二度目に刺される
きっと、自分と自分にとって大切だと思っている人が一緒に危機にさらされた時、自分を犠牲にしてまで、その人を助けるために、死をもいとわないと思うことができるだろうか?
究極の選択に、答えなどあるはずなどない。その時になってみなければ、分かるはずもないのだ。
それもよく分かっている。分かっていて、それでも悩んでしまうと、目の前に見えているはずの出口さえも、見えない状況にしてしまっているのだ。
本当は見えているのに、自分からその出口をくぐることを拒否している。出口をくぐって、一歩先に行くことが怖いのだ。
出口を超えるまでに得ておかなければいけない結論があるはずで、その結論が通行手形となって、関所を超えることができるはず。
――ああ、またしても、同じようなことを、永遠に考えてしまって、気が付けば、最初に戻っているんだ――
と感じた健太は、やはり、出口を意識しているに違いない。
健太は、玲子との別れを意識しながらも、ズルズルと来てしまった。
別れたくないと思っているからではない。きっかけがないという理由にならない理由を何とか理由にくっつけようとするのだが、それができなかった。そのきっかけになったかも知れないのが、着信音の変更だった。
「気になっている妹との思い出の曲」
玲子にとっては、屈辱的な思いではないだろうか。
健太は、別れを玲子から言い出すのを待っている。健太の友達なら、
「女の方から別れを切り出されるのは、男としては嫌だな。ここは格好よく、俺の方から引導を渡してやるっていうのがいいんだ」
というに違いない。
その友達は、今までに何度も、女性から別れを告げられていた。理由としては様々で、何とか相手を傷つけないような言い訳を考えての別れだったり、今までの鬱憤を一気に晴らすかのように、数々の捨て台詞を浴びせられての別れだったりで、その時々でショックの度合いも違っていた。
「だけど、少し時間が経ってしまうと、どんな別れを切り出されても、感覚は同じなんだよな。ひどいことを言われても、そこは自分が冷めた気持ちにさせることで、中和しようとしたり、気を遣ってくれた相手に対して、自分がどれほど傷つけていたかを思い知らされたりと、結局行き着く先は同じだということさ」
と嘯いていた。
「そういう意味でも、こちらから引導を渡すというのはどんな気持ちなのか味わってみたいものだ」
と言っていた。
しかし、普段自分から別れを切り出さない人から見れば、羨ましいらしい。
こちらから別れを切り出すと、必ず相手はすがりついて泣くらしい。
「そりゃそうだろうな。寝耳に水の状態でいきなり地獄に叩き落されれば、そんな気持ちにもなるさ」
というと、
「でも、そんな時に、女の弱さ、悪い意味での弱さなんだけど、それが見えてしまうんだ。見たくないものを見せられる身にもなってみろよ。こちらから引導を渡して正解だったと思うさ。けど、虚しさが消えるわけではない。自分から別れを言い出すことは、もうしたくないと思うんだけど、繰り返してしまうんだよな」
「それが、お前という男のいいところでもあり、悪いところなのかも知れないな」
「長所と短所は紙一重だっていうからな」
「ああ、まさしくその通りだ」
男女の別れに際して、いろいろな意見を聞いていた健太だったが、玲子との間では、相手に言わせたいと思っていた。
その理由に関しては、分かっているつもりだった。
――僕には、早紀がいる――
それが理由だった。それ以外にはない。もし、それ以外にあったとしても、最終的には早紀がいることに繋がってくるだけのことだと思うようになっていた。
アナフィラキシーショック
玲子との別れは、思ったよりもスムーズだった。玲子は完全に健太を冷めた目でしか見なくなっていた。そのことを分かっていることで、玲子の方も、別れを切り出しやすいのだろうと思ったからだ。
そこに持ってきて、やっと携帯の着信音を変えた。
「さようなら、ありがとう」
冷めた口調は、氷のように冷たいオンナを演出していた。
――これを待っていたはずなのに――
その思いは、健太の中に若干の後悔を残した。
しかし、それは未練ではない。別れはスッキリとしていたはずだ。だが、どこか、今までに感じたことのある孤独と違った意味での孤独が健太を襲った。ただ、今までで一番軽い部類の孤独であった。
――孤独という言葉を使うまでもないほどの寂しさ――
そう言えたのかも知れないが、孤独は孤独だった。
一人になったことに対して感じる想い、それは孤独以外の何物でもない。
――早紀がいると思っているのに――
それとこれとは違うようだ。
すぐに孤独はなくなったが、その感覚はじわじわと心の中で燻っていた。なかなか消えてくれないものだという意識が残っていた。
――これが失恋というものか――
今までにない失恋への憂い、自分から別れに持って行こうとした報いもあるからだろうか。それを罰だというのであれば、甘んじて受け入れなければいけないと思うのだったが、すぐに消えてくれないことの厄介さが、辛さに変わることを恐れていた。
健太は不覚にも、その時すでに、早紀に彼氏がいたことを知らなかった。どうやら二人は入院中に仲が深まったということだったが、何とその相手が、健太にとって、親友の坂本小五郎だったのだ。
坂本がケガをして入院していたのは知っていた。病院に見舞いに行ったこともあったが、その時は、玲子も一緒だった。しかし、その時すでに玲子との仲はギクシャクしていて、いよいよ「別れ」という言葉が真剣みを帯びてきた頃だったので、健太にとって、まわりのことはどうしてもおろそかになってしまっていた。
坂本は、その病院に早紀が入院していることを知っていた。坂本は早紀に対して、
「親友の妹」
という以上の感情を抱いていたのだが、健太にはそのことを分かっていなかった。
坂本が健太を合コンに誘ったのも、健太の目を妹から離すという、邪な気持ちがあったのも事実だ。
しかし、まさか健太自身も妹に対して、妹以上の感情を抱いているなど想像もしていなかったので、ただ、目を背けるだけでよかった。うまい具合に玲子と付き合うようになってくれたおかげで、早紀に近づくことができるようになったと思った矢先、早紀が交通事故で入院してしまったことを知らされた。
それでも、何とか、
「お兄さんの親友」
という立場を使って、親密になれるのではないかと思っていたが、自分も入院してしまった。
幸か不幸か同じ病院に入院できたことを、坂本はどのように考えただろう?
最初、ケガをした時、
――やっぱり、諦めた方がいいのかな?
と思うようになった。
ただ、親友の健太は自分のことを二の次にして、玲子との関係を育むようになっているのを見て、自分が与えてはいけない相手におもちゃを与えてしまったような感覚に陥っていることに気づいた。
――このままだったら、俺はピエロじゃないか――
それだけは嫌だった。
ここまでくれば、健太に対しての嫉妬や恨み、それは早紀に対しての気持ちを超えるものがあった。