二度目に刺される
「そんなことはないわ。私だって、彼氏がいればいいなって思うんだけど、別にいないことで焦ったり、まわりの彼氏がいる子を羨ましく感じることはないと言えばいいのかしら?」
やはり、健太とはだいぶ考え方が違っていた。この違いが男と女の感覚の違いなのか、それとも、自分がモテているという自信のようなものが余裕に変わって、そんな感覚を持たせているのかのどちらではないかと思っている。もし後者だとすれば、
「私はいつだってその気になれば、彼氏の一人や二人すぐに作ってみせるわ」
とでも言いたいのかも知れない。
しかし、そんな言葉は妹の早紀には似合わない。
――兄としての贔屓目なんだろうか?
妹にはいつでも毅然とした態度でいてほしいという思いと、自信過剰になってほしくないという思いとがいつも頭の中で交錯していた。それが、兄としての思いなのか、それともそれ以上の感情の表れなのか、その時の健太は、いつも分からないまま、堂々巡りを繰り返しているような思いを抱いていたのだった。
「お兄ちゃんがモテてるところ、想像できないわ」
いきなり、妹は話の矛先を兄に向けた。
「なんだい、いきなり」
というと、
「だってお兄ちゃん、私の答えにくいことを答えさせようとしているようなので、私の方から話題を変えてあげたわ」
「それにしても、僕のモテてるところが想像できないというのは、僕に魅力がないということだよね?」
というと、妹は、突き出した唇の前に人差し指を持って行き、吹きかけるようにしながら、人差し指を二、三度左右に振った。
「チッ、チッ、チッ」
否定しているようだ。
「そうじゃないのよ。お兄ちゃんは女性から見て、分かりずらいところがあって、お兄ちゃんの魅力に他の女性が気づいていないだけなのよ」
と言って、胸を張ってみせた。
それは、
――分かっているのは私だけ――
と言わんばかりのその表情に、健太は少し驚いていた。
「お兄ちゃんと、一番いつも一緒にいるのは私なのよ。当然じゃん」
とおどけたように言った。
「それもそうだね」
少しドキドキした自分が恥ずかしかったが、ガッカリするというよりも、内心安心したような気分になっていた。
「大丈夫。お兄ちゃんに彼女ができなかったら、最後には私が彼女になってあげるわよ。だから安心して」
「慰められているようだな。少し惨めになるじゃないか」
というと、
「そんなこと考えなくていいの。私はお兄ちゃんが私のところに帰ってきてくれてもいいように、それまで彼氏を作らないから」
「なんだよ。それじゃあ、最初から僕はお前の元に帰るのが決まっているようじゃないか?」
心は踊っていた。
「お兄ちゃんには安心していてほしいのよ。いつも心の中のどこかに余裕を持っていてほしい。私が見る限りでは、彼女ができないこと以外では、いつも心に余裕があるように感じられるわ」
「それは、お前がいてくれるからさ」
と、咽喉まで出かかった言葉を必死で呑み込んだが、思わずつばを飲み込む態度をしてしまったことに、妹はどう感じたことだろう。
妹の早紀と二人で会話している時は、相手に対して感じる人称は「妹」であった。
「早紀」
と言いたいのだが、それを言ってしまうと、恥ずかしさで顔が紅潮し、それ以降、自分の思考回路に異変が起こりそうで、それが気になっていた。
だから、いつも、
「お前」
という表現を使っている。
早紀から、
「お兄ちゃん」
と呼ばれるたびにドキドキしているが、お兄ちゃんという言葉に対して返す言葉は、「お前」
しかないと思っていた。
どこから見ても、仲のいい兄妹である。そう思われるのが一番いいことなのだが、もし、少しでも妹に対して、恋愛感情を抱いてまわりを見たとすれば、果たして、
――仲のいい兄妹――
と思われ満足できるのだろうか?
いつも彼女がほしいと思った時に気が付けばしている妄想。妹を意識した時にも妄想していたことがあった。その時、自分が妹を妹と思わず、早紀として見ているのか、それとも、妹としての意識を持ちながら、さらに早紀として意識しているのか、ハッキリとは分からない。
だが、妹としての意識と、女として見る意識とが共存できるのかということを考えた時、健太には、
――共存などできるはずはない――
と感じさせた。
そこまで来ると、
――自分の思考回路が狂っているのかも知れない――
と感じさせることで、自分をどこまで納得させられるのか、分からなくなってしまうのだった。
兄の健太の立場からすれば、妹に対しての感情の高まりが、自分が高校生になってからのことだったと感じているが、妹の早紀の方はどうだろう?
自分が兄に対して恋愛感情のようなものを持っていると感じたのは、中学に入ってから、つまりは兄の感情が高ぶってきたことからだということになる。つまりは兄の視線で、自分が兄を男性として好きだという感覚になっていたことに気づいたことになる。
だが、実際にはもっと前から兄のことを男性として見ていたように思えた。そうでなければ自分の中での辻褄が合わない節があるのだ。
早紀は子供の頃、よく同級生に苛められていた。
別に早紀のことを嫌って苛めているわけではなく、昔からよく言われるように、
「可愛い子ほど苛めたくなる」
ということの類であった。
早紀はもちろん、苛めている本人にも、どうして苛めるのか、その理由が分からない。分からないからこそ、果てがなく、苛める方も、
「一度振り上げた鉈を下ろすタイミングが分からない」
と感じていたに違いない。
そんな時、正義の味方のごとく、颯爽と現れたのが健太だった。
健太にはなぜか、早紀が苛められているのが分かるようで、苛められていると思うと、いても立ってもいられず、馳せ参じることになるのだ。
そんな兄のことを、
「白馬に乗った王子様」
のように感じていたことだろう。
これが赤の他人であれば、もっと感動するのかも知れないが、早紀は兄が来てくれることが嬉しかった。
――他人なんかに分からないことが兄だから分かるのよ――
と、素晴らしい兄を持ったことに満足していた。
しかし苛めもエスカレートしてきて、そのたびに現れる兄の存在が次第に物足りなくなってきた。
――どうしてなのかしら?
気持ちの中にもどかしさがあり、何か超えてはならない境界線があり、その向こうに飛び出すことは、自分を助けてくれているのが兄である以上できないことのように思えたのだ。
何が物足りないのか考えていると、
「そうだわ。兄だから物足りなく感じるんだわ」
本当は最初に感じなければいけなかったことである。
最初に満足してしまって、もし相手が他人であれば、気持ちがどんどん盛り上がってくるはずなのに、兄であることで、それ以上の盛り上がりはない。なぜなら、兄のことは誰よりも自分が一番知っているからだ。
他人であれば。
「もっと相手のことを知りたい」
という思いが、胸の中でどんどん膨れ上がってきて、物足りなさなど考える余地は与えない。