次元を架ける天秤
社会的にも知名度がある人なので、警察としても、何らかの事件に巻き込まれた可能性もあるとして、大々的に捜査が行われた。半年にわたっての本格的な捜査でも、まったく手掛かりは掴めなかった。まるで煙のように消えてしまったというのが、結論だった。
当時すでにタイムマシンは完成していたので、
「タイムマシンを使って、どこかに行かれたのでは?」
という話も出たが、
「主人は私たちに黙っていくはずはありません」
という健一の母親の意見におされて、警察も他の捜索に力を入れることとなった。
しかし、警察の中には、そんな母親の言動に疑問を抱いた人もいた。
「あそこまで頑なに何かを否定するのはおかしい」
という考えだ。
しかし、失踪に母親が何か関わっているのだとすれば、タイムマシンの発想に対してここまで固執するのもおかしい。もし、拉致監禁、その後に殺害したという最悪のシナリオができていたとすれば、タイムマシンに警察の目がいくことは、むしろ自分にとって好都合ではないか。
いや、もし母親が関わっているとすれば、一人でできることではない。その後ろに誰かがいるとして、その人が単独であっても、何かの組織の暗躍であっても、そこにタイムマシンが絡んでいるという考えも成り立たないわけではない。
考え始めれば、いくらでも疑うことができる。それだけ石狩博士というのは、研究所の中でも権威であり、知名度も高く、失踪というだけで大きな社会問題になるだけのことはある。発想が限りなく続いたとしても、無理もないことではないだろうか。
しかし、
「人の噂も七十五日」
ということわざもある。
次第に興味は薄れていった。警察の方でも、このことばかりに手を割くわけにはいかなくなった。博士が失踪して半年が経った頃、政府の裏で暗躍していたグループが、ある政治家を殺害した。
暗躍であれば、警察内部でも公安が秘密裏に動けばいいだけであったが、殺人事件ともなると、捜査一課が乗り出すことになる。しかも、それぞれの連携が問題になるので、他のことに手を割くわけにもいかなくなった。そのうちに石狩博士の失踪の捜査は、棚上げされていった。
失踪届けが警察に受理されて、五年が経とうとしていた。七年経ってしまえば、死亡ということになってしまう。しかし、この五年という月日は、想像以上に長かった。もう博士の足取りを追うことは不可能に近かった。その当時の事情を知っている人もほとんどいなくなった。研究所員は、研究に没頭することが仕事なので、期間に関しての意識も、他の人に比べれば、数段薄いものだった。
秋田は五年という言葉を聞いて、一人考えていた。
「そういえば、お前もそろそろ十年になるのかな?」
「ええ、そうですね。僕はまだ中学生でした」
秋田は、今年二十四歳になる大学院生だった。
彼も、大学を優秀な成績で卒業し、大学院に進んだ。自分の研究もさることながら、
「優秀な人を先生にして、その後ろ姿を見ているだけで勉強になる」
というのが秋田の持論でもあった。
そういう意味では、まだ三十歳を少し過ぎたくらいとまだまだ若い健一であったが、先生と慕うには一番の相手だと思った。
「年齢が近いというのも、先生として慕いながらも、兄貴のような思いで背中を見ていけるというのは、僕にとって幸せなことだと思います」
と言って、健一の助手にしたのだ。
助手と言っても、健一はまだ助手を持つほどの研究をしているわけではない。秋田も自分の勉強や研究に勤しみながら健一の背中を見て行けるのは、この上なくありがたいことだった。
その秋田の身の上に、十年前に何かがあったというのだ。健一もそのことを知っている。ある意味、健一にとっても、
「他人事ではない」
という思いがあったのだ。
秋田の父親は、この研究室の研究員だった。
助教授になっていて、あと少しで教授というところまで来ていたのだが、ある日突然、変死体で見つかった。外傷はなく、司法解剖でも殺害されたという痕跡はなかった。結局、心臓麻痺という死因で落ち着いたようだが、中学生の秋田にとって、父親の訃報は、あまりにもショックだったようだ。
中学時代の秋田は、ちょうど反抗期で、
「親父のような研究者になんかなるものか」
と言って、グレる一歩手前くらいまでいっていた。
しかし、父親の死によって、どれだけの人が悲しみに暮れているかということ、そして、聞けば聞くほど、どれだけまわりから慕われていたのかということも分かってくると、
「人間としての器」
を思い知らされた。
「親父の人気は研究していたことに対してだけじゃなかったんだ」
と、自分が父親を一面しか見ていないことを感じた秋田は、
「これからは、俺が親父の意志を受け継ぐ」
として、勉強に明け暮れ、高校、大学と主席で卒業。大学卒業の頃には、すっかり父親のように、まわりから慕われる人物になっていた。
しかし、彼の素晴らしいところはそれだけではなかった。
決して奢ることはない。謙虚な姿勢が彼の成長を支えていると言っても過言ではなかった。彼が健一の助手に自ら買って出たのも、その気持ちがあったからだ。
健一の方としても、秋田の噂は耳にしていた。
「優秀な大学院生がいるんだが、まるで数年前の君を見ているようだよ」
と、教授から話を聞いていたのだ。
健一も大いに興味を持った。
他の人にこっそり彼の噂を聞いてみたり、影から様子を見てみたこともあった。そんな彼を見れば見るほど魅力的に感じ、それはまるで「もう一人の自分」が目の前にいるような気持ちにさせられた。
「石狩先生の研究をお手伝いできて光栄に思います」
と、彼は健一のことを「先生」と呼んだ。少し照れくさい気もしたが、相手が秋田であれば、それほどでもなかった。それは彼が少なからず健一と同じ道を目指しているような気がしたので、自分が先駆者という意味を込めて、先生と呼ばれることを励みにできる。
先生と呼ばれることが照れ臭いのであれば、それは、自分の研究に確固とした自信を持っていないからではないかと思う。自信を持っていないから、相手におだてられているという思いを抱き、照れ臭く感じるのではないだろうか。
「秋田君は、自分の研究に自信を持てているかい?」
「正直、今は自信があるというわけではありませんが、まずは自信を持てるようになってから、その先が見えてくるんだって思っています。最初から自信を持っているなんて人、本当はいないんじゃないかって思うんですよ」
「確かにその通りだね」
「僕はそのことを父から教わった気がするんですよ」
「それはお亡くなりになられる前に教わったということ?」
「いえ、そうじゃありません。もし父が今も生きていたとすれば、ひょっとしたら分からなかったと思うんですよ。もっとも、父が生きていれば、僕は違った道を進んでいるんでしょうけどね」
と言って、秋田は笑った。
秋田の中学時代の心境に関しては、健一は最初の頃に話を聞いた。グレていたというのも聞いていたし、父親が死んで心機一転したという話も聞いていた。
「そうだったね。でもどうしてお父さんから教わったと思うんだい?」