二度目に刺される
妹の早紀を見ていると、自分の出した意見に対して、何か逆らう「ネタ」を探しているように思える時があった。健太が高校に入った頃というと、妹も中学に上がった頃だ。その頃は今と違って、もっと露骨に反対意見を言って、兄を困らせたものだ。しかもその意見は筋が通っていて、兄の健太が口を開くと、それは言い訳にしか聞こえないほどであった。
「まいったな」
と言って照れ隠しに頭を掻くくらいしかできなかった、
だが、その仕草が妹の気持ちをハッとさせるのか、恐縮してしまって、
「ごめんなさい。生意気なこと言っちゃって」
と、小さくなっているその姿が可愛らしかった。
「いやいや、いいんだ」
完全に立場は逆転していた。
小学生から中学生になった時が、今から思えば一番妹が変わった時だった。それは肉体的なところで、目に見えて変わっているのが分かることだった。中学に入ってから本当ならあるはずの反抗期が妹にはなかった。
「本当に素直な娘だわ」
と、母親は親バカと言うべきか、反抗期がなかったことを素直に喜んでいた。
しかし、実際には反抗期がなかったわけではない。妹なりに、反抗を試みようとしたのだろうが、相手がそのことに気づく前に、我に返った妹は、普段の妹に戻っている。
「ちょっとおかしいわね」
と母も思った時期もあったかも知れないが、すぐに元に戻るのだから、余計な心配をする必要もなかったのだ。
それでも、健太には妹の反抗期は分かっていた。
――僕は兄貴だからな――
そして、学校で授業を受けている時間以外で、一番一緒にいる時間が長いのは自分だという自負もある。
「妹のことを一番よく分かっているのは、僕なんだ」
とずっと思っていた。
あれは、高校三年生の頃だった。
早紀はその頃、中学校でも可愛いということで話題になっていた。別の学校でも、妹のことが話題になるくらいだったので、兄としては、少々複雑な気持ちだった。
いや、あくまでも複雑な気持ちになっているのは「兄として」というだけで、健太という男としては、気が気ではなかった。
そんな時、健太のクラスメイトの男子から、
「お前の妹、紹介してくれないか?」
と言われたことがあった。
そいつとは、それほど仲がよかったわけでもない。仲が特別よかったわけではないことが余計に健太をイライラさせた。
「誰がお前なんかに紹介なんかするもんか」
という捨て台詞を吐いて、その場を後にした。
相手はきょとんとしていたが、お構いなしに振り向くこともなく、その場を足早に立ち去った。
――普段は僕のことなんか気にしたこともないくせに、妹が可愛いと思うと媚びへつらうように近づいてくるなんて、虫唾が走る――
というのが、イライラさせた理由だった。
その頃の妹は反抗期は完全に抜けていた。しかし、成長期はまだまだ続いていて、中学生になった頃ほどの変化はないが、やっと妹の女らしさにまわりの同級生も気づいたということで、それだけ妹が早熟だったともいえるだろう。
だが、健太には中学に入学した頃の妹に対して、誰も見向きもしなかったのに、いまさら騒ぎ立てるというのもイライラさせる原因だった。自分のクラスメイトがあまり面識のない自分に対して、おのれの欲のために媚びへつらって近づいてきたのと同じ現象を感じた。
妹が反抗期だと思った時期は、明らかに兄に対して挑戦的な言い方をしていたのが見て取れたが、実は今でも時々挑戦的な口調になることがある。ただ、それは反抗期のような態度に示したものではなく、あくまでも会話の上での挑戦だった。
――お兄ちゃんに分かるかしら?
と言わんばかりに、顔に怪しい笑みを浮かべることもあった。
そんな時の早紀の顔を、健太は嫌いではなかった。
――よーし、お兄ちゃんも負けないぞ――
と、こちらも微笑み返す。兄妹にしか分からない無言の会話だった。
早紀は、高校生になると、健太にあまり挑戦的な口調で話しかけることはなくなった。なるべく兄が喜ぶような言い方をするようになった。
――大人になったということかな?
相手に気を遣うということは、中学生の頃から妹はできていた。
誰にでも気を遣って話をしていたので、四六時中緊張していたのだろう。健太の前に出ると挑戦的な言い方をしたのは、その緊張を何とか解きほぐしたいという無意識のうちだったのかも知れない。健太はそのことを分かっていて、敢えて自分からも挑戦的になったのだ。
下手に健太の方から気を遣うと、せっかく気を紛らわそうとしている気持ちを冷めさせることになるのは分かっていた。
――やはり早紀のことは僕にしか分からないだ――
という自負が、その時の健太を支えていた。
健太は、表に出ると、自分から目立つようなことは決してしなかった。友達との会話でも、たまに意見を言うくらいで、自分の気持ちをハッキリと言えるのは、親友と二人きりの時くらいだった。
その親友というのも、ずっと一緒だったわけではない。せっかく親友になっても、親の仕事の関係で、引っ越して行ってしまったり、受験が近づいてくると、お互いに進む道の違いから、なかなか話もできなくなってしまうことが多かった。
同じ親友でも相手が違えば話ができる範囲は変わってくる。せっかく全幅の信頼を得られたと思っても、いなくなられてしまうと、最初はどうしても、警戒しながらの付き合いになっていた。
特に、健太の場合は、
「あいつは変わり者だからな」
と言われていた。
言われること自体、別に嫌ではなかったが、そのせいで知らない人が近づきにくくなっているようで、親友候補がすぐには現れなかった。
確かに、骨董趣味のような他の人にはない趣味を持っているので、
「ちょっと変わったやつ」
と言われても仕方がないが、数人集まれば、そんな人は一人くらいいてもいいのではないだろうか。
そんな時、妹の早紀を見ているのが一番楽しかった。早紀も健太には、気取ったところはない。どうしても自分たち兄妹は、裕福な家庭に育ったという意味で、まわりから嫉妬や偏見の目で見られがちなのは分かっていた。小学生高学年の頃が一番ひどかった。謂れのない中傷を受けていたのは健太だけではなく、早紀もだった。
健太の場合は小学生までで済んだのだが、早紀の場合はそれからもしばらくは続いたようだ。
特に女というのは、しつこい動物だという。表には嫉妬の感情を出すこともなく、その裏では牙を剥き出しにしているように見える。これは客観的にまわりから見ているから分かるのであって、当事者には分かるものではなかった。
どうしても贔屓目に見てしまう兄であっても気が付くのだから、よほどの嫉妬のオーラが怪しく醸し出されていたことだろう。
――どうしてもう少し相手の目に気づかないんだろう?
と、兄としてはイライラしたものだった。
まるで自分が嫉妬の目で見られているようにも思えて、余計に悔しかった。そんな感情を抑えることができたのかどうか、健太は自分が信じられなかった。
たまに早紀が自分を避けることがあった。