次元を架ける天秤
「ええ、実は母よりも先に僕の方が疑問を感じたんです。確かに父親には心臓に問題があったのは間違いないんですが、ちゃんと健康診断には定期的に行っていて、心臓に関しては本人も結構気にしていたはずなんです。それだけ大切な研究をしていたということなんでしょうが、そこで不思議に感じたんですよね」
「というと?」
「父はその時、研究所に泊まり込んで、研究に没頭したりしていたんですが、子供の僕から見ても、父が研究の中核を担っているのは分かっていました。時々着替えや荷物を研究所に届けるのは僕の仕事だったからですね。そんな時、本当は疲れているはずなのに、元気に僕に対して応対してくれている父を見て、本当に充実している研究をしているんだって思いました。それまでの反抗期だった自分が恥ずかしくなるくらいだったので、よく覚えています。とにかくいつも笑顔だったんですよ」
秋田助手の顔は何とも言えない表情になっていた。
「和解できるチャンスだったわけだね」
「ええ、僕もそう思っていました。この研究が一段落したら。僕も研究所に入りたいって言おうと思っていたくらいですからね」
「それで?」
「父が研究所で倒れて病院に運ばれたという一報を聞いたのは、授業中に携帯に連絡が入ったからでした。相手は母親で、かなり取り乱していたので、僕もすぐに病院に駆け付けたんです。すでに集中治療室に入って意識不明の状態でした。ちょうど警察が来ていて、複数の刑事が母にいろいろ質問をしていました。その時は母も少しは冷静さを取り戻していたようで、受け答えは普通でした」
少し言葉を切った秋田助手は、水差しにある水をグラスに注いで、一気に飲み干した。それは今までの会話でかなり咽喉が乾いていた証拠であるということと、この後、まだ話が続くのだということを示していた。
秋田助手の呼吸が戻るまで少し待っていたが、呼吸が落ち着いてきた秋田助手はまた話始めた。
「少し不思議に思ったんですが、その時母親がいろいろ質問を受けていたということでしたが、どこで父が倒れたのかということを聞くと、倒れたのは研究所だというではないですか。つまりは、研究所での質問は済んでいて、今度は身内の質問に入ったということですよね。本当なら第一発見者だったり、倒れたのが研究所であり、しかも、その時は泊まり込みで研究所に詰めていたんだから、家族よりも研究所への質問の方に時間が掛かるはずですよ。それなのに、すでに母親に質問に来ているということは、父が倒れてから、かなりの時間が経って、僕に連絡があったということですよね」
「確かにそうなるね」
秋田助手は何が言いたいのか、まだ分からなかった。
秋田は続ける。
「変死体とはいえ、事件性があるかどうかは、見ればすぐに分かると思うんですよ。外傷があったわけでもなく、心臓に障害があった父がいきなり倒れたというのであれば、十中八九心臓麻痺を疑うはずですよね。特に警察というのは、すぐに事故や病気で片づけようとするからですね。それなのに、時間が掛かったということは、何か研究所の中であったのではないかと思ったんです。それを誰かが隠そうとしている。しかも、ちょうどプロジェクトに入っていたこともあって、父が何かの渦中だったという仮説も成り立つんじゃないですか?」
どうやら、秋田助手は秋田博士の死に対して、いまさら疑問を抱いているようだ。
ただその疑問は今までずっと本人の中で燻っていて、今話をしてくれたのだ。
――どうして今なんだろう?
という疑問は生まれてくるのかも知れないが、秋田にとって、何が「今」なのか、時間的な感覚が父親の死という事件に関してはマヒしているのかも知れない。
さらに秋田は続けた。
「実は、もう一つ気になることがあるんです」
「どういうことなんだい?」
「父が死んでからなんですが、研究所でプロジェクトが解散されることもなく、研究は続いたんですが、研究が一段落したのは、父が亡くなってすぐのことだったんです。父が死んでも、まるで何事もなかったかのように研究が続けられ、すぐに結論が出た。おかしいと思いませんか?」
「確かに」
「僕は二つの疑問があるんです。一つは父親の死によって研究が完成したことで、父の研究を誰かが受け継いだのではないかとですね。それがもし、根幹にかかわることであれば、父はその人に研究を横取りされたのではないかという考えです」
「もう一つは?」
「父の死によって、逆に研究が進んだのではないかということです。父だけが一人何か反対意見を持っていて、それが邪魔になった。それで父が抹殺されたという考えですね。こちらは、父が正しかったのか、それとも間違っていたのかは分かりませんが、結果研究は完成した。しかし、それは一切公開されなかったようです。極秘裏の研究ではなかったはずなのに、いつの間にか極秘裏になってしまった。それでも、父の事件があった因縁の研究ということで、公開を控えたというのがその時の話でしたが、それもどこかおかしいですよね」
「そうだね。でも、どちらにしても、警察が心臓麻痺として結論を出し、処理されたんだから、殺人の形跡はなかったわけでよね。そう思うと、どちらの意見にも無理があるんじゃないかな?」
「ええ、確かにそうなんですが、そうなると、気になってくるのが、僕への一報までに時間が掛かったことなんです。研究所の中で父が倒れてから何があったのか。いや、そもそも父が倒れる前から何かがあったのかも知れない。今となってはすべてが闇の中ですが、僕はずっと頭の中で燻っていることなんですよね」
秋田助手の考え方にはかなりの無理があるように思えた。すでに十年も経っていることだし、それを証明することは困難を極めるはずだ。実際に、その時研究員だった人が今どうしているのかというのも問題だった。
「プロジェクトのメンバーは、どうなったんだい?」
ほとんどの人が、その研究の成果で出世したようです。教授になった人、博士号を取得した人、さらには政治家に転身した人、バラバラです。
「政治家?」
「ええ、文部科学省に、釧路睦夫という官僚がいるんですが、その人がその時のプロジェクトリーダーです」
「君のお父さんはどこまでの立場だったんだろうね?」
「メンバーの中ではナンバーツーともナンバースリーとも言われていたようです。ナンバーワンを支える人は一人ではないので、そういう位置づけだったんだと思います。ただ、研究員としては、間違いなくナンバーツーだったという話でした」
「でも、かん口令を敷かれていたのに、よくそこまで分かったものだね」
「ええ、母親がどうにかして探ったようなんです。母は父が死んでから、夜はスナックに働きに出るようになりました。当時、その時の研究員が来ていたそうです」
「まさか、そこまで分かっていて、そのお店に勤め出したということなのかな?」