次元を架ける天秤
「僕は中学時代まで、父親を反面教師だと思って見ていました。だから、人一倍父親を見てきたつもりだし、急に死んでしまった時は、ビックリしたというよりも、もうこれ以上観察できないという寂しさがあったと言った方がいいかも知れません。だから、父親が死んだことに関していろいろ考えたんです。その時、父親は本当に自分に自信を持っていたのかってね」
「それでどう思った?」
「まだまだ自信はなかったと思います。でも、自信を持つための対策はしっかり持っていたはずなので、時間の問題だったのではないかと思います」
――こいつ――
秋田の話に、すっかり魅了されてしまった健一は、秋田の顔を見ながら、本当に感心していた。それと同時に、
――俺の二十五歳の頃って、こいつと比べて、どっちが前を見ていたんだろう?
と、以前の自分と比較してみた。
健一は、父親以外の人に対して自分と比較して見たことなどなかった。
この研究室には、尊敬しても尊敬しきれないほどの博士がたくさんいる。しかし、健一はその人たちと自分を比較してみることはなかった。
――おこがましい――
という思いとは別に、
――研究者というものは、自分だけの孤独なもので、人と比較するなんてナンセンスな話だ――
と思っていた。
それだけに、いくら自分の助手とはいえ、比較して見てしまうというのは、それだけ余計に親近感を持ったということに他ならない。この時の、
「自分に対しての自信」
という話をしていてさらに親近感を持ったのだ。
――この男、話をすればするほど気持ちが接近している――
と感じた。
しかし、逆も真なりで、
――それでも、最後には決して交わることのない線の上にいて、限りなく近い距離を保ち続けることになるだろう――
と考えていた。
その間には、超えることのできない領域があり、そこに存在するものが「結界」だと思うようになっていた。
結界というものは、分かり合えない人に対してのものではなく、むしろ、一番近しい相手にこそ存在するものではないかと感じた。
「秋田のそういうところが俺は好きなんだ」
「ありがとうございます」
二人の間に照れ臭さはない。あるのは、アイコンタクトによるお互いへの納得だけだった。
「でも、反面教師というのは、あまり持たない方がいいかも知れないな」
「どうしてですか?」
「それは君も分かっていると思うけど、相手よりも自分の成長の方が早ければ、いつかは追い越すことになる。追い越してしまっているのに気づかなければ、反面教師をやめないだろう? そうなると、今度は自分が下りカーブを描くようになるんだぞ」
「なるほど、確かにそうですね。でもそれは自分の立ち位置を見失った時に起こることですよね。僕は決して見失うようなことはしないと思っているので、大丈夫だと思っています」
「それならいいんだ」
秋田と健一は、お互いに父親がこの研究所に携わっていたという点、そして、その父親が事情は違っているが、二人ともいないという点で共通点を持っている。お互いに意識していないつもりでも、オーラは滲み出るものだ。少しでも気を緩めると、相手のオーラに包まれて、忘れてしまいそうな忌まわしいことをさらに思い出すことになる。
二人の間で存在する忌まわしい過去は、忘れてしまいたいと思っても忘れられるものではない。そうであれば、
――思い出さないこと――
というのが必須になってくる。
お互いに完璧な人間ではない。完璧な人間なんかいないと思っているのだが、
「どこが自分たちに足りないんだ?」
ということを理解していない。
足りないというよりも気を緩めると、お互いに意識していないトラウマが自分の頭を支配してしまうだろう。トラウマというのは言うまでもない。お互いの父親に対しての想いだった。
秋田が父親に反発していたように、健一はそこまで父親に執着していたわけではなかった。意識していなかったと言えばウソになるが、秋田が考えていたような反面教師だったわけではない。確かに同じ研究所で研究をすることになったのだが、
「父親の意志を受け継ぐ」
というほどのことはなかった。
そんな父親が謎の失踪、しかも、その話は一部の人が知っているだけのかん口令が敷かれていた。秋田はその時まだ大学生だったので、知らないのは無理もないが、何をいまさら話題にするのか、健一には分からなかった。
「石狩博士は、何の研究をしていたんですか?」
秋田が聞いてきた。
今まで一緒に仕事をしてきて、秋田から聞かれた初めての父の話題。健一自身、しばらく忘れていた話題でもあった。
「僕にもハッキリとは分からないんだ。何しろかん口令が敷かれていたので、身内と言えども詳しい話は何も聞かされていない。母なら何か知っているのかも知れないけど、母に聞くわけにもいかず、真相は闇の中だね」
「そうだったんですね」
少し落胆した様子の秋田だった。
「でも、どうしていまさらそんな話をするんだい?」
「これは僕も知らなかった話なんですが、僕の父親が死んだのは心臓麻痺ということになっていますけど、本当はそうではなかったという話もあるんです。ちょうどその時何かの研究を行っているプロジェクトの一員になっていたようなんですが、父親が死んだ話題は研究所ではタブーになっていたようなんです。プロジェクトのメンバーも何も話さなかったようです」
「それで?」
「石狩博士が失踪した理由について、タイムマシンの研究をしていたからだという話を小耳に挟んだんですが、かん口令が敷かれているので、確かめることもできません。実は自分の父もタイムマシンの研究に一役買っていたという話を僕は昔聞いたことがありました。その時の父の研究と石狩博士とが関係があるのかどうかまでは分かりませんが、同じ研究所で、同じ研究が行われている。五年という月日の隔たりがありますが、これって偶然でしょうか? 僕にはこの五年の間に何があったのか、それが気になるんですよ」
そう言って秋田は頭を下げて考えていた。
秋田助手がそんなことを考えていたなど、想像もしていなかったが、これから秋田助手に対して見方を変えなければいけないのではないかと感じた健一だった。
健一は秋田の様子を見て、ただ事ではないと思い、頭の中でいろいろ考えてみた。そして一つの仮説が思い浮かんだのである。
「秋田君は、お父さんの死に、何か疑問を抱いているということなのかい?」
「ええ、僕もそうなんですが、母親の方が疑問を抱いたようなんです。警察は心臓麻痺だという結論で着地しました。確かに変死体だったので、警察の捜査も入り、司法解剖も行われ、その結論が心臓麻痺だったんです。最初は僕も母も、その結論にしたがって、納得しようと思ったんですが、結局納得できなかったんですね。お母さんは、それからしばらくノイローゼのようになって、僕も大変だったのを覚えています」
「秋田君本人も、心臓麻痺には納得がいかなかったんだね?」