二度目に刺される
思った通り、タクシー乗り場に向かうと、そこにはタクシーが二台ほど待機していて、二人はそのうちの一台に乗り込み、
「すみません、県立病院の救急センターまで」
と言って、タクシーを走らせてもらった。
県立病院は、かなり広いので、目的の場所を言わないと、見当違いのところで降ろされたりする。しかも、総合受付のある正面玄関から緊急センターまでは少し歩かなければいけない。建物の中を行ったことは一度だったが、その時の記憶は相当昔のものなので、今では自信がない。表から行こうとすると、かなりの遠回りを余儀なくされるようだ。
そのことも分かっていたので、健太は、的確に救急センターと告げることができた。運転手も分かっているようで、何も聞かずに車を走らせた。
幸いなことに、美術館から病院までは大きな公園の中の施設になっていて、裏道を通れば、信号に引っかかることはない。ただ。それぞれに正反対の場所にあるので、歩くには無理があったのだ。
約五分もあれば、到着した。
タクシーには、先に玲子に乗ってもらい、自分が後から乗った。普段は逆なのだが、緊急事態ということで、このあたりは阿吽の呼吸だった。
「玲子、すまない」
「いいわよ」
と言って、支払いを玲子に任せ、建物の中に一目散で入った健太を、両親が神妙な面持ちでソファーに腰かけて待っていた。
「ああ、健太。早紀がね。さっき交通事故に遭って、この病院に運ばれてきたんだよ」
お母さんは慌ててそういったが、お父さんは無言だった。
「それで?」
「さっきまで、緊急手術が行われていたんだけど、とりあえずは成功したのよね。でも、血液が必要らしくて、あなたが来るのを待っていたの」
「僕の血液でいいなら」
と言って、健太は母親に連れられて、病室に入った。
痛々しい姿でベッドで眠っている妹は、本当に重病人だった。頭や腕に包帯が巻かれていて、片方の腕には輸血が、反対の腕には天敵が施されていた。見るに堪えない姿だった。
担当の看護婦さんが、健太の血液を採血し、検査を行った。
そして、
「こちらへどうぞ」
と招かれて入った部屋で、血液を抜かれるようだ。
「献血などで気分が悪くなったことはありますか?」
と聞かれて、
「いいえ」
と答えた。
しかし、よく考えてみれば、さっき立ちくらみを起こしたばかりではないか。このことは言っておかなければいけないことなのではないだろうか?
健太は迷ったが、結局何も言わなかった。
献血用の血液採取がまもなく行われたが、終わってから担当の医者に、
「今日明日くらいは、あなたも安静にしてください。献血の比ではないくらいに血を抜いていますからね」
「はい、わかりました」
と言って、
「あの、妹は大丈夫なんでしょうか?」
と、一番気になっていることを聞いてみた。
「ええ、もう大丈夫です。最初は血液が足りなくてそれが気になっていたんですが、あなたが来てくれたので、その心配もなくなりました。あとは回復に向かうばかりですから、安心してください」
「それはよかった」
というと、医者は、
「では、あなたもお大事にしてください」
と言って、踵を返し、部屋を出て行った。
健太が血を抜かれた部屋は処置室のようで、ベッドがあと二台あったが、誰もそこにはおらず、部屋の中には健太一人が残された。
やっと冷静になって考えることができた。すると、記憶は、自分が立ちくらみを起こしたあの時に戻っていたのだ。
「あの時、玲子の電話だと思っていたけど、ひょっとすると、一緒に僕の電話も鳴っていたのかも知れないな」
と思った。
健太の電話は、何度かコールを繰り返すと、自動で留守番電話に繋がる仕掛けになっていたので、一度留守電になってしまうと、二度目からはそちらにしか繋がらない。そう思って自分の携帯を見てみると、確かに留守番電話に掛かっていた。内容は残されていなかったようだ。
留守番電話に掛かる時は、二、三度のコールで留守番電話になるので、玲子も電話に気づかなかったのかも知れない。もし、気づいていたとしても、二、三度のコールで切れるのだから、大した用事ではないと思ったことだろう。玲子を責めることはできない。
「それにしても、間に合ってよかった」
健太は、ホッと胸を撫で下ろした。
そこまで考えたところで、扉がガラガラと開いて、誰かが入ってきた。
「大丈夫?」
その声は玲子だった。
「ああ、大丈夫だよ。結構血を抜かれたけどね」
「えっ? 大丈夫なの? あなた、さっき立ちくらみを起こしたばかりなのよ」
立ちくらみの場面を目の当たりにした玲子だから言えることだろう。当の本人は、意識がなくなり、倒れ込んだので、どれほどの状態だったのか、想像もつかない。
「うん、大丈夫。ゆっくり寝ていればいいらしい。ところで早紀の方はどうなんだろう?」
医者の話で大丈夫だということは分かったが、実際にさっきの痛々しい姿を見ているので、本当の安心には至っていない。
「ええ、大丈夫。さっき少し意識を取り戻して、ご両親と、そして私のことは分かったみたいだったわ。その時、『お兄ちゃんは?』と言ったんだけど、お父様は、『そこまで分かっているんだから、大丈夫だと』と言ってくださったの」
「それはよかった。僕が別室にいることは?」
「ええ、伝えているわ。健太さんも起きれるようになったら、行ってあげてほしいわ」
そういって、玲子はニッコリ笑った。
「今すぐ行ってみたいない」
「大丈夫?」
「ああ、車いすでもあれば、行けるだろう」
「私、聞いてきますね」
玲子は、ナースステーションに車いすを聞きにいった。そして帰ってきた時には、看護婦と車いすを伴って帰ってきたのだ。看護婦に手伝ってもらって車いすに移動してもらうと、車いすを玲子が押してくれるということで、
「じゃあ、後はお願いします」
と、看護婦は玲子に告げ、自分の仕事に戻って行った。
「車いすに乗るなんて、初めてだな」
というと、
「やっぱり違う?」
「ああ、世界が違って見えるようだ」
ウソではなく、本心からの気持ちだった。
車いすというのは、思ったよりも振動があるようで、結構腰に感じるものがあった。段差などがあれば、結構響くようにできているのかも知れない。
妹は手術も成功し、意識も取り戻したことから、集中治療室から、個室へと移動していた。輸血した場所からは結構離れていたので、普通に歩いても遠く感じたであろうが、車いすでの移動であれば、さらに遠く感じられた。
病室に行くと、扉は少し開いていて、そこには見慣れない男性二人組が、妹に向かって話しかけていた。その様子は見ていてあまり気持ちのいいものではない。どこか事務的なものを感じたからだ。
しかし、それでいて顔は真剣そうに見えた。一体、どうしたことなのだろう?
両親は表で中の様子を心配そうに見守っていたのだが、車いすに乗った健太を玲子が押してくるのを見て、そちらの方が心配になったのか、
「あなた、大丈夫なの?」
母親は、すかさず健太に近づいた。
「ああ、大丈夫だ。結構輸血が必要だったようで、少しフラフラすることもあって、車いすを使っているだけさ」