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二度目に刺される

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 妊婦さんが炊飯の匂いで嘔吐を催すというシーンをよくテレビドラマで見たりしていたが、その気持ちは健太には分かる気がしていた。確かにバテている時は飽きがきている時でなくとも、嘔吐を催しそうに感じるのが炊飯の匂いだった。そこに飽きまで加わると、本当に食べれなくなってしまう。
 そうなると、何を食べるかといえば、冷やし中華やそうめんなどのような、夏独特の食べ物である。ダシには軽く酢ものが入っていて、あまり強いと嘔吐を催すので、高校時代までは苦手だったが、大学に入ってからは、冷やし中華など好んで食べるようになった。
 高校時代までにはなかった一段階が、大学に入ると存在する。さすがに冷やし中華が飽きるということはなくなっていた。
 しかし、それでも次の段階には高校時代までと同じで進んでいた。
 それは一日の食事の回数が減ってしまうことだった。
 元々、一日二食が主食だった。
 朝食を摂ることはしない。それは、米の飯を飽きるようになった理由の一つでもあるが、子供の頃、中学時代まで毎日のように決まって朝食というと主食は、
「ごはんと味噌汁」
 だったのだ。
 味噌汁はいいとしても、白米だけはすぐに飽きてしまった。
 ふりかけを掛けても、みそ汁を口に含んでごはんをかきこむというようなこともしてみたが、同じだった。
 悪あがきをすればするほど、白米に対しての飽きに拍車がかかり、
「見るのも嫌だ」
 という寸前まで行っていた。
 中学時代の途中から朝食を食べないようになって何とか、米の飯を嫌いになることはなかったが、飽きがくるまで食べなければいけなかったことへの思いは、一種のトラウマのようになっていたのだ。
 そんなわけで、中学時代の途中から、一日二食になった健太だったが、朝食を食べないからと言って、昼までに猛烈に腹が減るわけではなかった。むしろ、一日三食を食べていた時の方が余計にお腹が空いていたような気がするくらいだ。
――これなら最初から、朝食を食べなければよかったんだ――
 どうして、皆三食にこだわるのか分からなかった。
 そもそも、起きてからすぐなど、食べれるわけはないのだ。いくら歯を磨いたり、目を覚ますようにしていたとしても、口の中はまだまだ眠っていた時のままである。そんな状態に米の飯を詰め込むのは、少し無理があったのではないかと思っている。
 特に健太のところの米の焚き方は、水分が多く、柔らかめだった。起きてすぐの口の中では、今から冷静に考えると、気持ち悪さだけが残ってしまうように思えて仕方がなかった。
 昼食と夕食のどちらが食欲が湧くかというと、やはり夕食だった。夕食から次の日の昼食までの方がはるかに時間が経過しているのに、おかしなものだ。
――眠っている時間があるからだろうか?
 と思ったが、その考えも釈然としない。自分を納得させられる意見ではないような気がしたからだ。
 それが夏になると、夕飯が今度はきつくなる。
 昼食に、学食で冷やし中華を食べると、夕飯の時間まで腹持ちがよくなってしまっているからか、食欲が湧いてこないのだ。
 夏というのは、夕方になると一気にその日一日の蓄積した疲れを感じてしまう。
 夜になると、少し回復してくる気がするのだが、食欲だけは湧いてくることはなかった。
 夏に限らず夕方、いわゆる「夕凪」と言われる時間は、一日の疲れを一番感じる時間帯だった。それまでに、これでもかというほど差し込んでいた西日が建物の影に隠れてしまい、建物の後ろから執念深く空を照らしているのを感じると、そのうちにそれまで感じていた風を感じなくなる。無風状態を「凪」というのだが、普段であれば無風状態というものをあまり感じることもなかった。
 それなのに、無風状態を感じる時というのは、今度は夏に限ってのことなのだが、身体にベッタリと汗を掻いている時であり、いつの間にか、汗が冷えてきていて、下着が身体に纏わりついてくるのを感じた時である。
 自分では身体を動かしているつもりなのに、纏わりついてくる汗を払いのけることができず、まるで水の中でもがいているかのような無駄な動きのせいで、いつもより疲れを感じてしまう。
 意識はしていても、疲れをどうすることもできず、この気持ちをどこにぶつけていいのか考えていると、目の前のうっすらとオレンジ色に変わっている空にぶつけるしかないことに気づく。
 夕凪の時間に疲れを感じてしまうのは、そんな状態に陥った時だ。身体に纏わりついた汗が、風のあることを敏感に教えてくれるが、逆も真なりで、風のないことも教えてくれる。だから、夕凪という時間に敏感になれるのだ。
 風がないというのは、抵抗もないが、風による恩恵も得ることができない。疲れを感じている時に恩恵を受けることができないことを感じると、無性に諦めの境地が働くのか、身体の力が一気に抜けてしまうのだろう。
 疲れはそんな時に感じる。一日のうちで一番疲れを感じる夕凪の時間は、日中の疲れの蓄積を感じることで、やがてやってくる夜に備えるという意味もある。夜になってまで疲れを残してしまうと、睡眠に影響してくることを分かっているからだ。疲れたまま睡眠時間を迎えると、深い睡眠に入ることはできず。浅い睡眠の中で、普段は見ることのできない夢を見るだろう。
 そんな夢に限って怖い夢に決まっている。
「夢というのは、深い眠りの時に見るもので、浅い眠りの時に見る夢は、ろくなことはない」
 と感じていたのだ。
 夕凪の時間を夏の間は、ほとんどと言っていいほど感じてしまう。
 ただ、夕凪の時間を感じるのは、表にいる時だけだった。建物の中にいる時は、当然風のあるなしや、建物の影から空を照らす薄っぺらいオレンジ色の光を感じることができないからだ。
 それでも、食欲は湧いてくることはない。一日中表に出ることのない時は別だが、大学生が一日のうち、太陽が沈んでからしか出かけないなど考えられないと思っていた。
 ただの貧乏性なのかも知れないが、大学時代というのは、今までにないほど一番時間を無駄にしたくないと思っている時期だった。
 しかし、それは矛盾でしかなかった。
 大学に入って、それなりに遊びも覚えたし、
「無駄なことをしている」
 という意識を持った時間も存在する。
 存在するというよりも、そんな時間ばかりだと言ってもいい。それはなぜなのか、ずっと考えていたが、結論として湧いてきた考えは、
「これから先、何をしていいのか分からない」
 という考えがあったからだ。
 暗中模索という言葉があるが、大学生のように時間に余裕があり、社会人のように結果をすぐに求められるわけでもなく、その結果によって評価されるわけでもない四年間。自分でも、ぬるま湯を意識していた。
 もっとも、就活時期はそうも言っていられないし、テスト期間中は、真剣にテストに向き合う必要があるが、それ以外はぬるま湯でしかない。
 そのため、テスト期間中もぬるま湯体質が抜けていないような気がしていた。それによって自分の立ち位置が分からなくなり、先のことを考えるのが怖くなってしまっているのではないかと思うようになった。
作品名:二度目に刺される 作家名:森本晃次