次元を架ける天秤
それは、喫茶店などで大勢のおばさんの中心にいて、大声で仕切っているような迫力のおばさんを想像していたが、実際に見てみると、夕方のスーパーでかごを肘からかけて、生鮮品を一生懸命に物色しているようなおばさんだった。
――どこにでもいる、控えめにしか見えないおばさん――
だったのだ。
「本日は、どうもご足労をおかけいたしまして、恐縮です」
と挨拶した。
「あ、こちらこそ、お招きいただきまして、ありがとうございます」
と、石狩夫人が挨拶している
二人が一緒に段取りをしたのだから、こんな挨拶は茶番に思えるかも知れないが、これから行われることが、
「儀式である」
と考えると、二人の挨拶が決しておかしなものではない。
いわゆる「開会式」のようなものである。
「それでは、どうぞこちらに」
ここからの主導権は、「おばさん」である。結婚式であれば、仲人というところであろうか。
おばさんは、二人の事情をそれぞれの家庭から聞いていたのか、お互いの簡単な略歴を話し始めた。秋田教授の話はいいことばかりしか話していない。悪いところも石狩教授は知っているはずなので、おばさんに話をしていないのか、それともおばさんは聞いていて、うまくまとめようとしているのだろうか? どうやら、後者のように思えてきた。
話の中で、一見長所のように見えることでも、短所を掠めるような話し方をしている。
「長所と短所は紙一重」
だと言われるが、こうやって話を聞いてみると、一枚のオブラートに包むだけで、短所も長所に聞こえてくるのだから、面白いものだ。
次に相手の話を始めたが、何とか話を聞きながら、
「長所と紙一重である短所」
を見つけようと思ったが、そう簡単に見つかるものではない。
さすがに、おばさんもプロだった。
――まあいい。ゆっくり仲良くなって、いろいろ知って行けばいいんだ――
と思ったが、
「待てよ?」
ふと感じた。
おばさんがオブラートに包んで話をしている中のことをいかに知りたいと思わせるかというのも、見合いのやり方なのかも知れないと思った。相手の略歴を話している間に、いかに相手に興味を持たせるかというのが、見合いの最初の段階なのであろう。そういう意味では、秋田は完全におばさんの術中に嵌ってしまったことになる。
それなら、今度は相手におばさんの術中に嵌ってもらえばいいのだ。いかに、秋田のことに興味を持たせるかというところがミソになってくる。
――この人は、どんな話に興味を持ってくれるのだろう?
秋田の研究に興味を持ってくれるかどうかも心配だった。
さらに秋田の研究はその性質上、極秘事項もかなりの部分含まれている。いかに極秘事項を話すことなく相手に興味を持ってもらうかというのは、それほど簡単なことではないだろう。
「それでは、後は若い人たちに任せて」
テレビドラマなどでおなじみのセリフを聞いて、思わず笑ってしまった秋田だったが、相手を見ると同じように少し照れながら笑っているのを見ると、
――同じ思いがあったのかな?
と思うと、少し嬉しくも感じられた。
ここまであっという間だったような気がしていたが、すでに一時間半が過ぎていた。
「こんなに時間が経っていたんですね。ビックリですよ」
というと、
「ええ」
と、麻美も笑顔で返してくれた。
その笑顔は、まわりの緊張から解き放たれた笑顔に見え、自分に対してそれほど緊張していないのを感じると、
――馴染んでくれたんだ――
という安堵感とともに、
――もう少し緊張していてくれた方が、恥じらいがあって可愛いかも?
という思いも頭をもたげたが、そんなことはもちろん贅沢な思いであり、求めてはいけないことだと思った。
麻美はその日の晴れ着姿は美しかった。
ホテルの中ではさほど目立たなかったが、ホテルを出ると、さすがに目立っていた。待ち合わせは昼下がりだったが、気が付けば夕日も西の空に沈みかけていた。少し冷たさを感じられる風も吹いていたが、歩いているうちに、風がやんできているのを感じた。
「そろそろ夕凪のお時間ですね」
どんどん、夜のとばりが迫ってきているのを感じると、
――風があって当たり前――
という意識からか、風がなくなったとしても、そのことを意識することはない。それなのに、秋田は風のないことに気づいていて、麻美はその口から、「夕凪」という言葉を発した。
夕凪の時間というのは、
――風のない時間帯――
とも言い表せる時間で、昔から不吉な時間とも言われているが、人によっては、神聖な時間だと思っている人もいるようだ。
秋田は、神聖な時間というよりも、怖い時間帯というイメージの方が強い。
「麻美さんは、夕凪の時間を意識されたりするんですか?」
「ええ、結構意識する方ですね」
「夕凪の時間というと、昔から『逢魔が時』とも言われていて、魔物に出会う時間帯だっていう迷信もあるんですが、麻美さんもそれはご存知ですか?」
「ええ、知っていますよ。でも私はそれよりも夕凪の時間というのは、もっと神秘的で神聖なお時間だと思っているんですよ。この時間によく事故が起こったりするとか言われますよね。でも、それだって、本当は昼と夜の狭間の時間のため、見えるものがすべてモノクロに写ってしまうから、事故が起こると思っているんですよ。だから、夕凪の時間帯に事故が多いと言っても、それは迷信であり、理屈で考えれば当たり前のことだって感じているんです」
秋田も研究者の端くれ、それくらいの理屈は分かっているつもりだった。
それでも、敢えてそのことを理解しながら、『逢魔が時』を感じるのは、それ以外に何か神がかったところがあると思える。
しかし、逆に考えると、この時間が神秘的だからだと言えなくもない。プロセスがどうであれ、麻美と最後は同じところに着地することになるのではないだろうか。
そのことを秋田は理解していなかったが、麻美は理解していた。研究者である秋田であっても、麻美のような考え方をする人にはかなわないこともあるに違いなかった。
その日の会話で、秋田はそのことを思い知った。思い知ったことで、あらためて、麻美という女性のことを気に入ったのだ。
「秋田さんは、私にとって、なくてはならない存在になるんじゃないかって私は思うんですよ」
何度目かのデートで、麻美は秋田にそう言った。
秋田は、麻美のことを気に入っていて、プロポーズの機会を伺っていたのだが、どうやら先手を打たれたようだった。
「そのセリフ、本当は最初に僕がいうはずだったのに」
と言って、おもむろにカバンから小さな箱を取り出した秋田は、麻美の指を手に取り、箱から取り出した指輪をさりげなく嵌めた。
麻美は、照れくさそうに指輪を見つめたが、今度は誇らしげに指を二人の前に差し出して、
「どう、似合うでしょう?」
と言いたげに、指輪のファッションショーを催していた。
「君にしか、似合わないよ」
と、言うと、秋田は麻美を抱きしめて、夜景をシルエットにして、唇がゆっくり重なるのだった……。
結婚式から、新婚旅行、そして、新居での生活まで、あっという間の出来事だった。
気が付けば子供もできていて、