二度目に刺される
と言って謝ったが、その言葉に信憑性は考えられず、どうしても、その時からぎこちなさが残ってしまった。
――せっかく招待してくれているのに、私が雰囲気を壊してはいけない――
と思うのだが、そう思えば思うほど、気を遣っているつもりなのに、どうしてもネガティブにしかなれない彼女に信憑性を感じなくなっていた。
それは頭の中が堂々巡りを繰り返していることを示していた。
しかし、彼女の表情を見ていると、やはり酔狂ではない。何か重大なことを彼女は抱えていて、気を遣って話してくれないようだ。
「私、孤独が嫌いじゃないの。昔からいつも一人だったから。まわりにいるのは家政婦さんや執事の方ばかり、そんな私を一般の学校に通っている人たちが分かってくれるはずもない。だから、孤独には強いつもりだった」
その気持ちは早紀にも分かった。
自分も裕福な家に生まれて、そのことが原因の一旦になり、苛められることが多くなった。
そんな時誰も助けてはくれない。助けてくれるのはお兄ちゃんだけだった。苛めている人以外は冷めた目で見ているだけだ。
――黙って傍観している人たちの方が罪深い――
そう思うようになった。
傍観者に罪を感じるのは、筋違いなのかも知れないが、苛めに参加もしない。かといって助けることもしない。自分にまったくのリスクを背負わないのは、卑怯である。見てみぬふりをする人を見ていると、苛めている人の方がまだマシな気がしてきた。
実際に苛められるのは耐えられないが、それも傍観者の目を意識するからだ。その目が、早紀に恥辱感を与えるのだった。
恥辱に塗れていると、いかにも四面楚歌を感じさせる。
――しょせん、人間なんて孤独なものだ――
そう思ったが、この場合の自分は孤独なのではない。一人孤立しているだけだ。
「孤独」と「孤立」、言葉としては似ているが、同じものではない。
「孤立」というのは、一人になった状況を、客観的に見ているだけのもので、「孤独」というのは、一人になったことを自分の中でどのように感じるかという中の一つである。たいていの場合が「孤独」を感じる。しかし、孤独を悪いことだと思っている人は、孤独でないと思っているのかも知れない。早紀は孤独を悪いことだとは思っていないので、甘んじて自分の中で孤独という気持ちを消化させていたのだ。
そんな時、早紀は彼女と出会った。
彼女は早紀を妹のようにかわいがってくれていた。どんな心境なのか早紀には分からない。しかし、彼女の気持ちを考えると、そこに兄の気持ちも含まれているような気がして、分からないまでも、分かりたいという思いに駆られていたのだ。
兄に対して甘える気持ちと、彼女に対して甘える気持ちでは大きな違いがある。
それは相手が異性か同性かということだった。兄は血は繋がっていても、相手は男性、踏み入ってはいけない壁があるのを感じていた。彼女は血は繋がっていないが、同性ということもあり、
「お兄ちゃんには言えないようなことでも、お姉さまになら話せるような気がするんです」
と言っていたが、それは本心だった。
身体ごと委ねたいと思うのは、お姉さんの方だった。どうしても思春期というのは異性に対して警戒心を抱くことは否めない。抗えない気持ちを抱きながら、兄とだけ気持ちを通じ合わせてしまっていれば、思春期を乗り切れたかどうか、分からない気がした。そんな時に一緒にいてくれるお姉さんは、早紀から見ると女神様にも見えていたのだ。
そんなお姉さんには、何か秘密があるようだ。
――ずっと一緒にいたい――
と思うようになったのは、その秘密を探りたいという思いと、お姉さんに感じることになる、
――影の薄さ――
が、以前話した時に聞いた死期が近いという話と重ね合わせて考えなければならない辛さを味わうことになった。
しばらくは、毎日のようにお姉さんの屋敷に招かれて、楽しい日々を過ごしていた。会話をするのが一番の楽しみで、何も知らないお姉さんかと思っていると、確かに世間のことには疎いところがあるが、学識的なところは素晴らしく知識が豊富だった。たっぷりある時間を読書に費やしているのだと思うと、感無量であった。
だが、そのうちに、毎日の行動が薄っぺらいものに感じられた。知識は豊富になっていくのだが、行動パターンが毎日同じなので、
――同じ日を繰り返しているのではないか?
と感じるほど、一日一日の感覚がマヒしてきていた。
「何かを思い出す時、昨日のことだったのか、それとももっと前だったのか、ひどい時には今日のことすら感覚的に分からない」
記憶の中にはあるのだが、時系列がハッキリしない。その思いが毎日の性格を薄っぺらいものにしてしまっていた。
そんな時、急にお姉さんがいなくなってしまった。いつものようにお屋敷に行くと、執事が出てきて、
「お嬢様は、しばらくお出かけになります。お帰りの日程はハッキリとはしません」
あまりのも無表情で事務的な言い方に、腹が立ったが、執事の顔を見ていると、ここで苛立ちを見せても、
――暖簾に腕押し――
だと思うと、それ以上怒りを覚えるだけ無駄な気がした。それも、執事の狙いだったのかも知れない。
そのうちに帰ってくるものだと思っていたが、一向に帰ってくる様子がない。さすがに早紀も諦めて、もう屋敷に近寄ることはなくなったが、さらにしばらくして屋敷の前を通りかかると、
「空き家」
という文字が見え、門構えの頑強さは変わっていなかったが、どこか寒気を覚えるような不気味さがあった。
「お姉さん、どこに行ってしまったのだろう?」
思い出されたのが、動物の死期の話をしていた時のことだった。
今から思い出すと、お姉さんの印象は、あの時の表情だった。寂しそうに虚空を見つめていた目に光が当たっていたような気がする。実際にあの時に感じたわけではないかも知れないが、今から思い出すと、そうとしか思えないのだ。
「まさか、本当に死んでしまったのではないだろうか?」
執事も家政婦さんも皆分かっていて、お姉さんの死を悼む気持ちを押し殺して、無表情だったのかも知れない。何もかも分かっていて、早紀に心配を掛けまいとして、あくまでも冷めた顔をしていたのかも知れないと思うのは、本当に考えすぎなのだろうか?
考えすぎではないとすれば、お姉さんの優しい性格が、まわりを動かしている。そんなお姉さんのことが改めて偉大に感じられ、早紀は慈しむ気持ちが込み上げてきた。
早紀が変わったのはそれからだった。
友達とも少しずつ会話をするようになり、それまでのわだかまりはすぐに解消された。早紀のことを苛めていた人も、早紀に謝るようになり、和解できたことで、自分が何を求めていたのか、少しずつ分かってきた。
それを分からせてくれたのは、お姉さんの存在であろう。
そう思うと、まわりとも和解できたことも嬉しかったが、それ以上にお兄さんである健太も自分を守ってくれていたことを再認識していた。
中学に入ってそのことに気づいた早紀は、高校生になる頃には勉強もクラスで一番になり、まわりからも一目置かれる存在になった。