二度目に刺される
今まで女性として見たことはなく、妹としてしか見てこなかった相手に、初めて女性を感じた。それは自分が孤立しているからだということに気づいていない。
早紀の方としても、健太に対して孤立していると思っていた。つまりは、自分が感じている孤独とは違うものだと分かっていた。
「私から、声を掛けることはできないわ」
ただ、今の健太に声を掛けることができる人がいるとすれば、自分しかいないと思っていた早紀だった。
理由は、
「自分が孤独だからである」
という思いからであるが、それは正解だった。
孤立している人に声を掛けることは、孤独を感じている人が声を掛けるのとはわけが違う。そのことを早紀は、孤独だと思っているその時には分からなかった。理屈としては分からなかったが、的を得た解釈はできていたのである。
孤立している人間というのは、誰かから声を掛けられるのを嫌っている。
――こんな感覚、以前にも味わったことがあったような気がするな――
健太は感じていたが、最初は思い出せなかった。
なぜなら、その時、自分が孤立しているとは思っていなかったからだ。他の人と同じように孤独に苛まれていると思っていたからだ。
しかし、すぐにその正体を感じることができた。
――ああ、躁鬱症の鬱状態のような感じなんだ――
その思いを感じた時、孤立した気分が、長続きしないことを感じていた。
躁鬱症は、健太にとっての持病のようなものだった。
いつも感じるわけではないが、ふとしたことで陥ってしまう。そして、何度か躁と鬱の状態を繰り返して、気が付けば知らない間に抜けているのだった。
躁と鬱が絡み合った時、
――これを抜けるまでにどれだけ繰り返すことになるんだ?
という気持ちが、それこそ憂鬱な気分にさせる。
持病とはいえ、繰り返しているのは辛いことだが、いずれは抜けると思うだけマシなのかも知れない。
鬱状態の時は、誰からも話しかけられたくない。この思いは、足が攣った時、誰にも触られたくないという、あの時の思いに似ていた。
――孤立無援とはよく言ったものだ――
孤独無縁とは言わないではないか、無縁な状態になるから孤立なのではなく、孤立しているから、無縁になりたいという思いから来ている言葉なのではないか、孤独との差別化という意味での言葉ではないかと勝手に想像していた健太だった。
そんな健太は、早紀にだけは声を掛けてもらいたいと思っていた。
しかし、早紀は、
――自分が孤独な状態なのに、そんな時、兄に声を掛けるのは、迷惑をかけるだけで、余計に孤独を煽ることになる――
という気を遣っているつもりだった。
早紀は、大切なことに気づいていない。
今まで健太は早紀に対して気を遣ってきてはいたが、そのことを早紀に悟られることはなかった。それだけ気を遣うということがうまかった人であることは間違いない。相手に悟られずに気を遣うということがどれほど難しいか、分かる人には分かるだろう。
もし、健太にこのことを言えば、
「いやいや、僕は気を遣ったりなんかしないさ」
というだろう。
気を遣うというのは、さりげなさが命だと思っている人は、却ってぎこちなくなるもので、気を遣うことが嫌いな人間の方が、えてして相手のことを考えているものだ。
それだけ気を遣うということが、
――相手ありき――
だということになり、しょせんは、口では何とでも言えるというものだ。
だからm気を遣っている人間ほど、
「気を遣う」
という言葉が嫌いなのだ。
そんな二人に、いいきっかけが来た。
「早紀もだいぶよくなってきたし、今度のお休みから、二人で別荘に行っていらっしゃい。早紀の学校には、療養を理由にお母さんが申請しておきます」
と言って、別荘にひと月ほど滞在できるように、母親の方で手配してくれたのだった。
子供の頃のように、数人の執事と、数人の家政婦がついてきてくれているので、安心だった。
「それにしても、お母さんは勘が鋭いわね」
早紀が移動の車の中で健太に言った。
「そうだよね。僕たちの孤独を分かってくれていたんだろうと思うよ。でも、早紀はともかく、僕の場合は見ていて分かったのかも知れないな」
「そうね。お兄ちゃんの落胆は半端ではないような気がするものね。よほど玲子さんが好きだったの?」
「別れてすぐには、そんなことはないと思っていたんだ。それなのに、どうしてあんなに落胆したのか、自分でも分からない。落胆というより、一人でいるのが怖かったというのが本音なのかも知れないな」
「私は、坂本さんとずっと気持ちは一緒だと思っていたんだけど、そうではなかったということだったのよ。親友のお兄ちゃんには悪いことをしたと思っているんだけど、でも、私とあの人では、求めているもんが違ったのではないかと思うのよ」
「求めていたものが違っていれば、一緒にいることが辛くなることもあるのよね。自分も相手の負担にはなりたくないと思うからかな?」
「そうなのよ。でもね、相手の負担になりたくないという思いは、自分を打ち消すという意味でもあり、相手に重たさを感じさせないようにしようと思うと、自分の存在を消そうと考えてしまって、それが嵩じると、孤独の世界に足を踏み入れてしまうこおとになってしまう気がするの」
「自分から孤独の世界に足を踏み入れてしまうと、なかなか抜けることができなくなってしまう。それは、自分から孤独を引き寄せたのと同じで、それを『孤立した』というんじゃないかって思うんだよ」
「私は、お兄ちゃんを見て、『孤立』を感じたの。そこがお兄ちゃんの苦悩なんじゃないかってね」
「確かにそうだったのかも知れない。早紀はよく僕のことを分かってくれているんだね?」
「だって、二人きりの兄妹だもん。それに、私の身体の中にはお兄ちゃんの血が流れているのよね」
「ああ、だいぶ、僕が輸血したからな。でも、あの時僕は、お前のSOSに気づいてあげられなくて悪いことをしたと思っているんだよ」
「もう、それは言わないで。しょうがないことだったのよ」
健太は、それ以上口を開くのをやめた。
早紀もそれ以上何も話そうとせず、車窓を流れる景色に目を奪われていた。考えてみれば、車での遠出など、最近ではなかなかなかったことだったからである。
電車での移動も考えたが、今の二人であれば、あまり他の人と関わりたくないという思いが強いのではないかという思いを察して、これも母親が手配してくれたものだった。
別荘までは車で三時間程度のものだ。その間、二人は何度か会話を交わしたが、先ほどの会話以外は、ほぼほぼ思い出したような会話であり、他愛もない内容だった。それ以外は車窓を見ている時間が続き、運転手も若干の気を遣わなければいけない時間だった。
今回の運転手は、だいぶ前から屋敷にいた人で、二人が子供の頃、家族で別荘に行った時、運転してくれていた人だった。健太は、最初分からなかったが。運転手の後姿を見ていると、急に思い立ったように、そのことに気が付いた。
運転手の名前は、桂といい、
「そういえば子供の頃に別荘に行った時、運転してくれていたのも、桂さんじゃなかったのかな?」