心理の挑戦
「でも、考えてみれば、同じ状況に陥るのに、同じ話を同じタイミングでしている相手とであれば、一番信憑性があるような気がしませんか? この二人が同じ状況に陥ることがないのであれば、他のどんな人でも同じ状況に陥ることはないんじゃないかって思うんですよ。ただ、あまりにもうまくいきすぎていると思うのは、何か一つきっかけがなければそんな状況に陥ることはありえないと思っているからではないですか? 僕は正直今そう思っています。逆に橋爪君も今同じことを思っているとすれば、それは偶然ではなく必然なんだよ。そう思うと、偶然という言葉の方が、信憑性の低いことに対しての言い訳のように思えるんだけど、考えすぎだろうか?」
山田さんの話は理屈っぽい。しかし、同じ話をするのでも、山田さんでなければ、うまく言うことはできないだろう。
「その通りですね。僕はそのきっかけが何かというよりも、きっかけの存在があるから、気になる期間が結構長く続いていて、最後には記憶から欠落してしまうという結果を招くような気がします」
「橋爪君も同じ発想のようなので、ここで言っておきたいんだけど、忘れてしまっているように思えるのは、記憶喪失ではなく、記憶から欠落しているからなんじゃないかという思いなんだ。どこが違うのかと言われると難しいと思っていたけど、逆に、長い間気になっていて、それが急に意識から消えてしまう時、記憶が欠落していると言えるんじゃないかな?」
この発想は、こういちの目からもウロコが落ちた気がするものだった。
そんな話をしていると、また典子が違う話をし始めた。
「私の友達で、小説家を目指している人がいるんですが、その人はSFチックな話に興味を持っているようで、パラレルワールドとか、タイムマシンとかの本を一生懸命に読んでいたんですよ」
「そういえば、僕も中学生の頃、興味を持ってそんな本を読んだことがあったっけ。タイムパラドックスの本なんかも、何冊か読んだことありますよ」
と言ったのは、山田さんだった。
「私の友達がいうには、『タイムマシンというのは、未来に対してはありえるんだけど、過去に行くことはできないような気がする』って言っていたんですよ」
それを聞いた山田さんは、
「その人が言っているのは、きっと『親殺しのパラドックス』という話から来ているんじゃないかな?」
「というのは?」
こういちが口を挟んだ。
こういちも「タイムパラドックス」という言葉は聞いたことがあった。しかし、言葉を聞いたことがあるというだけで、意味は分かっていない。前に聞いた時は、さほどSFチックな話に興味を持っていなかったからだ。
しかし、今となってみると、無視できないところがある。何と言っても、
「お前を見た」
と言われたあの頃、自分の目の前にあった鏡に写っているはずの人が写っていなかった一瞬でも見たからだ。
錯覚だったと言えればいいのだが、説得力はどこにもない。
しかも、見たと思って疑わう余地もないはずの鏡が、本当は存在していなかったのだと聞かされた時の驚きは、今考えても恐ろしかった。
だが、そんな感覚もある一瞬をきっかけに忘れてしまっていた。当然思い出す時もあるきっかけが必要だったのだが、忘れてしまう時よりもハードルは高くなかったはずなのに、きっかけがあったということは、忘れてしまう時よりも、しっかりと意識の中に残っていた。
「『親殺しのパラドックス』という言葉に代表されるように、過去に行って、歴史を変えてしまった時にどうなるかということなんだ。例えば、自分がタイムマシンに乗ったり、ワームホールに落ち込んで、過去に行ったとして、そこで自分の親を殺すというシチュエーションを思い浮かべると、理論的にどうなるかというのが、『親殺しのパラドックス』と言われるものなんだ。実際に教材のようなものなのかどうかは分からないけど、タイムパラドックスのサンプルとして、話されることが多いので、橋爪君にも教えておいた方がいいだろうね」
と、山田さんは話した。
さらに山田さんは続ける。
「タイムマシンで過去に行くと、よく言われるのが、『過去を変えてはいけない。その時代の人と関わりを持ってはいけない』と言われるんだよ。どうしてだと思う?」
「未来が変わってしまうからですか?」
「そうだよ。時代や時間というのは、過去からずっと一本の線で繋がっているんだ。そして行き着いた先が今であり、過去が変わってしまうと、今が変わってしまう。たまに、ビックバンのような爆発が起こって、ブラックホールが発生し、世界はブラックホールに飲み込まれるなんて言う話も聞いたことがあるけど、それは少し本末転倒な気がするけどね」
と言って山田さんは笑った。
「でもね、過去を変えてはいけないということと、『パラドックス』という言葉の説明に、親殺しという話をするのが一番理に適っていた李するんだよ」
「どういうことですか?」
「自分が過去に戻って、親を殺すとするだろう? するとまずどうなる? もちろん、自分が生まれる前の親だというのが前提だけどね」
「親が死んでしまったら、僕は生まれてきませんよね」
「そうだよね。だとすると、君は親を殺しにいけなくなる」
「あっ」
「そうなんだ。つまりは、親を殺しに行かないと、君は生まれてくることになるんだ。生まれてくると親を殺しに行くだろう? そうすると、君は生まれてこない。つまりは、『タマゴが先か、ニワトリが先か』という話に似通っているんだよ。どちらにしても、二つの条件を満たす回答は永遠に生まれないわけだ。そういう理屈を『パラソックス』っていうんだ」
なるほど、「親殺し」のたとえは実に分かりやすい。
「分かりやすいですね、。そのたとえは。でも、あまりにも漠然としてい過ぎているので、何か矛盾があっても、分からない気がしてきますね」
「確かにその通りなんだ。この話は難しいということもあるけど、あら捜しをすると、至ところに矛盾が潜んでいるような気がするんだ。何しろパラドックス自体が矛盾のようなものだからね」
「たとえば、自分が過去に戻った場合というのは、それから以降の自分というのは、どうなるんでしょうね?」
「たぶん、目の前から消えることになるんだろうけど、過去から戻ってくる時、自分が過去に旅立った時間、場所、そこに戻れば、元々からいなかったという事実はないわけですよね。だから、何も問題ないんじゃないかな?」
「でも、それは過去に戻って、過去の歴史をまったく変えていないという確証がなければ、過去から見た未来、つまりは過去に旅立ったその場所に、その時間、自分がいるという保証はないですよね」
「もちろん、そうですよ」
「でも、人が過去に戻ったという事実だけで、すでに歴史が変わっているんじゃないですか?」
「それも言えるとは思うんだけど、これこそパラドックスだよね」
「どういうことですか?」