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心理の挑戦

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 母親が怒りを通り越したのか、小学生の低学年だった頃の自分を連れて、家出したことがあった。
 今から思えば、
「何て、浅はかなことをしたんだ」
 と思うが、その時の母親の気持ちを思えば分からなくもない。
 自分が振り上げた鉈のおろしどころが分からないというのが、本音だろう。
「戦争というのは、始めるよりも止める方が、数倍難しい」
 と言われる。
 始める時に、終わり方をシミュレーションするのが政治家だという話も聞いたことがある。夫婦喧嘩も同じで、どちらが先に謝るかが問題なのだ。意地の張り合いはただ状況を悪くするだけで、何の解決にもならない。
 その時に感じたのが、子供心に、人間の中の矛盾だったのではないだろうか。自分にも同じようなものがあるのだと、初めて感じた時だった。
 家出から帰ってきて父親の顔を見ると、実に安心したものだ。
――自分のあるべき姿――
 というのを垣間見た気がした。
 だが、母親は覚悟して家出をしたはずなのに、なぜすぐに帰ってくることにしたのか、子供の自分には分からなかっただけに、帰ってこれたことはありがたかった。それでも中学生になった頃、反抗期を迎えていた自分は、何とか両親の弱い部分を探っていた時期があったが、その時、家出をしたのに、すぐに帰ってくるという決断をした母の気持ちの中に弱さしか感じなかったことを思い出していた。
 母は、そんなに意志の弱い人ではない。家出をすると一旦決めたのなら、目に見えて何かがない限り、一日やそこらで帰ってしまうようなことはないはずだった。
 そのことがずっと気になっていたのだろう。反抗期であっても、それを糾弾しようというほどの意識はなかった。
 だが、知りたいという思いは強くあり、思い切って反抗期の時に聞いてみた。理由は、反抗期を過ぎてしまうと、二度と聞くことはないと思ったからだ。
「お母さんは、どうして家出をした時、すぐに帰ってくるような決断をしたんだい?」
 母親は返答に困っていたようだ。
 それでも、しばらくして意を決したのか、ゆっくりと話し始めた。
「あの時は、本当に家に帰るつもりがなくて家出をしたわけではないのよ」
「えっ?」
 その言葉は、こういちを驚かせた。
「もし、家に本当に帰ってくるつもりがないのであれば、お母さんはあなたまで連れて出てくることはなかったと思うの。お父さんとの間に距離を置いて、お互いに考える時間を作ろうと思ったの。お母さんは自分の意志からそう考えたんだけど、お父さんはそこまで分かってくれるかどうか、難しいでしょう? そんな時、あなたがそばにいると、お父さんは考えることができないと思ったの。だから、あなたを連れて家を出て、お互いに冷却期間を置こうと思ったのね」
「じゃあ、どうして、あんなにすぐに帰ってきたの?」
「あの時、すぐに家に帰らなければいけないと思ったのは、その場所にいるはずのないお父さんが目の前に現れて、『お前を見た』って言ったのよ。幻か錯覚だって思ったんだけど、その日に夢を見たの。その夢というのは、夢の中にまたお父さんが出てきて、『お前を見た』って言ったその後、あなたが血まみれになって死んでいるのが発見されたの。そして、その横にいたのは、同じ血まみれになって倒れていたお父さん。お母さんはその時、自分の手を見ると、真っ赤に染まっていて、吹くにはべっとりと返り血を浴びていたの。そして、その時後ろから殺気がしたので振り返ると、そこには、もう一人のお母さんが立っていて、『お前を見た』って言って、笑うのよ。お母さんは恐ろしくなって、次の日には家に帰ったというわけ」
 何とも信じがたい話だったが、妙に説得力があった。
 話の内容よりも、その時の母親の表情に説得力を感じたのだ。
 もっとも、母親は息子にその話を信じてもらいたいというつもりで話したのではないと思う。どちらかというと、黙っているのが辛くなったからではないだろうか。
 その証拠に、
「話ができて、少し肩の荷が下りたような気がするわ」
 と言っていたっけ。
 その言葉は本心からだったと思う。もし自分が母親の立場だったら、同じことを考えたに違いないからだ。
「それにしても、怖い夢だったわ。もう一人の自分が夢に出てくるというだけでも恐ろしいのに、その自分から『お前を見た』って言われたのよ。本当にゾッとしたわ。一刻も早く家に帰らないといけないってその時、真剣にそう感じたわ」
 と言っていた。
 これも本心であろう。安心したという思いをその時自分に打ち明けたのは、その思いがトラウマになっていたからだろう。息子に話をしただけで解消できるほどのものではないはずだが、ずっと一人で背負ってきたトラウマを少しでも解消できたことが、安心したという言葉に繋がったに違いない。
 ただ、この話を聞いたこういちは、少しの間覚えていたが、ある日を境に、急に忘れてしまっていた。
 最近になってよく聞くようになった、
「お前を見た」
 という言葉、この頃からこういちの中で、母親から受け継いだ「忘れてしまったトラウマ」となっていたに違いない。
 そういう意味では、母親も今となっては、このトラウマをどこまで覚えているかというのも分からない。こういちに話した時点で、
――ある程度忘れてしまったのではないか――
 とさえ思うようになっていたに違いない。
 こういちは、それを自分の中の、
「記憶の欠落」
 だと思っていたが、母親がどう感じているのか分からない。
 さすがにこのことまでは聞いてみようとは思わなかったからだ。
 記憶の喪失と欠落とでは違うもののように思えてきた。こういちは、記憶の喪失には、「多重性」を感じ、記憶の欠落には、「多層性」を感じた。今日の話の中でいろいろ感じたこともあったが、「お前を見た」というキーワードに「多重性」と「多層性」が絡んでくるものだというのを、感じるに至ったのだった……。

               自分に似た人

 喫茶「イリュージョン」で山田さんと典子といろいろ話をしてからひと月ほど経ってからのことだった。やはり、つい最近まではずっと気になっていたことだったはずなのに、ある日を境に急に思い出すことができなくなってしまった、こういちだった。
 ある日を境にという、その「ある日」とは、
「自分に似た人を見た」
 と感じた時だった。
 前にも同じように自分に似た人を見たような気がしていたが、ハッキリと見たというには、あまりにも自信がなさすぎた。
 なぜハッキリと見たと言えないのかというと、それがいつのことだったのかというのがまったく分からないからである。正確に言えば、分からないというわけではなく、
「見たのは子供の頃だった」
 という思いと、
「いやいや、ごく最近のことだった」
 という思いが頭の中で交錯していて、本当に見たのであれば、どちらにも信憑性があるように思えるのだ。
 どちらも信用できないというわけではなく、どちらとも言えないという感覚が強く、ちょっとした言葉の違いだけで、これほど正反対の意味になるのかと感心するほどのことであった。
作品名:心理の挑戦 作家名:森本晃次