二度目に刺される
「でも、急に描きたくなったということは、描き始めると、すぐに気持ちが冷めてしまうかも知れないという思いもある。だから、今まで絵を描くことを頑なに拒否してきた自分に、絵心はない。でもどうしても今は描きたいという気持ちでいっぱいなので、何とか密かに絵を描けるようになりたいと思っているわけでしょう?」
「どうして分かるんだい?」
「顔にそう書いてあるからさ」
と言って笑っていたが、それだけ人の心を読むのが得意な相手に、分かりやすい自分が話をしているというだけのことなのかも知れない。
「でも、芸術に関して今まで目を逸らしてきたことを、後悔しているのは事実なんだ」
「どうやら、君はランプを見たから絵を描きたいと思ったわけではなく、絵を描きたいと思っていたところに、被写体になるランプを見つけたので、思わず買ってしまった。実際に部屋に飾ってみると、やっぱり絵を描きたいという思いに間違いがなかったと感じた君は、描きたくてたまらないという自分の気持ちに気が付いたんだね」
「じゃあ、僕のこの思いは、潜在していたということなのかな?」
「そうだね。それがいつからのことだったのか分からないけど、潜在していたということに間違いはないようだね」
彼の言葉を聞いていると、すべてが本当に聞こえてくるから怖かった。
「じゃあ、とりあえずの入門編は教えてあげるから、その後は自分で勉強すればいい」
と言って、友達は絵の基本について教えてくれた。
友達は中学、高校と美術部で、元々は絵描きになるか、美術の先生を志していたという。しかし、なぜか途中で諦めて、健太と同じ大学の法学部に入学してきた。サークルには入らずに、バイト三昧を続けていたが、
「俺は今はこれでいいんだ」
と言って、将来のことに関して、あまり具体的に考えていないようだった。
それは、健太をはじめとする友達皆同じだった。
「そのうち、何をしたいのか、じっくり考えなければいけない時が来るんだろうが、それまではいろいろな可能性を見極めるという時期なのかも知れないな」
と口では言っているが、大学にいると、なかなか将来について考えるなど、難しかった。本当は考えなければいけないのだろうが、考えることが怖い。大学では将来のために勉強しているというが、勉強していると、将来のことが分かってくるような気がしてくるだけで、本当は、
「気休めなのかも知れない」
という思いがあることから、必要以上のことを考えないようにしている。
中学時代の勉強は高校受験のため、高校時代の勉強は大学受験のためとして、割り切っていたつもりだったが、大学に入って勉強するのは、今度は社会に出てからのためなのか、それとも、社会に出るための道を探るためのものなのか、ハッキリと分からないことが、必要以上に考えないようになった原因であった。
大学に入って、最初はもっと勉強に勤しむことを楽しみにしていたはずなのに、気が付けば、友達と遊びに出かけたり、バイト三昧の日々を過ごしたりと、勉強をしなくなっていた。
「大学というところは誘惑が多いので、気を付けないといけないよ」
と、高校の担任から、大学入学前に釘を刺されたことがあり、決してその忠告を忘れていたわけではないのに、いつの間にか、先生の言う通りになっていた。
――どうしてなんだろう?
自分でも分からないうちに、大学生活の甘い罠に嵌ってしまったような気がしていたが、後から考えると、少し違うような気がしてきた。
「大学で勉強しなくなったのは、勉強をするということの目的が分からなくなったからなんじゃないだろうか?」
「勉強する目的って、将来何をしたいかということだよね? それは分かってるつもりだよ」
というと、
「それは分かっているさ。でも、将来のことを考えるのが怖くなってしまうと、将来のことを考えないようにしようとする気持ちになるのさ。その時に、どうして勉強しているのかということまで忘れてしまおうとする意識が働いて、大学生活の甘い罠に嵌ってしまったという言い訳に繋がっていくのさ」
「大学生活の甘い罠に嵌るというのが言い訳になるの?」
「それはそうだろう。そう思いたくないんだったら、否定する気持ちがもっと強いはずさ。否定する気持ちよりも、そのことを感じたことに罪悪感を持ち、最終的に誘惑に負けた自分を情けなく思うことで、目の前のことから目を逸らした自分を見ないようにしているんじゃないかな?」
「それって、結構厳しい見方だよね?」
「そうだね。でも、それが事実だったら、自分たちの中には、本心を押し殺してまで潜在する意識が強い状態であるということの証明なのかも知れないな」
「でも、大学生活の甘い罠というのが、一般論として定着しているのはどういうことなんだろう?」
「もし、勉強自体ではなく、勉強するという意義を根底から覆すような発想は、大学というものの存在を揺るがしかねないものになると思ったからではないのかな?」
話がかなり大げさなものになってきていたが、話をしている本人は、あまり大げさに感じなかった。それだけ感覚がマヒしていたのではないだろうか?
「そういえば、小学生の頃に、俺は勉強に対して疑問を感じたことがあったんだ。勉強するということではなくね。例えば、算数で、最初の基本となる一足す一は二ということが理解できなくて、そこから先に進まなかった。だから、小学生の四年生の頃までは、勉強以前の問題で、テストの時など、白紙回答だったんだ。答えも分からないし、そもそも、テストに回答するということ自体、納得がいかなかったんだよな」
「それは俺にもあった。さすがにそこまで酷くはなかったけど、誰にでも一度は通る道なんじゃないかな?」
「でも、勉強は決して嫌いじゃなかったんだろうな。そのうちに気が付けば自分を納得させていたんだと思うよ。そうじゃないと、勉強にやる気なんか出るわけがないからね」
「それともう一つ。どうして勉強をしなければいけないのかということを、考えたことあったかい?」
「子供の頃の方が考えていたような気がするな。下手をすると、ずっと思っていたかも知れない」
「そうだろう? そうじゃないと、自分を納得させることはできないと思うんだ。気が付けば勉強をするようになっていたって思っているのは、それだけ自然だったからなのかも知れないな」
友達は、
「俺は芸術が自分を納得させてくれたんじゃないかって思うんだ。子供の頃から絵が好きだったから、絵描きになりたいって思った時期と、美術の先生になりたいと思った時期があった。その両方を一緒に考えたことはなかったんだけど、絵描きになりたいと思った時は、自分がベレー帽をかぶって、キャンバスを見つめながら、筆をどこに落とそうか考えている姿を思い描いたりしたんだ。だから、美術を続けてこれた。でも、逆にその光景を思い浮かべることができなくなると、自分を納得させることができなくなって、悩んだりもした。でも、趣味にすることで、悩みは消えて、今では適当に描いたりしているよ」
「それが、サークルで美術を選ばなかった理由なんだね?」
「その通り。自由って結構楽しいものだって思う」
そう言いながら、彼は健太に絵の基本を教えてくれた。