心理の挑戦
「いいかい、橋爪君。君は目が覚めようとしている夢を見ていたということなんだよ。つまり、夢の中で夢を見ていたというべきか、そんな感覚を味わったことがないので、夢と現実の狭間に嵌り込んでしまったような感覚になってしまったんじゃないかな?」
「そうかも知れません」
こういちは、山田さんの話を神妙に聞いていた。
「私も、そう言われれば、同じような経験をしたことがあります。それも夢の中で夢を見ていたんでしょうか?」
「どんな感じだったんだい?」
「私はミステリーを読むのが好きだったんですが、時々、読みながら自分が主人公になってしまったんじゃないかって錯覚を感じることがあったんです。他の人が本を読んだ時、どんな気持ちになるかということが分からなかったので、他の人も皆同じように、小説の中に入り込んで本を読むものだって最近まで思っていました」
「その気持ちは分かる気がするよ。人それぞれなので、典子ちゃんと同じような気持ちになっている人も少なくないとは思うけど、客観的に本を読む人もいる。それは映像を見る時にどう感じるかということが少し影響しているのかも知れないね」
山田さんが口を挟んだ。
この意見にも、こういちは賛成だった。
「テレビドラマだったり映画化されたりした小説を、最初に映像を見てから本を読むか、あるいは本を読んでから映像を見るかでまったく違った感覚になりますよね」
と典子がいうと、
「そうだね。昔、映画のキャッチフレーズで、『読んでから見るか、見てから読むか』というものがあったんだよ」
「それは面白いですね」
とこういちがいうと、
「映画の主催が、出版会社だったこともあって、映画の興行だけではなく、本を売りたいという本音があったからなんだと思うけど、僕はあまり賛成はできなかったな」
「どういうことですか?」
「原作を読んで映像を見るよりも、映像を見てから原作を読む方が、絶対にいいからさ。本を読むということは想像力を高めることであるのに、映像は、その想像力に制限をかけてしまう。だから、先に本を読んでしまって想像を豊かにしてしまうと、映像からは、制限しか生まれないんだ」
こういちも、典子も、
「その通りだ」
と思った。
さらに、山田さんは口を開いた。どうやら、話はここで終わりではないようだ。
「でもね、たまに不思議な感覚を持っている人もいたりするんだよ」
「どういうことですか?」
「自分は絶対に原作を読んで映像を見るようにしているという人の話を聞いたことがあったんだ。僕は不思議に思って、『どうしてなんですか?』って聞いてみたんだけど、その人はニコリと笑ったんだ」
二人は固唾を飲んで次の言葉を待っていた。
「その人がいうには、『原作を読んで映像を見ると、夢を見ているような感覚になる』っていうんだ」
「夢を見ている?」
「ああ、そこからが不思議な感覚なんだが、『夢の中で夢を見ているといえばいいのかな?』って答えたんだ。一度見た夢から覚めようとする時、まだ夢を見ているという感覚が残っているというんだ」
「どういうことなんでしょう?」
「僕が思うに、最初の原作のイメージがあまりにも強すぎて、映像を見ることで、自分が夢の中にいるような感覚に陥るらしい。しかも、映像を見終わって、映像に制限があることに気づくと、目を覚まそうとするらしいんだが、その目を覚まそうとしている感覚が、まだ夢の中にいるような感覚だっていうんだ。その人は、本を読む時にだけ感じる感覚ではなく、時々、本当に夢を見ていて感じることでもあるらしい。彼の特殊な感性がそうさせるのか、それとも、夢の力が彼に影響を及ぼしているのかの、どちらかではないかと思うんだ」
「なるほど、そういう考えもありますね」
「典子さんはどうですか? 典子さんも、夢の中で夢を見ているような感覚を感じるんでしょう?」
「ええ、でも、夢の中で夢を見ている感覚は、目が覚めてから感じることなんですよ。ただ、完全に目が覚めてしまう前に感じておかないと、感じることのできないことで、そういう意味で、夢から目が覚めるまでの時間がとても重要な気がするんです。先ほど話に出ていた、『夢というのは、目が覚める寸前の瞬時に見るものだ』っていう発想に繋がってくるんですが、夢と現実の狭間の時間は、さほど関係ないと思っていたんですが、夢が一瞬だと思えば、狭間の時間が意外と重要なのではないかと思うようになりました」
と典子がいうと、
「そうなんだよね。夢と現実の狭間を考えると、僕の考えでもある、『夢と現実とは違う次元のものだ』という発想に繋がってくるんだよ」
と山田さんが言った。
「さっき、山田さんは、自分の考え方が少し違うような言い方をしたけど、こうやってお話をしてくると、結局繋がってくるんじゃないですか。やっぱり、考え方を人と話すというのは、自分だけで考えていては解決できないことを解決できるように思えてきますよね」
とこういちが答えた。
「そうですね、僕が夢と現実の世界の次元が違うと最初に感じたのは、さっき話題に出た『夢というのは、目が覚める寸前の瞬時に見るものだ』という発想からだったんだけど、確かに目が覚めていくにしたがって、夢の感覚が薄れていく。どんなに長かったと思った夢であっても、夢が終わって、現実に引き戻される、いわゆる『夢と現実の狭間』の時間の方が、長くなってくるんですよ。完全に目が覚めてから、その二つを比べても、『夢と現実の狭間』の方が長いように思えるんですよね。この感覚から、夢と現実の間には、何か結界のようなものがあって、何かのパスがなければ、開くことのできないものではないかって思ったんです」
と山田さんが言うと、
「それはおかしい気がしますね。もし、そうなら、そう簡単に夢を見ることもないように思えるんですよ。夢を覚えていることが少ないことを考えると、ひょっとすると、毎日夢を見ていて、ただそれを覚えていないだけではないかとも思える。そうなると、パスのようなものがあるという考え方は、矛盾に感じるんですよ」
とこういちがいうと、
「そうなんですよ。僕もその矛盾を感じた。だから、今度はその矛盾を解消するための発想として、まったく逆の作用を考えたんです。つまり、夢と現実の間には確かに次元の違いはあるけれど、結界などはなく、ただ誰も意識していないだけで、いつでも相互を入れ代わることができるのではないかってね」
と山田さんが答えた。
「それは少し過激というか、思い切った発想ですよね」
半分呆れたような表情になっていた典子だったが、すぐに思い直したようだ。それは、次の山田さんの言葉を聞いたからだ。
「そうかな? だって、さっきから話していて、まったく違った発想に思えたことがいつの間にか重なってくるのを感じるようになったんじゃないかい?」
そう言われて、典子はつい今していた呆れたような表情がみるみるうちにこわばってくるのを感じた。
「確かにその通りです」
典子は真剣な表情で、山田さんの顔を見ていた。別に叱られたわけではないのに、借りてきた猫のように、恐縮してしまっていた。