次元を架ける天秤
まだ安全装置としての三原則が埋め込まれる前に、見切り発車の形で開発されたロボット。もちろん、研究員が慎重派だったことは言うまでもないのだが、それでも国家の決定事項としてロボット開発のプロジェクトが学者の思惑と違ったところでスタートしてしまった。
しかも、同じ動きが各国で始まったので、競争に巻き込まれた国は悲劇だった。
当然、各国の研究員も我が国と同じように反対派が主流だったが、国家の命令とあれば逆らえない。不本意ながらに開発するのだが、しかもそれは、
「他国に負けない開発」
という命題もあった。
他の国がどんな開発をしているかなど、そう簡単に分かるはずもない。当時の国際法では禁止されているスパイ行為やハッキングが横行する。しかも国家レベルでのしのぎ合いなのだから、手に負えない。
「困ったことだが、どうしようもない」
我が国の研究所では、本当はロボット研究にしても、タイムマシンの研究にしても、本来の目的は、
「不治の病をこの世からなくすこと」
だったのだ。
「医学と科学の調和が恒久平和をもたらす」
この思いは、我が国だけではなく、主要先進国の研究所の以遠のテーマとされていた。
ロボット研究においては秋田教授が第一人者だった。そして、医学部門での研究の第一人者は、石狩教授だった。
二人は、結構仲がよかった。
年齢的には少し石狩教授の方が上で、ちょうど今の息子たちと同じくらいの年齢差だった。
年齢差があるとはいえ、石狩教授は秋田教授を尊敬していたし、秋田教授も石狩教授に臆するところはまったくなかった。
二人は同じ研究所でそれぞれの研究に勤しんでいたので、しばらくはお互いの存在を意識していなかった。もちろん、それぞれ、
「第一人者がいる」
という話を聞かされていたので、興味を抱いていた。
最初に訪れたのは秋田教授の方で、少し時間ができたことで、思い切って大先輩である石狩教授の研究室を訪れた。
「初めまして、秋田と申します。一度石狩教授とお目にかかってみたくてお伺いしました」
と言って、恐縮している秋田教授を見た石狩教授は少し興奮気味に、
「これはこれは秋田教授。私もあなたと会ってみたかったんですよ。わざわざご足労いただいて、恐縮です」
そういって、ソファーに座るように促した
秋田教授の緊張も次第に薄れていき、
「ありがとうございます。気さくな方で安心しました」
秋田はじっと石狩の目を見ながら、ゆっくりと腰かけた。
「コーヒーを入れよう」
そういって、コーヒーを入れてくれる手先も慣れたものだった。きっと研究中にコーヒーが飲みたくなると、自分で作って飲んでいるんだろう。その姿が目に浮かぶようだった。
秋田教授の方は、助手と二人三脚のやり方なので、研究もいつも二人、休憩の時も、助手が入れてくれたコーヒーを飲むので、自分で作ることも珍しかった。ただ、いつも助手と一緒ということは、自分のペースでだけ動くことができないのが少し不満でもあった。今ここで石狩教授の姿を見て、
「羨ましい」
と思ったのは、本音だった。
「なかなかおいしいですね」
助手が入れてくれたコーヒーとはまた違った趣きがあり、コクの深さが石狩教授の性格を表しているようだった。
「石狩教授はいつも一人で研究をされているようですが、研究についての検証はどうされているんですか?」
「それは助手がやってくれているけど?」
「僕の場合は、研究も検証もずっと助手と一緒なんですよ。だから自分で作り上げたものを自分で検証するので、次へのステップにも容易に行けると自分では思っているんですが、石狩教授は助手に任せていていいんですか?」
石狩教授はきょとんとしている。
言っている意味が分かっていないのか、それとも、分かっていて、理解できないだけのことなのか、秋田教授には分かりかねていた。
石狩教授は話してくれた。
「そのあたりは大丈夫さ。僕は助手を信頼しているからね。たぶん、君のいいたいのは、自分の研究の検証を見なくて、次のステップに行くことができるかということだろう?」
「ええ、石狩教授は特に医学関係を研究されているのだから、検証や臨床に関しては、しっかりしておかなければ、先に進めない気がするんです。僕は医学に関しては素人なので恐縮ですが」
「それは大丈夫。検証を任せていると言っても、それはプロセスの問題で、最後の結果に関してはしっかりと見ているからね」
「そうなんですね」
「君もそうだと思うけど、研究をするということは、検証に回す時点で、自分の中で検証結果というものを頭に描いているはずだと思うんだよ。そうじゃないと研究しているとは言えないんじゃないかな?」
「ええ、もちろんそうです。でも、検証にもプロセスがあって、そこで生まれる副作用なども、医学に関しては特にあるんじゃないかと思うんですが、いかがですか?」
「君は医学に関して素人だと言ったけど、なかなか分かっているね。そうなんだ、医学を志す上で、避けては通れないものが、この『副作用』という問題なんだよ」
「僕の研究はロボット工学なんですが、こちらも、副作用で悩んでいます。その副作用というのが、ロボットが陥ってしまう『堂々巡り』ということなんですよ」
「どういうことなんだい?」
「今のロボット研究には、『超えてはいけない壁のようなものがある』と言われていることがあるんですが、それがこの『堂々巡り』の問題なんです」
「うむ」
「今のロボットは、やっと簡単な電子頭脳を有することのできるものはできています。それは今から数十年前から組み込まれているものなんですが、正直、ほとんど進化していない状態です。そこに絡んでくるのが、この『堂々巡り』の問題で、その問題に陥ってしまうと、ロボットは動かなくなってしまうんですよ」
「それは三原則の問題?」
「ええ、教授はさすがにご存じのようですね。三原則には第一条から第三条まで、完全な優位性を持った条文なんですよ。一条があるため、二条、三条はそれを超えることはできない」
「第二条の命令がいかに強いものであっても、第一条に抵触するようならロボットは従うことをしない。でも、第二条に従わないと、他の人に危害が加わるなどという場合もあると思うんだよ。そういう時にロボットはどうするんだろうね?」
「またこういうのもあります。第二条の命令が曖昧なもので、その命令にしたがえば、ロボット自身の危険に見舞われる。だけど本当は命令は絶対のものであったのに、人間が優しかったがゆえに命令に『できればでいい』などという曖昧で、猶予を与えるような言い方をした。しかし、実際にはロボットがその行為をしてもらわなければ、人間に危害が加わるという時なんですよ」
「その時は、人間は自分が危険に晒されるのを覚悟で、ロボットにそのことを理解させる必要がある。まさに命がけでね」
「ええ、その通りです。それだけ、ロボットに対しての開発には、いろいろな場面をこれでもかというほど検証しないと先には進めないんですよ」
「なるほど、分かりました。三原則というものは絶対のもので、揺るぎないものだとすれば、それも致し方のないことなんだね」