二度目に刺される
しかも、面倒見もいいことで、慕ってくる人も多くなった。お嬢様ということで嫌われることはなくなったが、それでも、中には心の底で何を考えているか分からない人もいたりして、ある程度順風満帆の自分の人生を、手放しで喜べない早紀だった。
それでも、ポジティブに考えられるようになった早紀は、満足していた。小学生時代から中学生になって何が変わったのかというと、
「ネガティブにしか考えられなかったことが、ポジティブに考えられるようになったことだ」
この思いに気づいた時、まわりが見えるようになった。
そして、今まで感じたことのなかった信頼感を、肌で感じることができると、その思いが気持ちのいいものだと感じるまでに時間は掛からない。この思いがいずれ異性に感じられた時、
「私の初恋になるんだわ」
と思ったのだ。
時々兄の健太に挑戦的な表情になり笑顔を浮かべていたが、同じような表情を初恋の人にも浮かべることになると思っていた。
「初恋は淡く切ないもので、成就するものではない」
と聞かされていたので、成就までは期待していなかったが、実際に初恋を味わうと、
「まさにその通りだわ」
と、感じることになる、。
初恋の相手には告白もできて、お互いに両想いだということが分かったが、実際に付き合い始めると、自分が想像していたものとかなりの開きがあった。それは相手も同じだったようで、気が付けば、別れに繋がっていたのだ。
別れはしたが、切ないものではなかった。甘い思いはなかったが、初恋から「大人の恋」をして、「大人の別れ」を味わったのだ。
兄の健太は、そんな早紀を見ていて頼もしく感じたが、
――もうお兄ちゃんの力はいらないのかな?
と思うと寂しくなっていた。
その思いはずっと燻っていて、時々無性に妹に慕ってほしく感じることがあり、そんな時は自分が寂しさを感じる時であった。健太が寂しさを感じる時というのは、妹のことを考えている時だけで、友達との間のことで寂しいとは思わない。それだけ妹に対しての思いは特別だったのだ。
そのことを親友に話した時のことだった。
「お前ら、本当に兄妹なのか?」
といきなり言われてビックリさせられた。
「どういうことなんだい?」
「お前は結構極端なところがあるのは分かっていたけど、特に妹のこととなると、異常なくらいに極端になることがある。俺が思うに、お前が極端なのは、最初から極端なんじゃなくて、妹という存在があることで極端になるんじゃないかって思うんだ」
「よく分からない」
「妹というのは血が繋がっているという思いを持っていなくても、血の繋がりを無意識に確認しているんだよ。だから、妹でなければ分からない、あるいは、妹だから分かるということを自分に納得させられるんだよね。でも、お前を見ていると、無理にでも妹との血の繋がりを意識しようとしているように思えてね。それが定期的であり、その時に両極端に見えるんだよ」
「……」
言い返すことができなかった。
頭の中で一生懸命に計算しているつもりだったが、気が付けば堂々巡りを繰り返している。友達にも分かっているようで、
「また最初に戻っただろう?」
友達にも妹がいて、健太と同じ三つ下だった。
友達は続けた。
「俺も小さい頃に同じように極端になったことがあったんだ。誰も指摘してくれないので、自分で分からなかった。まだ十歳にもなっていなかったので、異性への気持ちのわけはないが、どうやら、自分が正義の味方になっていて、悪に苛められている妹を助けるヒーローが俺だったんだよな」
健太はハッとした。
「そういえば、妹は小さい頃、いじめられっ子に苛められていたんだ。俺は知っていたんだけど、助けてやることができなかった。それでも、妹は俺を慕ってくるんだよ。何ともやりきれない気持ちだったさ」
それを聞いた友達は、
「なるほど、そういうことか」
「どういうことなんだい?」
「お前は、その頃のことがトラウマになってしまっていて、妹のことを自分が守るという使命感に包まれているだろう? それは俺が小さかった頃に感じていた正義の味方の発想なんだよ」
「……」
「だからと言って、お前を責めるつもりはないんだが、俺の場合は子供の頃だったので、これから成長する過程でのことだった。だから、プロセスとしてトラウマになることもなく、成長の中に埋もれてしまったのさ。思い出としてね。でもお前の場合は、トラウマが先にきて、その後に成長があった。成長期にはネガティブになることはなかったので、正義の味方の発想も自分の中から排除したんだろうな。でも、成長期を抜けると、今度は妹に対してどう感じていいのか分からなくなった。だから、気持ちだけは幼い頃に戻ってしまったんだろうな」
「新鮮な気持ちになったということかな?」
「成長しきれなかったわけではなく、子供の頃の記憶を求めて意識が自分の記憶の中を探り始めた。本当ならあるはずの記憶がないことで、再度作ろうという意識が生まれたのかも知れない。ただ、それが妹に対してなのかどうか分からないんだけどね」
「女として見ているということかい?」
「僕はそうじゃないかって思うんだ。妹というのは、いつも一緒にいるじゃないか。でも、子供の頃に妹にとって、『一番一緒にいてほしい』と思っていた時期に、自分がいてあげることができなかったんじゃないかって思っているんじゃないか? それが君の中でトラウマとして残ったんだよ。でも、それが本当の意味でのトラウマなのかどうか、分からないけどね」
友達は、さらに続けた。
「君を見ていると、君の意識の中に、早紀ちゃんが本当の妹ではないかも知れないという意識があるように思うんだ。これは君が意識していない『潜在意識』というところが働いているのかも知れないけどね」
「潜在意識か……」
健太は考え込んでしまった。
潜在意識という考え方は、今までに何度も感じたことがあった。特に夢について考えた時、
「夢というのは、潜在意識が見せるものだ」
という話を聞いたことがあったのを思い出さずにはいられない。
友達の話を聞いていると、本当に血が繋がっていないように思えてくるから不思議だった。もっとも、暗示に罹りやすい健太が、自己暗示をかけたとも言えなくはない。どちらにしても、早紀に対しての健太の目は、大学二年生の頃から、少しずつ変わっていったことを、本人も意識するようになったのだ。
事件が起きたのは、それから半年ほど経った頃だった。
相変わらず、ガラケーを弄っていた健太だったが、今まで通りに着信音を通常のベルにしていたことで、悲劇が起きた。
健太にとって、
「トラウマって一体何なんだ??」
と考えさせられるもので、しばらく音というものに敏感になったり、恐怖を感じるようになった時期だった。
ここまでの話はあくまでもこのお話の導入部、次章ではいよいよ物語が動き始めることになる……。
着信音
うだるような暑さとはよく言ったものだ。テレビカメラからではなかなか表現できず、地表から浮かび上がってくる陽炎に、街を歩く人の苦痛に満ちた表情を重ね合わせたりすることでやっと表現できるくらいであろう。