次元を架ける天秤
「じゃあ、さっきの会話で、僕の言葉が君の意識していなかったことを口にしたことで、君はいろいろ考えた。その時、今まで繋がっていなかったことが急に繋がったんじゃないかな? 図星というわけではないが、繋がったことで、今まで自分の中で認めたくなかった思いを認めざるおえなくなった。逆に言えば、認めたくないという思いがあったことで、わざと繋げなかったのかも知れないけどね。これだって、言い方を変えただけで、図星を指摘されたという発想になりはしないかい?」
「うっ」
秋田は、何か反論したかった。
しかし、反論できるはずもない。ここまで見透かされてしまっていては、何を言っても、その後に返ってくる言葉が、自分にとって聞きたくないことであるに違いないからだ。
最初は父親の話を聞いてもらっていたはずの会話だったのに、いつの間にか秋田の中にある深層心理をほじくり返して、さらにそこを抉るような感覚に陥っている秋田は、どうしていいのか分からなくなっていた。
――今まで人から指摘されるようなことはほとんどなかったのに――
子供の頃に父親から指摘される程度で、母親も何も言わない。学校に行っても、秋田に対して何か指摘するような人はいなかった。下手に指摘しようものなら、その何倍もの指摘が返ってくる。
実際に指摘されたことはないので、本当に何倍も指摘返すなどということはないのかも知れないが、何かの会話になった時の秋田の理論づけた話に、誰も口を開くことのできないほどの完璧さに閉口していた。
秋田の意見は無駄な言葉が一切ない。結論づけるためのプロセスの会話でも、余計なことは一切言わない。それが秋田の性格であり、無駄なことを言わないかわりに、言わなければいけないと思われることは、一般的に言わなくてもいいと思えることでも言ってしまう。
つまりは、無駄がないかわりに、融通も利かないと思われていたのだ。
次第に会話に秋田が入ってくることはなくなった。
まわりの人は、
「秋田が入ってこなければいい」
と、思っていたが、口にできるはずもない。
しかも、融通が利かないと思っている秋田が、自分から離れていくようなことはないと思われていた。
それなのに、いつの間にか秋田は会話に入ることはなくなっていた。どうして秋田が会話に入ってこないのか、誰にも分からなかったが、その理由について言及する人は誰もおらず、暗黙の了解で、ありがたいことだと皆が思うようになっていた。
その時の秋田は、すでにまわりとの会話に対して飽和状態になっていた。無駄なことを言わないということは、
「必要なこと以外は別にいらない」
ということを示している。
つまりは、もうすでに彼らのような会話の中に自分にとって必要なものはなくなったということである。
――あんな低俗な会話、僕には関係ない――
という思いだったのだ。
すでにその頃になると、クラスメイトは自分よりも下にしか見えなかった。相手をするだけ時間の無駄だったのだ。
秋田がこんな性格になったのは、父親への反面教師だと思っていたが、実際にはどうだったのだろう?
確かに当時の秋田は反抗期だった。しかし、何に対しての反抗だったのだろう?
研究員の父親へどのような反発心を抱いていたというのか、そういえば考えたことがなかった。勝手に、
「反面教師だ」
と決めつけていたが、考えてみれば、その時の自分のまわりの人は皆反面教師だったはずである。
反抗期が終わると、気が付けば反面教師は父親だけだった。その時には父親は死んでいたわけだが、反面教師という反抗期の遺物を秋田は、
「死人に口なし」
として、父親一人に押し付けていたのかも知れない。
秋田は、父親と似たところをたくさん持っていた。
秋田は知らないが、いつも他人事という発想から入るのも、父親からの遺伝だった。この性格を秋田は別に嫌いだとは思わない。この性格だからこそ、ここまで研究に行き詰ることもなく進んでこれたのだと思っている。
秋田が自分の過去を、そして父親のイメージを回想しているのを、健一は黙って見ていた。
秋田が一人自分の世界に入って瞑想するのは今に始まったことではないが、それはすべて研究に対しての時のことであって、会話の間に一人の世界に入るということは今までにはなかった。それは健一が感じているだけではなく、今まで秋田にかかわった人のほとんどが感じていることだろう。それほど、秋田が研究以外のことで瞑想するのは、稀なことだった。
どれくらいの時間が経ったのだろう? 秋田はふっと我に返ったが、本人は三十分近くは瞑想していたような気がしていた。
「あ、すみません。何か考え事をしてしまっているようでした」
「いやいや、、いいんだよ。今までに見たこともないものを見せてもらった気がしたよ」
と、健一は笑顔で言った。
実際に健一が感じていた時間というのは、十分くらいのものだった。秋田が感じていた時間とはかなりの時間差があった。
だが、普通の人が瞑想する時は、もっと時間差を感じるものだということを、この時の二人は知らなかった。
瞑想に入っていた本人には三十分くらいだとすれば、目の前にいて見守っていた人には五分くらいのものなのかも知れない。それほど大きな違いがあったのだ。
それは、見ている方が感じる感覚の差ではない。瞑想に入る人の方に違いがあるのは明らかだが、秋田のように、普段から無駄なことをしないと思っている人も、瞑想に入った時に感じる時間にも、無駄というのがないのだ。
理論づけて考えていくと、最初のスピードは他の人と変わりはなくとも、考えていくにしたがって、スピードが速くなってくる。
加速装置にスイッチが入った時というのは、時間的な感覚もマヒするもので、本当なら無駄がないのだから、もっと短く感じるのだろうが、無駄がないと思っているのは自分だけで、本当は瞑想の中の後ろの方で、無駄を省く努力が積み重ねられている。何が無駄なことなのかというのは頭の中で計算しなければ分からないもの。それは経験から来るものもあれば、持って生まれた感覚もあるだろう。
秋田の場合は、これに関しては持って生まれたものから来ているようだ。
瞑想を繰り返すというのも、持って生まれた性格からによるものではないだろうか。
――普段の自分とは違う――
という感覚が、瞑想しながら浮かんでくる。
普通の人は妄想している時、
――これは瞑想なんだ――
とまでは感じるが、普段の自分とは違うという発想にまではいかないだろう。
瞑想しているということをそのまま受け止めて、余計なことを考えないようにしようと無意識に感じているからに違いない。
「秋田君の父親の死に対して、本当に心臓麻痺なのかどうか。そうじゃないという発想を思い浮かべてみる時が来たのかも知れないな」
と、健一は呟いた。
そしてその目が虚空を見つめていることを秋田助手は見逃さなかったが、その思いがどこから来るのかまでは分からなかった。
健一は、秋田と違って無駄なことを一切しないというような人ではない。
「無駄なことの中にこそ、必要なことも隠されているのかも知れない」
という考えを持っている。