心理の挑戦
「そうなんだ。でも、『お前を見た』って言われそうで怖いんだ」
今まで自分の頭に引っかかっているもう一つの「見た」という言葉、これに対しても、友香には考えがあった。
「これも大丈夫。あなたのように、今自分と同じ思いを持った『もう一人の自分』の存在を感じているでしょう? それは他の人が感じることはなくて、自分だけで感じているのであれば、他の人から、もう一人のあなたを見ることができないのよ」
「どうしてなんだい?」
「もう一人のあなたが、本当のあなたではないからよ。あくまでも似た人ということなのよね。だから、あなただけが意識しているのであれば、他の人には、もし視界に入っていたとしても、ただの石のようにしか見えないの」
「どうして、君はそんなに何でも分かっているの?」
「私にも、もう一人の自分がいるからなのよ。ただ、私に似ている人ではないんだけどね。その人は私のことをもう一人の自分だって気づいているかも知れない。でも、お互いにその意識は違うところから出てきたと思うの。いつも近くにいるんだけど、絶対に一緒に存在していることはない。だから、あなたの前に、二人が同時に現れることはないのよ」
「まさか、そのもう一人というのは?」
「典子のことよ」
「そんな、信じられない」
「でも、あなたが私の中におばあちゃんを意識しているでしょう? 私には分かるのよ。そしてね、世の中というのは、途中とプロセスがどうであれ、最後には必ず辻褄が合うようになっているの。あなたが交通事故に遭ったというおは、その辻褄を合わせるためなのよ」
そこまで言うと、友香の顔が典子に変わっていくのを感じた。
「あなたは逆デジャブを感じているの。だから『多重性』なのよ。似た人を見たというのも、お前を見たと言われることを気にしているのもね……」
こういちは、典子のその声が次第に消え入りそうになるのを感じていた。自分が深い眠りに就いていく証拠でもあった……。
「あなた、あなた、大丈夫?」
「えっ?」
目の前に広がっている青い空を遮るように、心配そうに覗き込んでいる妻の典子の顔があった。
「俺はどうしたんだ?」
「いやね、表の木を手入れしていて、木から落っこちたんじゃないの。しっかりしてくださいよ」
「ああ、そうか、それはすまない」
と言って、身体を起こした。
「ところで、孫たちがそろそろ来るんじゃないか?」
「そうね。こういちも今度小学生になるから、少しは大きくなったんじゃないかしら?」
「そうだね。ところでおばあちゃんは?」
「おばあちゃんは、さっきまで寝ていたんだけど、孫たちが来るからって、その前に仏壇にお参りすると言って、今仏壇の前よ」
「おばあちゃんも、すっかりよくなってよかったな」
「ええ、前に事故に遭った時、あなたの輸血のおかげで助かったんですものね。おばあちゃんは感謝していたわ」
すると、お待ちかねの孫たちがやってきたようだ。玄関先の「山田」と書かれている表札の下にある呼び鈴が押された。
「やあ、こういち、よく来たね。おばあちゃんがお待ちかねだよ」
こういちと呼ばれた少年は、垣根を気にしながら、庭を覗き込んでいた。
「おばあちゃんがいるよ」
「えっ、どこに?」
「ほら、縁側からこっちを見て、おいでおいでしてるじゃないか?」
こういち少年はそう言ったが、
「何言ってるの」
と言って誰も信じてくれなかった。
それを見ながら、
「そうなのかな?」
と不思議に思ったこういち少年は、おばあちゃんの姿が消えていくのを感じていた。しかし、それは自分が意識して消しているということに、すぐには気づかなかったのだ。
それがこういちにとってのデジャブだった。
しかし、こういちは逆デジャブをその時見た気がした。それは二十年後の自分である。二十年後の自分がどうなっているのかを想像すると、なぜか、少年時代のおばあちゃんの家に出掛けたあの時を思い出す。
――辻褄合わせと副作用――
逆デジャブは「多重性」で似た人が一人とはいわず、たくさんいることだろう。それは時代をまたいでという意味で、二十年後にも同じことを考えている自分が存在していた。
こういちの横には、いつまでも笑顔を忘れない友香がいた。
その世界では、「お前を見た」と言われても、まったく意識しないこういちが、友香の横で幸せそうに微笑んでいる自分を見ながら、ずっと二十代でいる自分を感じ続けていたのだった……。
( 完 )
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