二度目に刺される
早紀が奏でるピアノは単独で聴くのがよかった。自分の部屋にピアノがあるわけではないので、早紀のピアノは単独で聴くことができる。リビングの奥に置いてあるグランドピアノが早紀の奏でるピアノだった。個人の部屋にまでは聞こえてこないが、一階フロア全体に響き渡る音色は、圧巻だと思っていた。
「お兄様がいつも聴いてくださっていると思うと、結構力が入るんですよ」
と、早紀は照れながらそう言った。
「ピアノの音色は好きだからね。目を瞑って聴いていると、西洋の風景が思い浮かんでくるようで、壮大さが感じられるんだ」
それだけ早紀のピアノには、感情が込められているように思えた。それはクラシックの音色をレコードで聴くという風変わりな趣味に結びつくものだった。
レコード盤自体はとても古いモノで、どんなに丁寧に扱っていても、無数の小さな傷がついている。最初に針を落とした時に聞こえてくる、音楽が始まる前の静寂の中に、
「プツンプツン」
という、籠ったような音が、健太は好きだった。
「これこそ、クラシックというものだ」
屋敷の表と中とでは、健太も早紀も性格が一変する。ただ、その性格も基本的には屋敷の中の性格が本当の性格であり、表での性格は、元々の性格に表の環境を合わそうとするものだから、ぎこちなくなってしまうのも仕方がない。どうしても、育った環境と表の環境が違えば、自分でも分からないところで変わってくるものである。
特に友達には、屋敷の中での性格は見せたくなかった。だから世間知らずでバカにされていると思いながらも、あまり余計なことを言わないようにしている。よほど気心の知れた友達でなければ、健太が裕福な家の育ちだとは思わないだろう。
ただ、妹の早紀はどうなのだろう?
その思いも兄の取り越し苦労だった。兄よりもうまく友達の間に溶け込んでいて、大人の雰囲気を感じさせるところから、誰も裕福な家庭に育ったというイメージを持っていないようだった。
兄の健太は、クラシックや骨董趣味が嵩じることで、最先端の技術というよりも、時代遅れとも取られるようなものにこそ、興味を持つ。スマホを持たずにいまだにガラケーなのも、そのためだ。
しかも着信音も、メールの場合はクラシックにしているが、通話の場合は、通常の呼び出し音にしている。お屋敷の中では、いまだに固定電話はプッシュ式の黒電話を置いている。
固定電話で黒電話というと、ダイヤル式しか思い浮かばない人が多いが、実際には数は少なかったが存在する。それを健太の父親はどこからか手に入れてきて、家に備え付けているのだった。
もっとも、あまり家に電話が掛かってくるということはない。本当の急用であれば、携帯電話に掛けるからだ。
携帯電話を使い始めたのは、意外に思われるかも知れないが、結構早かった。
ポケベルが出始めた時、誰もが飛びついたのだが、健太の父親は先見の明があり、
「ポケベルは数年ともたないはず。その後に携帯電話の時代が来る」
と予言していた。
これくらいの先見の明がなければ、富を築くことはできなかったことだろう。健太の父親は、高度成長時代に財の基礎を築き、バブルの時代の何とか乗り越えて、まわりがバブルで混乱している時に乗じて、事業を次々に成功させてきた。子供たちから見れば、普通の父親なのだが、実際には表に出ると、その尊厳の大きさは、オーラとなって、まわりに多大な影響を与えていた。ただそれも華族の家系というサラブレッドであればこそなのかも知れない。
父親は確かに先見の明もあるが、
「古き良きものは大切にしないとな」
と、最新の技術にだけしか目を向けないような、偏見の目を持ってはいなかった。
そんな父親を見て育った健太は、クラシックでアンティークなものに造詣を深めていくことになったのだ。
妹の早紀は、そのどちらでもない。
最新の技術に興味があるわけでもなく、アンティークなものだからと言って、興味を抱くわけではない。
早紀の目は、あくまでも「芸術」を見ていた。
芸術的なものであれば、どんなものでも興味を抱く。やはり、子供の頃からの英才教育により、芸術に対しての目を養うことができたのかも知れない。
「そうか、芸術か」
自分が骨董品に興味を持っているのも、早紀と同じように、芸術に対しての目が養われたからなのかも知れないと感じるようになったのは、大学に入ってからだった。
ある日、骨董品の中にランプを見つけた。今ではランプなどを使っているところはほとんどないので、それが大きいモノなのか小さなモノなのか、想像もつかなった。しかし、手で持ってみると、取っ手のところがズッシリと重かった。
「これください」
思わず、口にしていた自分にビックリしたが、持って帰ると、使い道があるわけでもなく、部屋のオブジェに飾るだけとなった。
それまでは、役に立たないものであっても、それなりに利用できるものばかりだったが、今回のようにオブジェとしてしか使い道のないものは、その時が初めてだった。
「無駄買いしちゃったかな?」
と後悔していたが、ランプを見ていると、描きたくなってくるから不思議だった。
それまで絵心があったわけではない。小学生の頃から図工の授業は嫌いで、中学でも、
「美術の授業なんかなければいいのに」
と嘯いていたほどで、芸術関係の授業は選択科目になったことで、本当はどれも嫌だったが、その中でも一番マシな、書道を選んだくらいだった。
今までに一度でも芸術に興味を傾けたことがあればよかったのだが、クラシックを聴くくらいで、芸術関係には疎かった。特に美術関係は、するのも見るのも嫌いで、高校の頃に学校行事としてあった美術鑑賞と称する課外授業も、美術館に入ってから駆け抜けるように通路を回り、ロクに何も見ずに管内を回ったものだ。それでも、その日は美術鑑賞の後は自由行動だったので、友達数人と街を徘徊していた。途中で別れてからの健太は、骨董品屋に顔を出し、美術館の何十倍も狭い骨董品屋の店内を、何倍もの時間を掛けて商品を物色したものだ。
そんな健太が、急に絵心に目覚めた。それまでまったく興味のなかったものが急に気になって仕方がなくなったのだから、それからの健太は、本屋で絵の本を物色してみたり、友達の中で、絵が好きなやつに話をしてみたりした。
「いきなり興味を持ったというのは、どういう風の吹き回しなんだい?」
と聞かれて、
「この間、骨董品屋でランプを買ったんだけど、それを見ていると、急にそのランプを描いてみたくなったんだ」
「今の時代にランプなんて、使い道ないだろう?」
「そうなんだ。今では部屋のオブジェにしかなっていないんだけど、飾ってあるのを見ていると、急に描きたくなってきたんだ。恥ずかしい限りなんだけどね」
「恥ずかしいという感情が、その答えなのかも知れないな」
「というと?」
「最初に、そのランプを見た時、ほしくてたまらなくなったんだろう? でも、買ってきてみると、使い道がなく、後悔してしまった。それでどうしようかと考えていると、次第に絵を描きたくなったというところかな?」
「そうなんだ」