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第五章 騒乱の居城から

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 裏切られたような喪失感が胸にこみ上げてくるのを感じ、そしてそれは、それだけ鷹刀イーレオに期待していた証拠なのだと気づき、忌々しく、悔しくなってくる。
「その件は一切、我が藤咲家のあずかり知らぬことです。警察隊で処理なさってください。――指揮官に、ご冥福を」
 鷹刀イーレオには失望した。
 だが、過ぎたことは仕方ない。この双肩に掛かっているのは父と藤咲家の命運。すぐに次の行動に移らねば……。
 ハオリュウが背を向けようとしたときであった。
「ハオリュウ、 待って!」
 高い声が、鋭く彼の動きを遮った。
「イーレオ様は、そんな方ではないわ!」
 壁のように並んだ大男の間を掻き分け、異母姉メイシアがハオリュウに駆け寄る。その必死な様子に、彼は苛立ちを覚えた。
「何を言っているの、姉様!? 帰るよ!」
 異母姉の手を捕まえ、彼は踵(きびす)を返す。
「ハオリュウ!」
 ――と、彼の名を呼ぶ声が、『ふたつ』重なった。
 ひとつは、高く澄んだ、異母姉メイシアの声。
 もうひとつは、低く魅惑的な、鷹刀一族総帥、鷹刀イーレオの声――。
 対照的な音がつくるハーモニーに、メイシアは驚き、萎縮して口籠ったが、イーレオはゆっくりと押し切るように言を継いだ。
「斑目に下る気か?」
「はっ! 弁解でもするのかと思えば!」
 悪びれもせずに話しかけてくる厚顔さに、ハオリュウは蔑みの眼差しをぶつけた。だが、涼やかな顔のまま動じることのないイーレオに、更に不快感を募らせただけだった。
「そりゃあ、俺も、弁解のひとつくらいはしようと思ったさ。だが、面倒臭そうなのと、そもそも無意味だと気づいたからな」
「どういうことですか!?」
「いくらお前が貴族(シャトーア)でも、その場にいなかった事件には口出しできない。それに、お前はこの件に関して『藤咲家のあずかり知らぬこと』と警察隊に、はっきりと宣告しただろう?」
 激しく食らいつくようなハオリュウに対して、イーレオは凪いだ海のようにどこまでも穏やかだった。ハオリュウの傍らで恐縮しているメイシアにも、気にするなと目元で言う。
「ええ、そうです。藤咲家はあなたとはなんの関係もありません。それでは失礼します!」
「待てよ。ここは俺の屋敷(テリトリー)だ。俺の屋敷(テリトリー)内のものは、生かすも殺すも、俺次第だ」
「……なっ!?」
 イーレオの口角が、かすかに上がった。
「お前を守る者は誰もいない。そのことに気づいているか?」
 低く柔らかな言葉の波が回り込み、ハオリュウの足元をすくった。さらさらと崩れ落ちる砂の上に立っているような感覚に、彼は目眩を覚える。
 藤咲家に仕える彼の護衛は、門のところで待機させてきた。屋敷に入るときに護衛として連れてきた偽の警察隊員は、シュアンに射殺されている。そのシュアンは、警察隊員でありながら鷹刀一族と手を組んでいる。
 この執務室にいる、警察隊の制服を着た大男たちはどうか。イーレオの口ぶりと、あまりにも戦闘向きすぎる体つきから察するに、やはり彼らも偽者――斑目一族の凶賊(ダリジィン)と考えるのが妥当だろう。果たして、彼らは貴族(シャトーア)を守ってくれるだろうか――否。
 ハオリュウは苦々しげに唇を噛み、視線を下げた。汗でしっとりと濡れた拳を握りしめる。
 つまり、鷹刀一族と斑目一族の抗争のただ中に、丸裸で放り出されたも同然――。
「ミンウェイを護衛につける。門まで送らせよう。そこまでの安全は保証する」
「え?」
 今までの流れを逆流させたかのような、イーレオの唐突な発言。間抜けな声を出しながらハオリュウが顔を上げると、図らずとも直視してしまったイーレオの完璧な美の中には、どこか茶目っ気のある遊び心が隠されていた。
 困惑するハオリュウに、イーレオは眼鏡の奥の目を、ふっと細めた。
「上に立つ者は、決して選択肢を間違えてはいけないし、自らを危険に晒してもいけない。……たとえそれが、どんなにしんどくてもな」
 言葉の波がハオリュウに打ち寄せる。触れそうで触れずに戻っていく波は、ハオリュウの足元に複雑な砂紋を描いていた。それが何を意味しているのか、彼にはまるで理解できなかったが、引き波の行方はイーレオの過去なのだと、ぼんやりと潮の香だけを嗅ぎ取った。
 鷹刀イーレオは決して『善』ではない。なのに、いや、だからこそ、人を惹きつけてやまない。
 ハオリュウは、再びイーレオに呑み込まれそうになる自分を感じ、きつく拳を握った。
 ――口先だけだ。
 強く握りしめた掌に硬いものが食い込んで、痛かった。それが何か、見なくても彼には分かっていた。自分の指に嵌められた、重い金色の指輪だ。
「凶賊(ダリジィン)風情が、貴族(シャトーア)の僕に説教する気か!?」
 ハオリュウは、きっ、とイーレオを睨みつけた。
「ハオリュウ、そんなこと言わないで!」
 鈴を振るような声が、悲壮な色合いで割り込む。
「姉様は、都合が悪くなると、すぐに口封じをするような、人間の屑の肩を持つの!?」
「イーレオ様は、指揮官を傷つけてなどいないわ!」
 メイシアは、きっぱりと言い切った。その堂々たる態度に、いつも一歩引いた異母姉しか知らないハオリュウは耳を疑う。――が、すぐに言い返す。
「それ以外、考えられないだろ! 他に誰がやるっていうんだ!?」
「狂言だわ」
「……え?」
 ハオリュウは、メイシアをじっと見つめた。半分は血が繋がっているのに、まるで似ていない異母姉。生まれたときから見続けている美しい顔が、今は知らない人のように見えた。
「この状況を冷静に考えてみて。大前提として、イーレオ様に誘拐の罪を着せて、捕らえようとしている『誰か』が存在するのよ。そして誘拐の罪が晴れたらすぐに、傷害の罪が用意されている――不自然でしょう?」
「あ……」
 狙われていたのは鷹刀イーレオだ。彼を捕らえるために、貴族(シャトーア)のメイシアを屋敷に送り込み、警察隊を出動させる大義名分を作った人物がいる――。
 ハオリュウは愕然として、血溜まりの中に倒れる指揮官を見た。目的のためなら、ここまでする輩が相手なのか……そう思ったとき、ふと指揮官が荒く息を吐いたように見えた。
「指揮官!?」
 指揮官の体がびくりと動いた。痛みのあまり気を失っていたのだが、ハオリュウの声が刺激になって目覚めたらしい。
「う……。うう……」
 地獄の底から這い出そうとでもするように、血まみれの指先を伸ばす。
 今まで黙って様子を窺っていた、手錠の巨漢が口を開いた。
「貴族(シャトーア)のお嬢さん、随分と勝手なことを言ってくださいますね? いくら貴族(シャトーア)とはいえ、推測だけで物事を決めつけられては困ります」
 頬の刀傷を引きつらせながら、巨漢は物々しく顔を顰める。そして、警察隊の制服を着た大男たちに冷酷に言い放った。
「鷹刀イーレオを逮捕しろ。抵抗するようなら、見せしめに奴の身内を射殺しろ」
「なっ……」
 その呟きを、誰が漏らしたものかは判然としなかった。
 ただ、空気が緊張の色に染まったのは確かで、各々が好き勝手な色彩でもって染め上げた場は、混沌としていた。
 その中で――。
 ――銃声が、ひとつ。素早く鳴り響いた。
作品名:第五章 騒乱の居城から 作家名:NaN