第五章 騒乱の居城から
血の気の引いた紫色の唇を震わせ、言葉を失っているメイシアの目の前に、癖のある猫っ毛が広がった。
「すまんな。警察隊相手ならお前には害が及ばない、と考えた俺の認識が甘かった」
ルイフォンが口元を結び、いたずら猫の表情が消えた顔で、前を見据える。その先には、こちらを向いた銃口――。
「メイシア、車の中に戻れ」
小声でルイフォンが囁く。
「話ならスピーカー越しでもできるだろ」
「え……、あ……」
メイシアらしくなく、歯切れ悪く口籠る。違和感を覚えたルイフォンだが、今は彼女の身の安全が最優先だった。
「メイシア、早く!」
急かせると同時に鋭く目を光らせ、これから凶弾が生まれいづる確率とタイミング、そのときの軌道を導き出しておく。
警察隊員の指の動きと、筒先の角度。この場にふさわしくないほどに軽やかな春風の流れ。研ぎ澄まされた感覚でそれらを読み解き、時々刻々とした変化に合わせて補正を加える。
警察隊の男がにやりと嗤った。
「替え玉に、用はありません」
「メイシア――!」
血相を変え、ルイフォンが叫んだ瞬間だった。
男の指がわずかに動いた。引き金に、命の重みを持った力が加えられる。
ルイフォンは身を翻した。癖のある黒髪が、たてがみのように大きく波打つ――と、同時に、鳴り響く発砲音……。
メイシアを抱きしめ、ルイフォンは地面に倒れ込んだ。そのすぐあとに、彼らの身代わりとなって車が被弾する――その着弾音が……聞こえなかった。
その代わりに――。
きん……と、澄み切った、甲高い音が響き渡った。
桜の舞台から弾き飛ばされる小さな影――メイシアを狙っていた凶弾が跳ね返され、回転速度を緩めながら蒼天を目指す。
舞台の上では、大気を震わす銀色の刃紋が、陽光を受けて立っていた。
「リュイセン!?」
ルイフォンが、目を見開いて叫ぶ。
肩までの髪がさらりと流れ、黄金比の美貌が現れた。両の手に光を宿した『神速の双刀使い』。
枝から離れたばかりの薄紅色の花びらが一枚、神速の煌めきの余波で斬り裂かれていた。綺麗にふたつに分かれ、宙を舞っている。
「さ……さすが、リュイセン様!」
凶賊(ダリジィン)のひとりから、感嘆の声が上がる。それを口切りに凶賊(ダリジィン)たちから拍手喝采が沸き起こった。
「ひゅー、最高だぜ!」
警察隊の傲岸ぶりを腹に据えかねていた彼らにとって、一族の若者の妙技は、実に爽快だった。
そんな一族の浮かれように対し、リュイセンは無言のまま、汗の滲む掌に力を込めて柄を握り直した。引き締めた筋肉、それと一体化した双刀が、ぴくりと動く。
――と、そのとき、銃声が鳴り響いた。
リュイセンは即座に地を蹴った。土の付いた青芝生が跳ね上がる。
ぴしり……と、車のドアガラスにひびが入った。
「公務執行妨害ですよ」
高圧的な声に、その場の空気が一気に凪いだ。
リュイセンは着地すると同時に、男に向かって疾(はし)り出す。
にやりと嗤った男の手の中の銃身が火を吹く。一撃、二撃……。射出の反動を物ともせず、続けてリュイセンを狙い来る。
……きん……きぃん……。
木霊する金属音。
リュイセンの右手が風を薙ぎ、左手が光を放つ。
あっという間に、両者は互いの瞳に、自分の姿を映せるほどにまで近づいた。
リュイセンが双刀を大きく振りかぶり、光の筋を描く。だが、同時に、硝煙まみれの男の拳銃がリュイセンの額を捉えた――!
「……!」
ほんの刹那の時。
その場にいた誰もが、息を呑んだ。
ふっ……と、リュイセンの体が沈んだ。
男が、はっと顔色を変えたときには、リュイセンの鋭い膝蹴りが男の腹を貫いていた。
胃液を吐きながら、青芝生を散らして転がる男に、リュイセンは虫けらでも見るような目を向ける。
「邪魔をするな。お偉い貴族(シャトーア)のお嬢ちゃんが、話があると言っているんだ。警察隊の分際で、貴族(シャトーア)に逆らうんじゃねぇ!」
リュイセンのかかとが男のみぞおちに落とされ、男は白目をむいて動かなくなった。
それから彼は、自分に注目している警察隊員たちを睥睨する。上官たる先輩隊員に暴行を加えた凶賊(ダリジィン)を、捕まえようとする者は誰もいなかった。
リュイセンは彼らに、くるりと背を向けた。さらさらの髪をなびかせ、そのまま悠然と車のほうへ――ルイフォンたちのもとへと戻る。
呆然としていたメイシアは、我に返って頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!」
「俺は頼まれた役割を果たしただけだ」
ややもすれば投げやりにすら聞こえる、ぶっきらぼうな声でリュイセンは応じる。
「役割……?」
「お前が話をできる状態を作れ、というのが、俺たちへの指示だろう? あとはせいぜい頑張ってくれ」
命を賭して、神業ともいえる見事な刀技を披露した『神速の双刀使い』は、実に面倒くさそうに言ってのけた。
作品名:第五章 騒乱の居城から 作家名:NaN