次元を架ける天秤
「すごく大きな問題だよ。見舞金ということであれば、お金は研究所から出ていることになるんだけど、保険ということになれば、保険を掛けていたお父さんの保険から出ていることになるんだよ。決して研究所から出ているものではないので、君たちが研究所に遠慮することなどないんだ。労災だって、本当は貰っておくべきものだったんだよね」
「ええ」
秋田助手にはまだ分かっていないようだった。
「まだ、分かっていないようだね。見舞金がお父さんの掛けていた保険だということになると、お父さんは何か研究所で自分が死んでしまうということを覚悟していたか、予感があったということではないかな? そうでなければ、一般の会社の生命保険に入ればいいんだからね。要するにお父さんは、研究所の生命保険に入っていることを家族には知られたくなかったんじゃないかな?」
ここまで言うと、さすがに秋田助手にも事の重大さが少しは分かってきたのか、今までとは明らかに顔色が違っていた。
「おぼろげにですが、ゾクッとしている自分を感じます。何がどうなったんでしょうか?」
「見舞金が生命保険であり、しかもそれが研究所でもあまり知られていないシステムだということであれば、お父さんの死というのもいろいろ見方が変わってくる。君の元に現れたという雑誌記者が原因究明の引き金を引いたことになるんだけど、ただそれだけのことなのか少し疑問もあるんだよ。ところで君はその雑誌記者とそれから時々にでも会っているのかい?」
「いえ、最初に会ってから、数回会っただけです。それも間を置かずに会っていたんですが、今では会っていませんね」
「連絡は?」
「こちらから取ったことはありません。全部相手からのものでした。もっとも、僕も自分から話をしたいと思ったわけではないからですね」
「ということは、そこまでは相手の計算ずくだったということになるんだろうね」
健一は、頭の中をフル回転させていた。
「君のお父さんがどういう研究をしていたのかということが気になるところだね。何か死にかかわることだったのかも知れないと思うと、少し怖い気もしてきたね」
「そうですね。今まで父の死に対してここまで深く考えたこともなかったので、雑誌記者が現れた時も最初は他人事でした。そんな僕を見て雑誌記者はおかしな笑みを浮かべていたのを今から思えば思い出します。あれは、僕が『いまさら何を』と思っているからだって思ったんですが、他人事の僕を見て、おかしな笑みを浮かべたかったのかも知れませんね」
「きっとそうだと思うよ。ここまで来ると、君のお父さんの死が本当に普通の心臓麻痺だったのかという信憑性は限りなく低くなってしまった。少なくともその時に研究していたことが何か秘密だったのかも知れない」
「ええ、父が研究していたのはタイムマシンのようなものだったと聞いています。だから、僕は子供の頃はSFが嫌いだったんです。父が反面教師でしたからね」
「そうだったね。でも、今ではタイムマシンに大いに興味があるだろう?」
「ええ、完全とは行きませんが。理論上の開発は佳境を迎えています。ですが、僕には理論よりも倫理の方が気になるんですよ。パラドックスのようなものですね」
「それは研究員であれば、皆そうだと思うよ。でも君を見ていると、同じ気になっていると言っても、他の人とは少し違う気がするんだ」
「はい、僕は最初、皆自分と同じようなことを考えていると思っていたんですが、かなり違っていたんです。始まりは一緒だったはずだと思うんですが、どこから狂ってしまったのか、分かりませんでした」
「今では分かっているのかい?」
「ええ、分かっているつもりです」
秋田の表情は、それまでの中でも一番自信を感じられる顔になっていた。
「どう分かっているのかな?」
「僕は、いつも他人事という視線から入って行くんです。最初から主観で見ることはしない。その目があるから、冷静になれるんだって思います」
「人というのは冷静になる時、持って生まれた天性のようなものと、生きてきた中で培われたものとの二つがあると思うんだよ。君の場合は、生きてきた中から培われたものじゃないかって思うんだ」
「というと?」
「父親に対しての反面教師のような発想だね。君は反面教師にしてきた相手を父親だけのように思っているかも知れないけど、他の人も結構反面教師として見ているところがあるんじゃないかな? 自分と違う面を持っている人に対して、大なり小なり反面教師、下手をすると自分以外の人すべてが反面教師に見えているんじゃないかな?」
「それじゃあ、先生に対してもということですか?」
「僕は、時々君の視線に反発的なところがあると思っていた。それは他の人のように、自分の意見を持っていて、その意見と比較することで、反発的になるのとは違っていたんだ。君の場合は、まず反発的な感情があり、そこから相手の感情や感覚との違いを見つけていき、そこで自分の感情を形成するというやり方になるのかな? そこに『他人事』という発想が生まれてくるんだ」
「それが反面教師に繋がると?」
「そうだね。君はまず『他人事』という感覚から、一歩離れたところから相手を見る。それを冷静な目だって思っていると感じる。その思いが子供の頃の父親への反面教師という発想にフラッシュバックして、重ねてしまうんだね」
「僕は確かに『他人事』という発想は持っていると思うんですが、それと父親に対して感じた反面教師を結びつけているという思いはないんです。反面教師は反面教師、他人事は他人事、違うものだって思っていますよ」
秋田助手がムキになってきているのに気づいた。頬は紅潮していて、目の輝きはあっても、研究の時のものとは違っている。
「秋田君。この研究所において、君のように反面教師の感覚を持っていたり、他人事というイメージでまわりを見る目というのは他の会社に比べると必要なものだと思っている。だから、ここの研究員にはいろいろな秘密があったり、孤立した感覚がマヒしてしまったりしている人も多いと思う。決してそのことを悪いことだとは言っていないんだよ」
と、健一は諭すように呟いた。
興奮気味だった秋田助手は、その言葉を聞いて、ハッと我に返ったのか、
「すみません。少し興奮してしまっていたようですね。でも、どうしてこんな興奮した感情になったんだろう?」
「人というのは、図星を言われると、自分でもどうしていいか分からなくなるものなんだよ。人と話す時というのはどうしても、相手との会話の先を読んで、人がこう言えば、次はこう言おうというように先読みするんだよね。その時人は無意識に、自分の考えていることを相手は言わないだろうと思うものなのさ。だから図星を言われると、せっかく立てていたその先の会話のイメージがすべて崩れてしまい、パニックに陥ってしまう。興奮してしまうのは、そういう時ではないかな?」
秋田は少し考えていた。
ただ、図星を指摘されたという意識はなかったのに、どうしてなんだろう?
「その表情は図星を指摘されたと思っていないということだね?」
「ええ」