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第五章 騒乱の居城から

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 穢れを知らぬ、可憐な桜の精のような美しい貴族(シャトーア)の少女と、大華王国一の凶賊(ダリジィン)に属する少年の組み合わせ。天と地とが手を繋ぎ合うようなことがありうるのだろうか――。
 彼らの指揮官は、決して人望のある人物ではなかった。しかし、今の叫び声には真実味があった。
 高貴な娘を救え、という言葉も、彼らの正義感を大いに刺激した。
 場の空気が一気に緊張に包まれたのを、ルイフォンは感じた。
 メイシアにここまでやらせておいて、元の木阿弥にするわけにはいかない。この場をどう切り抜けるか。
 彼は、彼女の肩に回した手に力を込めた。
 そのとき――。
「騒ぐな! 無礼者ども!」
 半音がかすれたような、ハスキーボイスが鋭く響き渡った。
 屋敷の窓のひとつが勢いよく開かれ、反動で壁に打ち付けられた窓硝子が悲鳴を上げた。
 バルコニーの上で、仕立ての良いスーツに身を包んだ少年が、荒い息を吐いていた。
「何者だ……?」
 あたりがざわめく。
 少年の後ろから緋色の衣服を纏った美女が慌てて飛び出してきて、彼を守るように前に出た。少年は、そんな美女に首を振った。彼女を押しのけて再び前に出ると、皆に向かって右手の甲を見せる。その指には、金色の指輪が嵌められていた。
 遠くから子細は分からなくても、その仕草から家紋の入った当主の指輪に違いなかった。まだ細い少年の指には不釣り合いだったが、それは陽光を跳ね返して、燦然と輝いていた。――その指輪は、彼らの父が密かに家を出たときに、自室に残していったものだった。
「ハオリュウさん、危険です。警察隊の中に、斑目の者が混じっている可能性があります」
 声を潜めたミンウェイの声は、当然のことながら庭には届かなかったが、それを聞き取れたはずのハオリュウは、彼女の弁を無視して叫んだ。
「僕は、藤咲ハオリュウ! 貴族(シャトーア)の藤咲家の者です。父の代理として、ここに来ました!」
 ルイフォンは、傍らに立つメイシアの口が「ハオリュウ……」と漏らすのを聞いた。
 やっとその目で直接、無事を確認できた異母弟。名前を呟くだけで精いっぱいで、それ以上の言葉はない。彼女の黒曜石の瞳に涙が浮かび上がり、煌めきに満ちる。
 そんな彼女の黒髪を、ルイフォンはくしゃりと撫でた。「よかったな」との思いだが、口に出してしまうと陳腐すぎるので、無言だ。
 ハオリュウの登場は力強い援軍だった。指輪の後ろ盾を持った貴族(シャトーア)は、警察隊に対して絶対の権力を持つ。彼がいれば、この場はうまく収まるだろう。
 安堵の溜め息をついたとき、ルイフォンは鋭い視線を感じた。はっと、その方向を見て肌が粟立つ。
 ハオリュウだった。
 射抜かんばかりの、強い憎悪の念が向けられていた。
 味方として現れたはずの彼が何故……と思った瞬間、ルイフォンは、はたと気づいてメイシアに回していた手を離した。
「全員、そのまま待機してください。凶賊(ダリジィン)の方も。――もし、凶賊(ダリジィン)の方々が動くようなら、警察隊の方は発砲して構いません」
 少年の声に似合わないような冷酷な指示が下される。
「しばらくお待ちください。そちらに参ります」
 彼はそう言って踵を返すと、バルコニーから姿を消した。
 ほどなくして玄関から現れたハオリュウに、警察隊員たちも凶賊(ダリジィン)たちも黙って道を開けた。まるで古くからの護衛のようにミンウェイを従えた彼は、再会の感動に打ち震える異母姉とは対照的に、険しい顔をしていた。
「姉様、ご無事で何よりです」
 その声は、あまりにも事務的で、電話越しの再会を果たしたときの彼とは別人のようであった。
 違和感を覚えたルイフォンは、ちらりとメイシアを見やる。しかし、彼女もまた異母弟の様子に戸惑っているようで、不思議なものでも見ているような顔をしている。
 そんな異母姉に、ハオリュウは硬い表情を変えぬまま一歩近づき、小声で囁いた。
「姉様。やっぱり姉様は、この凶賊(ダリジィン)に脅迫されていて、言いなりになっていただけ、ということにしていい?」
「え?」
 メイシアは、涙が盛り上がっていた目を見開いた。
「このままだと、姉様は凶賊(ダリジィン)と駆け落ち騒動を起こした、ふしだらな娘という汚名を背負って生きていくことになるんだよ?」
 そう言いながら、彼はルイフォンに穢らわしいものを見る目を向ける。
「な……!」
 反射的にルイフォンは何かを口走りそうになったが、ハオリュウの酷薄な視線がそれを押しとどめた。
「今なら、まだ取り返しが付くんだ……!」
 かすれた高い声が、訴える。
 まっすぐに異母姉を見て、ハオリュウは、ぐっと拳を握りしめた。その手の指には、無骨な指輪が光っている。家族を守る当主の指輪。子供の彼には重すぎる、それが――。
「姉様、お願い!」
 メイシアの息が一瞬、詰まった。
 しかし彼女は、自分を見つめる異母弟から目を逸らすようにうつむいた。メイシアの伏せた瞼の隙間から、ひと筋の涙があふれ、白い頬を伝う。
「ごめんなさい、ハオリュウ。私はルイフォンを、鷹刀の人たちを助けたい……」
「分かった……」
 ハオリュウは一瞬だけ、泣き笑いのように、くしゃりと顔を歪めた。少なくともルイフォンにはそう見えた。
 その次の瞬間、ハオリュウは勢いよくメイシアの手を取り、自分の方に引き寄せた。
「姉様! その男から離れなさい!」
「ハオリュウ!?」
「これ以上、我が藤咲家の家名に泥を塗るような真似は、僕が許しません!」
「えっ……?」
「一時の気の迷いで、このような者にうつつを抜かすとは……! 恥を知ってください!」
 ハオリュウは家紋の入った指輪をはめた手で、ルイフォンを鋭く指差す。
 その場にいた者たちはハオリュウの指先に操られたかのように、突き刺すような目線をルイフォンに向けた。
 当主代理の激しい憎悪は並ではない。ならば、そこにいる凶賊(ダリジィン)の若者は、貴族(シャトーア)令嬢をたぶらかした極悪人に間違いない。
 だが……その傍らには、涙を流す美しい少女がいる。
 つまり、貴族(シャトーア)の少女の言ったことは本当のことなのだ。――警察隊員たちは、暗示にかかったかのように、皆そう思った。
「皆様、お見苦しいところをお見せしました。どうか、このことはご内密に……」
 メイシアの手をきつく握ったまま、周りを取り囲む人の輪に向かって、ハオリュウは形ばかりの礼をとる。言葉だけは丁寧であるが、迂闊なことを外部に漏らせば、ただでは済まさぬと言っているのが見て取れた。
「異母姉は無事に保護しましたので、警察隊の方々はお引き取りを。あとのことは、僕と指揮官の方にお任せください」
 そう言ってハオリュウは、窓から顔を覗かせている指揮官を見上げた。


作品名:第五章 騒乱の居城から 作家名:NaN