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第五章 騒乱の居城から

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2.鉄錆色に潜む影ー1



 強引に場を収めたとはいえ、指揮官の指示がなければ警察隊は動けない。隊員たちは、しばらくは無為に庭に立ち尽くすしかないだろう。
「警察隊の指揮官のいる場所に案内してください」
 ハオリュウは、ずっと付き添ってくれていたミンウェイを振り返った。
 ルイフォンに対しては無視である。それでいて、あからさまな敵意を放ってくるので、ルイフォンは不快げに「おい」と声を掛けた。
「ああ、あなたも一緒に来てください。異母姉の想い人ということになっていますから。そういう『演技』で」
「ハオリュウ!」
 メイシアが声を上げる。それは非難か叱責か狼狽か。彼女自身にも分からなかったに違いない。
 ハオリュウは異母姉にちらりと目をやると、ルイフォンに近寄り、周囲を気にしながらも、はっきりと言った。
「貴様……鷹刀ルイフォン、だったな。公衆の面前で僕の姉様に、はしたない真似をさせた罪、いずれ後悔させてやるからな!」
 まだ低くなりきれないハスキーボイスが、精一杯のどすを利かせる。
「ハオリュウ! あれは、私が勝手に……! ルイフォンには言ってなかったの!」
 メイシアが真っ赤になって叫び、目を吊り上げたハオリュウの服を引っ張る。
 小賢しい口を利くハオリュウ。しかしそれよりも、ルイフォンは、顔を赤らめ、異母弟に向かって真剣に怒り、焦る――自然な表情を見せるメイシアを可愛いと思ってしまった。
 ルイフォンの口元に笑みが浮かぶ。瞳に、猫のようないたずらな光が宿った。
「ハオリュウ、俺は後悔なんてしないぜ?」
「なっ!?」
 ルイフォンの予想外の反応に、ハオリュウは驚きの目を向けた。
「俺はメイシアのキスを後悔なんてしない。それでお前の報復が来るっていうなら、受けて立つ」
「ル、ルイフォン!?」
 メイシアが更に顔を赤くする。
 ルイフォンは、そんな彼女の頬に口づけ、慌てる彼女に余裕たっぷりに笑いかけた。穏やかで大らかで、抜けるような青空の清々しさ。自信に満ちた優しい風が彼女を包み込んだ。
「き、貴様……!」
 ハオリュウが唇をわななかせる。論争なら大人にも引けを取らないはずの彼が、怒りが先走りすぎて言葉も浮かばない。
「それより。今は行くべきところがあるだろ」
 掴みかからんばかりのハオリュウを、ルイフォンが冷静なテノールが押しとどめた。
「指揮官のところだな。案内するぜ」
 癖のある黒髪を翻し、ルイフォンが歩き始める。そのあとを、メイシアが「待ってください」と、軽やかに追いかけた。
 取り囲んでいた群衆の中から、凶賊(ダリジィン)たちの冷やかしが上がり、ルイフォンがメイシアを抱き上げてそれに応える。メイシアの可愛らしい悲鳴と共に、拍手喝采が沸き、ふたりを通す道が作られた。
 ハオリュウは唖然として、口を半開きにしたまま言葉を失っていた。
「ハオリュウさん」
 干した草の優しげな香りが、ふわりと漂う。波打つ長い髪がハオリュウの頬に触れ、彼はどきりとした。ミンウェイが足音もなく、すっと彼の横に現れた。
「ルイフォンが生意気を言って、すみません」
「彼は何者ですか?」
「総帥イーレオの末子で、昨日、メイシアさんが屋敷に来てから仲良くさせていただいている者です」
「仲良く……?」
「あ、いえ……」
 ハオリュウの顔が険を帯びるのを見て、ミンウェイは慌てたように口元を抑えた。彼女は、可愛い叔父様が『面白いことになっている』のを密かに応援しているのだが、異母弟のハオリュウにとっては、とんでもないことだろう。「ともかく参りましょう」と、取り繕うように促した。
「ミンウェイさん、あとで事情をお聞かせ願えますか?」
 隣を歩きながら、ハオリュウはミンウェイを見やった。彼としては悔しいことに、子供の彼よりも彼女のほうが背が高く、『見上げる』形になる。
 そして、意識してのことではないのに、光沢のある緋色の絹地に色濃く影を落とす双丘が目に入る。豊かに揺れるその中に、さきほど抱きとめられたことを思い出し、彼は顔を赤らめた。
「俺としても、いろいろと事情を説明してもらいたいね」
 リュイセンが、苛立ち混じりの低い声で、ミンウェイとハオリュウの間に割って入ってきた。
 彼は、あからさまに不快気な視線をハオリュウに向けると、「ふん」とばかりに顔を背けた。この貴族(シャトーア)の餓鬼とミンウェイが、どういう経緯で知り合ったのか分からぬが、当然のように行動を共にしているのが気に食わない、との思いである。
 しかし、一方のハオリュウは「あ、あなたは……」と顔色を変えた。
 彼は、リュイセンの中性的な黄金比の美貌を見つめ、次に筋肉質の雄々しい体躯に羨むような目を走らせると、深々と頭を下げた。
「異母姉が危険なところを助けていただき、ありがとうございました」
「は?」
 毛嫌いしている貴族(シャトーア)のまさかの言動に、リュイセンは鳩が豆鉄砲を食らったような表情になった。
「あなたが凶賊(ダリジィン)でなければ、護衛として是非、我が家に迎えたいところです」
 本当に残念です、と真顔で言われ、リュイセンは救いを求めるようにミンウェイに視線を向ける。しかし、彼の従姉は、すべてを見透かしたような笑みを浮かべながら、「リュイセン、光栄ね」と綺麗に紅の引かれた唇を動かしただけであった。


 一方、そのころ執務室では、指揮官が顔を紫に染め上げていた。
「指揮官殿、同情いたしますよ」
 低く魅惑的な、笑いと艶(つや)を含んだ声が掛かった。桜の舞台がお開きになったため、ベッドに戻ったイーレオである。
「貴族(シャトーア)令嬢が親御さんに反発して家出……それだけで動員される警察隊の方々は、いい迷惑ですねぇ。ただ、まぁ、これも娘可愛さゆえ。お仕事だと思うしかありませんな」
 イーレオがのんびりとした調子で、部屋の中まで迷い込んできた桜の花びらを手に取る。
「……貴様、貴様ぁっ!」
 何がどうなっている!?
 指揮官は混乱していた。
 貴族(シャトーア)の娘の言ったことは嘘だ。彼女と凶賊(ダリジィン)の男は初対面だ。恋仲などではない。
 なのに、いつの間にか身分違いの恋物語になっている。鷹刀一族も藤咲家の者も、示し合わせたように、ひとつの芝居を作り上げている。
 いったい、これはどういう状況だ? ――指揮官は、決して豊かではない毛髪を、惜しげもなく掻きむしる。
 彼が金袋とともに請け負った仕事は、鷹刀イーレオを誘拐犯として捕らえる、というものだった。その後、それは誘拐殺人犯に変更された。死体はジャガイモの布袋に入れて届けると、出動直前になって通告された。
 たった、それだけの、簡単な仕事のはずだった。
 勿論、鷹刀一族は大華王国一の凶賊(ダリジィン)であり、そこらのチンピラとは格が違う。
 だから、逮捕の際に凶賊(ダリジィン)たちが大暴れすることを危惧して、斑目一族の猛者も貸し与えられた。すなわち、彼の背後、出口を塞ぐように壁際にずらりと立ち並んだ大男たちである。
「お、お前ら……」
 指揮官が震える声を絞り出し、男たちを振り返った。
「鷹刀イーレオを討ち取れ!」
 手ぶらで帰ったら殺されるに違いない。
 だが、鷹刀イーレオの首級を上げたなら?
作品名:第五章 騒乱の居城から 作家名:NaN