出そうとすると、お父さんを信じているという意識と、おばあちゃんが元気になるという思いとが、本当は繋がっているはずなのに、それぞれの思いとして浮かんできたことで、余計に元気に返事ができたのだと思えてならない。
お父さんの血がおばあちゃんを助けたのか、おばあちゃんはそれから回復した。その時から、
「お父さんはすごいんだ」
と思うようになり、人に輸血をするということがどれほどすごいことなのかという思いを、子供の頃からずっと抱いてきた。
それを、先日、
「あなたのことが好きだ」
と告白してくれた相手からしてもらったのだ。
「ありがたい」
という気持ちと、
「申し訳ない」
という気持ちが交互に沸いてきて、次第に、申し訳ないという気持ちの方が強くなってくるのを感じていた。
何と言っても、
「交通事故に遭うかも知れない」
という警告を、彼女から受けていたにも関わらず、それを予見することができず、事故に遭ってしまったのだ。
「歩行者が悪かったわけではない」
という事故だったにも関わらず、それでも予見できなかったことは、本当に情けなく感じた。
ただ、一瞬のことだったので、何がどうなったのか分かるはずもなく、すべての事情を知っている人が本当にいるのかどうかも、分からなかった。
とりあえず、事故を起こした人は、業務上過失致傷ということで、当事者として警察から話を聞かれることだろう。しかし、まったく覚えておらず、聞かれても何と答えていいのか分からない状態だったのだが、考えているうちに、事故に遭った前後の記憶が曖昧であることに、その時はまだ気づかなかった。
――記憶が途切れているところがある?
そんな気もしているが、覚えている記憶は全部繋がっていて、途切れているところはなかった。
かつてのおばあちゃんとお父さんの記憶を思い出すと、
――輸血できる人はすごいんだ――
という意識になった。
さらに友香を見ていると。年下のはずなのに、自分よりもかなりしっかりしていて、冷静に先のことを読んで判断できる人のように思えた。
自分が喫茶「イリュージョン」の常連になったことで友香に輸血してもらえるようになったのも、夕方の時間、典子や山田さんといろいろな話をして頭を柔らかくできたからではないだろうか。
典子や山田さんと話をしている時は気づかなかったが、あの二人は結構仲が良かった。確か山田さんには、奥さんがいたように感じていたが、典子と一緒にいるのを見ていると、そんなことはどうでもいいことのように思えてくるから不思議だった。
人との出会いは不思議なもので、どこからがスタートになるのか分からない。
友香との出会いも、最初はランチタイムに見てはいたが、実際に話をしたことがなかったのに、偶然だったのか必然だったのか、二人で会ったその時から、
――ずっと以前から知り合いだったような気がする――
と思えてならなかった。
しかも、友香と一緒にいると、おばあちゃんのことを思い出す。これも偶然なのか必然なのか分からない。
友香を見ていると、
――おばあちゃんの生まれ変わりではないんだろうか?
とさえ思えてきた。
典子や山田さんと一緒にいる時、自分は普段の自分との「多層性」を感じていた。
――普段の自分とは違う――
という意識からなのだが、友香と一緒にいる時は「多重性」を感じるのだ。
普段の自分と、友香と一緒にいる時の自分は、同じであり、
――ひょっとすると、もう一人の自分が、同じ時間、誰かと会っているのかも知れない――
と思えるほどだった。
「お前に似た人を見たぞ」
と、言われてしまいそうな気がして、今考えていることを、友香に話してみた。
「大丈夫よ」
「どうしてなんだい?」
「あなたは、この間交通事故に遭ったでしょう? 似た人を見たと言われて交通事故に遭うのは一度だけなのよ。だから、あなたはもう二度と似た人を見たと言われたことによって交通事故に遭うことはないのよ」