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第五章 騒乱の居城から

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幕間 青空の絆



 俺とルイフォンの関係は、説明するのが難しい。
 父上と奴が異母兄弟だから、奴は俺より年下でも『叔父』。このことに間違いはない。
 だが、俺たちが生まれた経緯はそんな簡単なものじゃないし、俺たちの間柄はそんな単純なものじゃないのだ。


 ある日、俺は屋敷の庭で大の字になって寝転がっていた。
 愛刀は腰から外し、両手両足を投げ出す。武術師範のチャオラウに、こてんぱんにやられたあとだった。
 そのときの俺は、まだ十かそこらだったけれど、並の凶賊(ダリジィン)には引けを取らないと自負していた。けれど、兄上が俺と同じ歳のころには、チャオラウから三本に一本は取れたという。
 悔しい……。
 兄上には天賦の才があると言われている。いずれはチャオラウを超えて、鷹刀一の男になるだろう。
 しかも、兄上は人格者だ。凶賊(ダリジィン)の直系のくせして、穏やかで人当たりがよい。刀を手にすれば冷酷無比になれるくせに、だ。
 兄上がいれば鷹刀は安心だ、と皆が口にしている。正直、気難しいと思われている父上よりも、兄上のほうが人望があると思う。
 ならば、俺はいったい、なんのために存在するのだろう?
 俺は空を見上げた。
 青い、青い色が目に染みる。
 桜の葉の、さわさわという歌が聞こえてくる。
 萌える緑の香りが周りから押し寄せ、汗ばんだ肌に初夏の風が心地よい。
 自然は、力強い。
 俺の心の澱(おり)など、ちっぽけなことだと笑い飛ばすかのように。
 ――と、大地の振動が、誰かが近づいてきたことを知らせてきた。
 庭先で危険があるはずもないが、如何にもチャオラウにしごかれてヘトヘトです、といった体(てい)を晒すのはみっともない。俺は素早く身を起こすと、愛刀を腰に佩(は)いた。
 軽い足音から予測していたが、現れたのは子供だった。俺よりも少し年下くらいか。随分と生白(なまっちろ)い肌をしている。
 鷹刀では、親を失った一族の子供を屋敷で養っているから、そのうちのひとりだろうか。見かけない顔だから、新顔かもしれない。あるいは同じ屋敷内に住んでいても、直系の俺とは生活が違うから、俺が知らないだけかもしれない。
 そんなことを思いながら相手を観察していると、そいつは俺には気づかず、庭の主(あるじ)ともいえる桜の大木に向かって行った。そして、幹に向かって拳を突き出す。背中で一本に編んだ髪が大きく跳ねた。
「糞ったれ!」
 声で――というよりも言葉遣いで、男だとわかった。正直、外見からだと、どちらとも判別できなかったのだ。
「随分と弱いパンチだな」
 俺が声を掛けたのは、気まぐれだったと思う。
 木の葉一枚、揺らすことのできない拳は、子供としても弱すぎる。鷹刀の敷地内にいる男なら、強くあるべきだ。表面的には、そんなことを思っていたような気がする。だが実のところ、落ち込んでいた俺は、明らかに格下の相手に粋がりたかったのだと思う。
 俺の気配に気づいていなかったそいつは、驚いたように振り返った。
 編んだ髪が円を描き、鋭い猫のような瞳が光る。瞬間的に、空気を斬り裂くような気配が膨らんだ。この俺が、気圧されるほどの――。
「あ、お前は、『リュイセン』!」
 そいつの鋭さは一瞬だけで、あっという間に人懐っこい笑顔に取って代わられた。
「お前……」
 取るに足らぬと思っていた相手に、刹那とはいえ怯(ひる)んでしまったことが俺は恥ずかしく――苛立たしく……。しかも、年下のくせに呼び捨てにしてきたものだから、俺の怒りは沸騰寸前だった。
 低く唸る俺の声を……そいつは聞いちゃいなかった。嬉しそうに俺の方に駆け寄ってくると、一方的にまくし立てた。
「パンチなんかしてねぇよ。俺が指を痛めたら、仕事になんねぇだろ。見ろ、爪だって、いつも短く切ってある」
 そいつは偉そうに言いながら、掌を見せてきた。
「……は?」
 唖然とした俺は、そいつの指先ではなく、顔のほうをまじまじと見つめた。
 その視線の意味に気づいたそいつは、「うっ」と小さく呻き、罰(ばつ)が悪そうに唇を尖らせる。
「……母さんが俺のことを小馬鹿にしやがったんだ」
「……」
「てんで、お子様だって! むかついたから、そこの木に八つ当たりしようとしたんだ。けど! 俺は直前で指を守った!」
 いきなり、そいつは胸を張る。
「――プロ意識ってやつだな!」
 そう言いながら、得意気に口の端を上げた。さっきまで人懐っこかった笑みは、いつの間にか不敵な笑みにすり替わっている。
 ……怒っているのか、自慢しているのか、理解に苦しむ。すっかり毒気を抜かれた俺は、ぼそりと突っ込んだ。
「お前、充分に子供だろうが……」
 その途端、そいつの雰囲気ががらりと変わった。
「はっ! 餓鬼だから、その程度で『よく出来ました』ってヤツ? 年齢に甘えるなんて阿呆だろ。同じ土俵に立ったら、周りは全部、敵(ライバル)だ」
 俺よりもだいぶ背の低いそいつが、斬りつけるような目で俺を見上げてくる。
 強い。
 実際に戦ったら、一瞬で俺の勝ちが決まるだろうが、そういう意味ではなくて――。
 魂が、強い。
「……お前、名前は?」
 そう尋ねた俺に、そいつは、すうっと目を細めた。
「お前、やっぱり俺が誰か、分かってなかったんだな」
「え……」
 そいつは口角を上げて、にやりと笑う。
「俺は『ルイフォン』」
「な、なんだと……!?」
 俺は反射的に間合いを取った。愛刀の柄に手を伸ばし、いつでも抜刀できる姿勢を取る。
 奴は――敵だ。
「あ、そうくる? ……まぁ、予測していたけどな。この屋敷じゃ、俺たちは泥棒猫扱いだから」
 驚いたふうもなく、奴――ルイフォンは、癖のある前髪をくしゃりと掻き上げた。くるくると、よく表情が変わる。まさに猫だ。
 奴の余裕綽々な態度に、俺は身構えすぎた自分が格好悪く思えてきた。誤魔化すように咳払いをして、奴の姿を観察する。
 まだ子供だからかもしれないが、鷹刀の血族にしては随分と小柄で線が細い。色が白いのは、体を鍛えずに部屋に籠もってばかりいるからだろう。奴の母親はクラッカーで、奴自身もかなりの使い手と聞く。
 だが、時折見せる鋭さは、間違いなく鷹刀の血――。
「お前が『ルイフォン』か。父上の愛人だった女が産んだ、子供……」
 俺は言ってしまってから、はっと口を塞いだ。自分よりも年下のルイフォンに言うべき言葉ではなかった、と思った。
 だが奴には、俺の配慮なんか、まったく必要なかった。微妙に首を傾げて、こう尋ねてきたのだ。
「あれ、お前? ひょっとして勘違いしている? 確かに母さんは、お前の親父、エルファンの愛人だったけど、俺の親父はエルファンじゃないぜ? だから、俺とお前は異母兄弟じゃない」 
「ちゃんと知っているよ! お前の父親は祖父上だ。……ややこしいけど」
「別にややこしくないじゃん? お前の両親がいて、お前の兄貴が生まれた。次に、お前の親父が愛人との間に娘を作った。それから――」
 その先を言いかけた奴を、俺は自分の言葉で遮った。
「愛人に娘が生まれたから、母上は当てつけのように俺を産んだんだよ!」
作品名:第五章 騒乱の居城から 作家名:NaN