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二度目に刺される

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 しかし、兄であることで、胸の中はすでに飽和状態になってしまい、それ以上何も得るものはなかった。そうなると、次第に空腹状態になり、物足りなさを感じてしまうのだ・
 早紀には、そんな自分の心境を分からなかった。ちょっと考えれば分かることなのだが、それには、自分を客観的に見るしかない。他の人との間なら客観的に見ることができるが、相手が兄だとどうしても、主観的にしか見ることができない。それだけ冷静になり切れないということなのかも知れない。
 それでもずっと考えていると、相手が兄だからだという理由に辿り着く。漠然とした考えであるが、
――どうしてすぐに思いつかなかったんだろう?
 と後から思うと、信じられない感情が湧き上がってくるのだった。
 漠然とでも、兄を意識するようになると、頭の中が走馬灯のようになり、記憶が次第に遡っていくのを感じる。小学生から遡るのだから、ほぼ記憶の中にあるものなので、思い出すことは難しくない。それなのに、記憶に残っていることがかなり前だという意識があるのは。それだけ小さい頃のことを思い出したくないという思いがあったからなのかも知れない。
 ただ、別に小さい頃、怖かったり辛かった思い出はない。兄との楽しい思い出ばかりなのだが、思い返している自分の思いと、感じていた時の自分の思いに隔たりがあった。それは今から思い出すことを客観的に見ているからで、子供の頃には、客観的に見ることができなかったという意識の表れだったに違いない。
 一度、苛められていた時、兄が来てくれなかったことがあった。あの時は、学校の帰り道にある公園でのことだったのだが、ちょうどその時、兄は学校で補習を受けていたので、馳せ参じることができなかったのだ。
 その時、助けてくれたのが、一人の女の人だった。真っ白いドレスのようなワンピースに、白い帽子という、本当にお姫様のようないで立ちだった。将来、自分が好んで着ることになる服装をしたお姉さんが、苛められていた自分の前に現れたのだ。
「あなたたち、おやめなさい」
 その一言で振り返った早紀を苛めていた連中は、目の前に見たこともない上品な服装のお姉さんが現れたことで、急に神妙になった。苛めていた手を収め、クモの子を散らすように、それぞれバラバラにその場を離れた。どうして皆一緒に離れなかったのか疑問だったが、お姉さんの言葉に、いじめっ子たちにしか分からない戒めのような威圧感を感じたのかも知れない。
「ありがとうございます」
 早紀は、お姉さんを見上げて無表情で礼を言った。お姉さんは笑顔で早紀を見下ろしたが、
「いいえ」
 というと、踵を返し、その場から立ち去った。
 同じ颯爽という言葉でも、兄に助けられる時とは違った雰囲気に、すっかり早紀は魅了されてしまった。それは暖かな一筋の風が吹き抜けたかのようなイメージで、
「またすぐに会えそうな気がする」
 と感じさせるものだった。
 公園を出たお姉さんを待っていたのは真っ黒な高級車で、そこにはタキシードを着た一人のおじさんが待ち構えていて、お姉さんが車に乗り込むのを助けていた。子供心に、
「これが本当のお嬢様というものなんだわ」
 と感じた。
 早紀は、自分の将来というよりも、自分の母親の若かった頃のイメージを抱いていた。彼女は高校生くらいに感じられたが、ひょっとすると、中学生かも知れないし、高校を卒業していたのかも知れない。あまりの眩しさに、実年齢の判断ができなかったのだ。
 当時の早紀の母親の年齢は、まだ二十代後半だった。まだまだ綺麗な年齢で、同じくらいの女性は、まだまだ独身の人が多かったかも知れない。母の場合は、最初から結婚相手は決まっていたようだ。最初から敷かれたレールの上を、いつから歩んでいたというのだろう? 早紀も自分の将来を思うと、少し冷めた目で見てしまう気がしてならなかった。
 ただ、それはもう少し大人になって感じたことだったのだが、白い衣装を着ている姿を背中から見ていると、正面から見た時よりも大きく感じられたのは、気のせいだったのだろうか?
 早紀は公園を出て、お姉さんを追いかけた。いくら小さな女の子だとは言え、ゆっくりとしたストライドで歩いているお姉さんに対し、走って追いかけている早紀は、すぐに追いつけるだろうと思っていた。
 しかし、ある程度のところまで来ると、急に足が重たくなった。
――これ以上走れない――
 と感じたかと思うと、そのままこけてしまったのだ。
 不思議なことに、痛くはなかった。だが、こけてしまったことに気を取られているうちに、お姉さんはすでに目の前から車ごと消えてしまっていた。
――まるで夢のようだわ――
 そう思うと、もうそのお姉さんとは会うことができないような気がしてきた。
――もし、あの時、追いつけていれば、どうだったのだろう?
 話をしてみたかったというのが本音なのだが、その場で面と向かって、どんな話ができたというのだろう。少なくともあの時の状況は、苛められていた自分を助けてくれたのがお姉さんだったはずだ。会話の主導権はお姉さんにあるはずなのだが、そのお姉さんは早紀を目の前にして、どんな話をするというのだろう? まったく早紀には想像できるものではなかった。
 次の日、早紀は前の日と同じ時間に公園に出掛けた。学校の帰りだったので、また昨日のいじめっ子連中がいたら公園の中に入れないという危惧があったが、幸いにもそのいじめっ子たちがいることはなかった。
 しかも、その日以降、いじめっ子たちが公園にいる姿を見たことがない。お姉さんの一言が一喝の役目を果たしたのか、早紀にはそれ以外考えられなかった。
 お姉さんがいたその時間、ずっと待っていたが、お姉さんは現れなかった。
「昨日は偶然立ち寄っただけなのかしら?」
 と思ったが、それでも早紀は、次の日も、またその次の日も待ち続けた。
 諦めたのは何日目だったのか? それすら漠然としていて、ハッキリ記憶に残っていなかった。
 そんなことがあってから、お姉さんの姿は、まだ小さかった早紀の瞼の奥に記憶されていた。特に最後に見た後姿が印象的で、前を向いていた時の顔は、ハッキリと覚えていない。
 まるで逆光で見たようなイメージだった。顔はのっぺらぼうのようで、勝手なイメージとして口は耳元まで避けていて、ギザギザになりながらも、整っている真っ白い歯だけが、怪しく光っているのだ。
 そんなことがあったなど、もちろん誰にも話していない。
 大人になった今までに、どんな些細なことでも話してきた兄に対してさえ、このことは話さなかった。
――あまりにも夢のようなお話なので、変なことを話して、余計な気を遣わせることはない――
 という思いだったのだが、
――兄に対して、初めて秘密を持った――
 という意味では大きかった。
 普通であれば、今まで秘密にしたことのない相手に初めて秘密を持ったのだから、それまでのタガが外れて、少々のことであれば、話さなくてもよくなると思うのだが、早紀は逆だった。
――一つ秘密を持ってしまったことで、これからはもう二度と兄に対して隠しごとを持ってはいけないんだ――
 と心に決めたのだ。
作品名:二度目に刺される 作家名:森本晃次