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二度目に刺される

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 坂本は早紀の匂いを感じた時、自分の中のトラウマが解消させてくれる相手を見つけた気がした。早紀の方も、今まで兄だけしか見ていなかったのに、他の男性を意識するようになったことを理解するきっかけになったのではないだろうか。
 早紀の病院に坂本が入院しているという事実は、運命だと思ってもいいのではないだろうか。運命というのは、お互いにそう思えば、それだけで運命だと二人は思っていたからだった。
 早紀に声を掛けた坂本は、勇気を振り絞って声を掛けたことで、自分のトラウマが解消された気がした。早紀の方も、気になっている男性から声を掛けられたのだから、今まで兄にしか向いていなかった目が、他に向いたことはよかったと思っている。その時はまだ健太が玲子とお付き合いをしていたからだ。
――お兄ちゃんから、卒業しないといけないわね――
 それは、自分が卒業するという意味と、本当の意味で兄を解放させてあげたいという思いがあったからだ。
――私は、お兄ちゃんを縛り付けているのかも知れないわね――
 と思っていた。
 自分たち兄妹は、豪邸で育ったこともあって、ほとんど世間を知らない。坂本という男性の存在は、世間知らずの自分を日の当たる場所に連れて行ってくれる初めての男性だということを意識していた。
 ただ二人の交際は、そう長くは続かなかった。
 病院にいる間に、二人の関係はゆっくりとだは、着実に育まれていた。そして、最初に退院したのは坂本で、早紀の退院を待っていた坂本だったが、一旦自由になってしまうと、坂本は表で、今まで自分が見ていた目線と、退院してから見る目線は、明らかに違っていることに気が付いた。
 今までは気にもならなかった女の子にも、目が行くようになってしまい、坂本の視線に対し、相手の女性もそれに気が付いて、視線を気にしている相手を見ていると、ドキドキしてくる自分がいたのだ。
――俺の視線が相手の女性の気持ちを動かしている――
 その状況が楽しくて仕方がなくなっていた。
 本当ならこんな状況は、思春期の頃に感じるものだったのだろうが、坂本には払いのけることのできなかったトラウマがあったため、思春期には、異性に対して悶々としたものを持ちながら、何一つ先に進むことも、解決させることもできなかった。
 おかげで、坂本にとって、今が思春期と言ってもいいだろう。早紀という彼女ができたというのは嬉しいことだが、それと同じくらいに好きになることのできる相手が無数にいることにワクワクした気持ちになっていた。
 坂本が退院してから、心境の変化、いや、思春期のやり直しに目覚めたことなど、まったく知らない早紀は、自分も早く退院できることを望んでいた。
 ただ、ちょうどその頃、兄がなかなかお見舞いに来てくれないことを気にはしていたが、その時、玲子とのことで、それどころではない状態になっていたことなど、知る由もなかった。
 ちょうど、健太と玲子の仲が佳境だった。
――兄が来てくれなくても、私には坂本さんがいる――
 と思っていたのは、早紀だけが考えていた甘い思いであることを、誰も知らなかった。
 もちろん、坂本本人も自分の心が早紀から離れるなどということはまったく考えてもいなかったし、厳密には別れに至ってからも、早紀から離れたという意識はまったくなかったのである。
 健太と早紀は、微妙な違いはあったが、ほぼ同じ時期に失恋していた。失恋は健太の方が早く、健太が一人になってから、早紀が坂本と付き合っていることを知ったが、健太は最初こそ嫉妬のようなものを感じていたが、次第に、二人の仲が長くはないと思い、ホッと胸を撫で下ろしていた。
 理由はどうあれ、女性と別れたことで襲ってくるのは孤独感であった。
 男性と女性で違いはあるが、襲ってきた孤独感の中で考えることは、少しまえまでの楽しかった日々であり、その頃に想像していた今の自分だった。
 別れることなど想像もしていなかった時は、
――次はどこにデートに行こう――
 であったり、
――何をプレゼントすれば喜んでくれるだろうか?
 であったり、仲が深まってくれば、
――そろそろキスや、さらにその先のシチュエーション――
 を考えてみる時期に入ってくるだろう。
 そこには段階があり、段階を進むことが楽しみでもあった。最初は見えていないゴール、人はそのゴールを目指して進むものなのだが、仲が深まってくるにつれて知ることになるのが、
「ゴールなんてないんじゃないか?」
 という思いを感じることである。
 厳密にいうと、今までのが恋であるとすれば、必ずそこにゴールというのが見えてくるはずである。
 恋というのは、不変のモノだと思っている人がいるかも知れないが、決して不変ではない。
 健太や早紀のように、失恋する場合もある。それとは別に先に進んでいく恋に、ゴールがないと思っていることが不変のものだとすれば、その考えが違っているのである。
「恋というのは、出世魚のようなもので、恋というのは成就してしまうと、形を変えて、それが新たな進行へと結びついていく。それが愛というものなんじゃないか?」
 という話を聞いたことがあるが、その話はずっと昔から受け継がれているものであり、一種の暗黙の了解のようなもので、数十年前のヒット曲にも、同じようなフレーズもあったという。
 ただの言葉遊びに違いはないが、「恋」というものと、「愛」というものへの認識が違っていれば、その二人は、いずれ破局を迎えることになるのではないだろうか。
 それが、「恋」の段階なのか、「愛」に変わってからなのか、それによって、状況はかなり違ってくる。
「恋」の状態での破局であれば、二人の間だけのことで済む場合が多いが、「愛」に変わってしまってから迎えた破局は、少なくとも二人だけの問題では済まないことが多い。逆に言えば、
「破局を迎えた時、二人だけの問題で済んた時は『恋』の段階で、二人だけの問題では済まず、まわりを巻き込んでしまい『愛』の段階まで進んでしまうと、そこには泥沼の愛憎絵図が待っていることが多い」
 と言っていた話を思い出した。
 早紀も健太も、二人とも破局は「恋」の段階で迎えることになった。
 健太の場合は、破局になって感じたのは、孤立という思いだった。
 一人になって思い出すのは、玲子との楽しかった日々であり、その時に思い描いた未来である今の楽しい情景とはまったく違った寂しさが襲ってくることで感じる孤立である。
 しかし、それは男性の側から感じることで、女性の場合は、もっとしたたかな場合が多いのではないだろうか。
 孤独を感じていると、自分だけが不幸になっているように感じ、自分を慰めてくれる相手が現れれば、誰でもいいと思うことがある。そのために、コロッと騙されてしまう女性もいるようだが、果たしてそれが本当に女性の本能であったり、性なのか、疑問に感じている人もいるだろう。
 健太と早紀は、お互いに片方では孤立を感じながら、片方では孤独を感じている。だが、その思いを、相手を見ることで二人は看過していた。
 健太も早紀も、相手を見ていて、
「可哀そうに」
 と感じていたようだ。
 健太は、早紀を見ていて、女性としての悲哀が感じられた。
作品名:二度目に刺される 作家名:森本晃次