心理の挑戦
そういえば、イリュージョンで先輩と話をしている時に、急に黙り込んで、何も話さない時間があった。それは気まずい時間になってしまったと思って恐縮していたが、こういちにとってチャンスを与えるための時間だったなど、気がつくはずもなかった。
――惜しいことをした――
と思ったのと同時に、二人の優しさに暖かさを感じた。
「でも、先輩さんがいなくなって一人になった橋爪さんを見ていると、私の方から声を掛けるタイミングがなかなかなかったんですよ。何度か声を掛けてみようと思ったんですが、私にはできませんでした」
「それは申し訳ないことをした」
「いえ、いいんですよ。私は元々、好きになった相手には自分から声を掛ける方だったんだけど、なぜか橋爪さんには声を掛けることができなかったんです。最初はどうしてなのか分からなかったんですが、橋爪さんのことを考えていると次第に、二人の間に運命のようなものがあるんじゃないかって思うようになったんですよ」
やはり、友香は運命のようなものを感じてくれていたのだ。
「ありがとう。とっても嬉しいよ」
完全な愛の告白だった。
「僕も、相手は誰なのか分からないんだけど、運命の相手に出会えるような気は最近していたんですよ。さっきの予知の話ではないけど、今までに感じたことのない初めての感覚だったんだよね」
「それは大切なことだと思います。初めての感覚というのは、感情の中でも大切なポイントになると思っているんですよ。私も橋爪さんに対して初めての感覚を感じていますし、その二つを合わせると運命というのかも知れませんね」
こういちだけではなく、目の前の由香も顔が心なしか紅潮しているのを感じた。まるでリンゴの皮のような真っ赤な頬は、可愛いと感じた最初のイメージを思い起こさせるものだった。
こういちは、いつの間にか有頂天になっていた。
今までに恋愛をしたことがないわけではなかったが、長続きしない。相手に愛想を尽かされることが多かったのを思うと一抹の不安もあったが、お互いに、
――初めての感覚――
という言葉に運命を感じていることから、
――今度は大丈夫だ――
と思うようになっていた。
「私、これからこういちさんって呼んでいいですか?」
「いいよ。僕も友香って呼び捨てにさせてもらうね」
「ええ」
「でもお店では今まで通りの態度でいいかな?」
「いいけど、もう少し話しかけてくれないと、お互いに却ってぎこちなくならない?」
「そうだね。それももっともだ。今までの自分たちが運命を意識しながら、一歩踏み出せないことで、余計な緊張を張り巡らせていたんだからね。自然ではなかったということだね」
「今の笑顔を見せてくれれば、それでいいの。必要以上な会話も必要ないしね」
「運命というのは、静かに育むものなんだろうか?」
「私は前はそう思っていたけど、そうでもないように最近は感じているの」
「どういうこと?」
「黙って進展させないと、自然消滅してしまいそうな気がするの。私が予知をある一点を超えると忘れるようにね」
「でも、それは運命だと思ったから忘れたともいえるでしょう? 僕たちの進展に何か運命がまたしても関わってくるのかい?」
「もし、運命が存在しているとすれば、それはお互いが運命を感じるまでであって、運命を感じてしまうと、二人の間に運命が関わってくることはないんじゃないかって私は思っています」
と友香は話していた。
「私が今日、あなたに告白したのは、私の中で、何かあなたに今日、告白しておかなければいけない気がしたからなの」
「それはどういうことなんだい?」
「実は、私、あなたに似た人をここに来るまでに見かけたの。それまではここまでハッキリとあなたに告白するつもりはなかったんだけど、あなたに似た人を見た時、言わなければいけないと思ったのね。でも、あなたに似た人を見かけたということを言おうかどうか、正直迷ったんだけど、でも、言っておかなければいけないと思い、その前兆として、さっきの話をさせていただいたの」
なるほど、友香が途中でいきなり話を変えたのは、そういう含みがあったからだということをこういちは悟った。
「でも、それを聞かされて、僕は一体どうしたらいいんだ?」
「私から言えることとしては、『交通事故には気を付けて』としか言えない。もちろん、このことをあなたに話したら、あなたが混乱したり極度な不安に襲われることも分かっているの。それでもあなたには言っておきたいと思ったのは、あなたに告白した気持ちに間違いはないということをあなたに分かってもらって、少しでも、恐怖や不安を払拭してくれればいいという思いからだったの。余計なことをしてしまって、本当にごめんなさい」
友香は恐縮して話した。
「ありがとう。気を付けるようにするよ」
最初は、友香と普段からお互いに感じていたことの会話ができて、楽しかった。その後、唐突に告白され、戸惑いもあったが、嬉しさで有頂天になった。その後、自分に似た人を見たと言われたことで、恐怖と不安のどん底に叩き落され、どうにも頭の中を整理することが困難だった。
友香とはその日、それ以上話をすることもなく帰途についたこういちだったが、交通事故を避けるという意味で、車の通らないような裏の路地を伝うように、家路についた。
真っ暗な裏路地には、誰もおらず、元々、普段はオフィス街になっているようなところであったが、ここまで誰もいないというのも不気味なものだ。
時間としては、午後九時を過ぎたくらいなので、少しくらいはまだ残業をしている会社があってもいいと思うのに、どこも電気がついている窓もなく、街灯すら、ほとんどついていないありさまだった。
「それにしても、こんな路地があるというのも、今まで知らなかったな」
と思いながら歩いていると、
――どこかで見たことがあるような景色――
と感じた。
それは、ビルの影になっていて分からなかったが、道を挟んでビルの反対側は、まったくビルが建っていなかった。そこにあるのは、まるで昭和の風情を感じさせる住宅街の一角を思わせた。
――平成生まれの僕が、どうして昭和の風情を分かるというんだ?
自分でも不思議だった。
垣根の生えているその向こうには庭があり、木造の一軒家が建っている。
「おばあちゃんの家を思わせるようだ」
とも感じ、その向こうに、うっすらと光が漏れているのが見えた。
縁側に一人の老婆がいた。白髪でなければ、老人だとは分からないくらいの明るさなのに、なぜに、それが老婆だと分かったのか、それも不思議だった。ちょっとだけでも雰囲気が分かれば、全体の雰囲気を垣間見ることができるような気がしたからだ。
――子供の頃に見た覚えのあるおばあちゃんだ――
こういちは、そのおばあちゃんに引き寄せられるように、垣根から、家の中を覗いていた。
明かりはどうやら、ロウソクのようで、揺らめいているのが見て取れる。
子供の頃に聞かされた守護神の話を思い出していた。
――あの時も、こんな雰囲気の中で聞かされたんだっけ――
忘れていたはずの記憶がよみがえってきた。