二度目に刺される
救急車が呼ばれ、急いで近くの病院に搬送された。子供の頃診てくれた当時の医者が呼ばれたのはいうまでもないことだった。
運ばれた病院で、すぐに集中治療室が用意された。
「二度目にハチに刺されたって? じゃあ、これはアナフィラキシーショックということかい?」
「ええ、そういうことです。だから、早急な対応が必要です」
救急センターの先生は、かつて一度目に治療した医者からそう言われて、急いで治療に当たっていた。表では執事や家政婦も心配しながら中を見ていた。誰も口を開くものはおらず、じっと見守っている。
しばらくすると、主治医の先生が健太のところに来て、
「健太君、ちょっといいかい?」
と先生に呼ばれて、診察室に入った。
「輸血が必要なんだけど、お願いできるかな?」
「ええ、いくらでも抜いてください」
「ありがとう。助かるよ」
言葉少なに、主治医は妹のところに戻って行った。その後で健太は看護婦に指示されるまま診察ベッドに寝かされて、輸血用の血液を採血されることになった。
時間的には数十分だったが、採決が終わり、
「だいぶ抜いているので、しばらくは身体を起こさない方がいい。立ち上がってもフラフラするはずだからね。でも本当にありがとう」
と言われて、
「いえ」
と横になって答えるのがやっとだった。
確かにこれでは起き上がってもフラフラするだけだった。
それでも、一時間もすれば起き上がれるようになった。健太は妹が心配で仕方がなかったからだ。
――だが、本当にそれだけ?
そんな思いが頭をよぎった。
健太は集中治療室の前まで行くと、
「坊ちゃん、大丈夫ですか?」
と執事がビックリしたように言った。
「まだ少しフラフラするけど、大丈夫だ」
「そうでしょう、相当採血されたというお話でしたからね」
「ところで、早紀はどうなんだい?」
「ええ、峠は越えたとのことでした。一度スズメバチに刺されて、もう一度刺されると、二度目は本当に危ないと言いますからね。よく持ち直したというものですよ」
「それはよかった。僕の血液が役に立ったのかな?」
「それはもちろんですよ。さすがご兄妹の絆がそれだけお強いということの表れなんでしょうね」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
とは言ったが、心の中には複雑な思いが渦巻いていた。
「もうすぐして、先生からのお話があるそうですが、坊ちゃんは大丈夫ですか?」
「うん、僕も一緒に聞くことにしよう」
そう言いながら、集中治療室を見ると、先生同士が顔を見合わせ、不思議そうな表情をしているのが印象的だった。
しかし、それでも回復に向かっている時に見せる表情なので、事なきを得ていることは分かっている、ただ、健太はその表情を素直に喜べなかった。
――これから行われるという医者の経過発表。それが自分の運命に大きな影響を与えるのではないか――
と健太は感じていた。
それは危惧であり、決して安心できるものではなかった。そういう意味で、血を抜かれた身体には、少し毒ではあったが、事実が分かるということであれば、それなりに気持ちが高ぶってくるというものだった。
「スズメバチに二回目に刺されると、本当に危険な状態に陥るということか……」
独り言ちた健太だったが、医者の発表を今か今かと待っていたのだ。
「どうぞこちらに」
部屋の中には、ある程度回復していた早紀が、ベッドで横になり、皆を待っていた。
部屋に招かれたのは、その時に別荘に来ていた全員だった。そして、説明するのは主治医の先生だけだった。
「これからお話することは、本宅のご主人様、奥様にも了承の上でのことです。だから皆さんにもご承知願いたい」
と言って一同を見渡したが、最後に見つめたのは、せつさんだった。
せつさんは顔を伏せたまま、ずっと恐縮していた。しかし、それが恐縮ではなく、本当に怯えていたのだということに、それから少しして健太は知ることになる。
「何からお話すればいいのか……」
先生は迷っていたが、すぐに意を決して話し始めた。
「まず、早紀さんの容体は大丈夫です。アナフィラキシーショックは起こしましたが、収まりました。確かに一時期、危ない状態でした。アナフィラキシーショックを引き起こして、意識も失っていましたので、私もダメだと思って諦めかけたくらいです。でも、しばらくしてから、意識を取り戻し、それからは回復に向かっていったんですよ。私がお坊ちゃんに採決をお願いした時は、回復に向かっている状態の時でした」
「だったら、教えてくれればいいのに」
と健太は少し不満だったが、
「いや、こんなことは本当に稀で、普通なら考えられないような回復劇だったんですよ。だからこれからも何が起こるか分からない。迂闊なことは医者として言えるわけはありませんでした」
それなら分かる。健太は黙って続きを聞くことにした。
「それで、何が原因なのか分からないまま状況を見ていると、輸血が必要だということだけは分かりました。でも、輸血をお願いできる相手を考えていたんですが、その時に執事の方が、お坊ちゃんにお願いすればいいと教えてくれたんです。お坊ちゃんはこの一年以内くらいに、早紀さんが交通事故に遭われた時、輸血をなさったそうですね?」
「ええ、今日もあの時を思い出して、頭の中がフラッシュバックしていました」
「そうでしょうね。それで少し早紀さんがどうして回復したのか、分かったような気がしたんです」
他の人は何となく分かっているかのようだったが、健太と早紀だけには、どういうことなのか分かっていなかった。
「よく分かりません」
と健太が言うと、医者は健太に聞いてきた。
「お坊ちゃんは、ハチに刺されて死ぬというのは、ハチの毒で死ぬと思っていませんか?」
「違うんですか?」
「違います。いくらスズメバチの毒が猛毒と言っても、人間ほどの大きな動物を殺傷できるほどの毒は持っていません」
「だから、一度目では死ななくても、二度目の毒で死んじゃうんじゃないんですか?」
「そう思っている人が多いようですが、実は違います。二回目にハチに刺されて死ぬ時というのは、アナフィラキシーショックというアレルギーによって、人は死に至ることになるんです」
「アナフィラキシーショック?」
「ええ、アナフィラキシーショックというのはアレルギーの一種なんですよ。人間は一度目にスズメバチのようなハチに刺されると、非常に痛みを伴いますが、死に至ることはめったにありません。治療で何とか回復します。刺された時、人間はハチの毒を覚えているので、今度刺された時には、その毒で死なないように、抗体を作るんですよ」
「はしかやおたふく風邪に罹った時のように免疫ができるということですか?」
「ええ、そういうことです。だから人間は二度目に刺された時、その抗体が働いて、毒素を取り除こうとするんですよ。でも、その時、身体の中のアレルギーと反応して、ショック状態を引き起こす。それがアナフィラキシーショックと言われるものなんです」
「じゃあ、身体を守ろうとする自分の機能、いや本能が仇になるということですか?」