心理の挑戦
どちらとも言えないということは、事実としては存在するので、どちらかを選定できれば、その信憑性はあるという考えである。それなのに、どうして自分としては信用できないと思うのかというと、
――時系列がハッキリ確定できないということは、夢の可能性がある――
という感覚になるからだった。
――夢の中には、そもそも時系列という感覚は存在しない――
とこういちは考えていた。
確かに、
「夢というのは、目が覚める寸前に一瞬見るものだ」
と人から教えられて、それまで夢に対していろいろ不思議に感じていたことが、その一言だけで、急にハッキリしてきたように思えたからだ。
その話を聞くまで感じていた不思議に思うことを、その瞬間から、忘れていたのだ。
つまり、この言葉だけが頭の中に残っていて、最初に感じた不思議な感覚が消えていたということで、共存が許されないと思えてきたのだ。
それは、ひと月前に話した時に出てきた、「多重性」、「多層性」との違いを思わせた。目からうろこを落とすような話を聞いた時、その話が頭に入ってしまって、前に思っていたことが消えてしまったということは、共存を許さないという意味で。「多層性」を思わせた。
しかし、それは意識から消えていないということも証明していた。なぜなら、膜のようなものを通して、見えないだけで、すぐそばにあることを示しているからだ。
見えないだけですぐそばにあるものが何かと言えば、それが、頭の奥にある記憶を格納している場所なのかも知れない。
そういう意味では、
「記憶が欠落しているというのは、記憶の奥に格納されているからだ
という自論に当て嵌まることでもあった。
プロセスは違っても、結局同じところに辿り着くというのは、それだけ本当に信憑性があるということであり、自分を納得させることでもあるのであろう。
過去に「誰かを見た」と思っているが、今こういちは、もう一つ飛躍した考えを持っていた。
――過去に見たと限らないのではないか?
という思いだった。
予知能力といえば、超常現象のようで信憑性に欠けるが、
――デジャブがあるのだから、逆デジャブもあっていいんじゃないか?
という思いである。
デジャブというのは、
「前に見たことがあったような」
という思いで、逆デジャブがあるとすれば、
「これから、目の前で起きたことが起こるような気がする」
というものである。
言葉に出してしまうと、予知能力よりも、相当信憑性があるのではないか。
今目の前で起こっていることを疑う人は誰もいないだろう。しかし、デジャブを信じるのであれば、前に見たことを後になって思い出すのだ。それは忘れていることを思い出すのであって、それこそ、共存を許さない「多層性」のようではないか。
しかし、それが共存を許す「多重性」であったとすれば、逆デジャブもあり得る気がする。
つまりは、デジャブが「多層性」であり、逆デジャブが「多重性」に当たるのではないかという考えである。今回の「似た人を見た」という感覚がデジャブなのか、逆デジャブなのか分かりかねていたのは、やはり時系列がハッキリしないからだった。
そんなことを考えていると、次第にその時のことと、この間実際にあった、
「自分に似た人を見た」
という関連性が、この間のことを思い出していくうちに、ハッキリしてくるのではないかと思うようになってきた。
あれは、一週間くらい前のことだっただろうか? 場所は会社の最寄り駅、コンコースのことだった。
仕事が終わって、いつものように、喫茶「イリュージョン」で二時間ほどいて、帰宅途中のことだった。日が暮れてからだいぶ経っていたにも関わらず、相変わらずの乗降客、コンコースを通る人も多かった。
「橋爪さん」
と、後ろから声を掛けられビックリした。
なぜビックリしたのかというと、その声が女性の声だったからである。しかも、その声に聞き覚えがあるような気がしたのだが、誰なのか、振り向いて確認するまで分からなかったのだ。
振り返ってみると、
「ああ、なあんだ。君か」
と、少し脱力感に包まれていた自分に気が付いたが、それでも最近ずっと、会社内で仕事関係の相手から声を掛けられるくらいしかなかったので、嬉しい気持ちに変わりはなかった。
そこに佇んでいたのは、喫茶「イリュージョン」でアルバイトをしている女の子だった。その娘の勤務時間はランチタイムで、普段からカウンターの奥で忙しく立ち回っている姿しか見たことがないので、実に新鮮だった。声が分からなかったのは、忙しい時間帯に仕事で出している声と、仕事を離れた時の声とでは、これほど違うのかと思うほど声のトーンがかなり高かったことが新鮮だったからだ。
彼女の名前は、友香ちゃんと言った。苗字は最初に聞いたが、すぐに名前で呼ぶようになったので、名前の方しか分からない。忙しい中でも数人いるアルバイトの女の子の中で一番人気がある女の子だった。
「友香ちゃん」
と、皆から親しまれていて、まるでマスコットのような存在だったのだ。
そんな友香ちゃんが、さっきまでいた喫茶「イリュージョン」で違う時間帯によく遭っている人だと思うと、少し不思議な感覚を覚えた。
「橋爪さんは、いつもこの時間までお仕事なんですか?」
友香は、こういちが喫茶「イリュージョン」の夕方の常連にもなっているということを知らないようだった。
「いやいや、今までイリュージョンにいたんだよ」
というと、ビックリしたように、
「そうなんですか? 不思議な感じですよね」
「僕もまさか夕方の常連になるとは思わなかったんだけど、典子さんや山田さんとはよく話をしたりしますよ」
というと、
「典子とは、同じ大学なんですよ。学部は違うんですが、同級生なんです。実は典子も最初、ランチタイムに入っていたんですよ」
「えっ、そうなんですね? それは知りませんでした」
「典子は、元々貧血気味になることが多かったので、忙しい時間帯は無理があったんです。でもそれでも頑張っていたんだけど、昼間のお客さんにはいろいろな人がいますよね? 典子に話しかける人も多くて、途中からいっぱいいっぱいになってしまったんです。それで、ある日、典子が貧血で倒れたこともあって、今の夕方になったんですよね」
典子が昼間に入っていたなど、まったく知らなかった。
――先輩が教えてくれなかったということは、先輩が通うようになった前のことなんだろうな――
と思った。
「典子がこの間気にしていたことがあったんですよ」
「というのは?」
「『昼間のお客さんは、もう私のことなんか覚えている人なんていないんでしょうね』って聞いてきたんです」
「それで?」
「私も、どうしていまさらって思ったんだけど、正直に誰も典子の話題に触れる人はいないわよって言ったんですね」
「はい」
「それでも、典子が気にしているようだったので、次の日にわざと典子のことを昼間に少し話題にしてみたんだけど、誰も知らないって言ったのよ」