次元を架ける天秤
恩師は、表情を変えることもなく、健一に向かって呟くように言った。
「策を弄する人は、自分がする時、相手に気づかれないように細心の注意を払うが、意外と相手にされることに関してはまったく考えないものなんだよ。しかも、相手にされてしまった時のショックは半端ではなく、立ち直れないこともあるくらいなので、よほど気を付けておかなければいけないと思うよ」
この言葉はかなりきつめの口調に感じたが、後から考えれば、この手の話をする時は、どんなに柔らかく言おうとしても、きつめになるのは必至だった。そういう意味ではこの時の恩師の言い方は、一番柔らかかったのかも知れない。一応、温かみを感じることができたからだ。
この時の言葉は、健一にはかなり鋭く突き刺さったまま、離れなかった。
そのおかげで今の自分があるとも言えるのだが、この言葉がなかったら、恩師の言うように、ショックを受けて、立ち直れなかったかも知れないとも感じた。
――研究員として研究している以上、その宿命から逃れられないんだろうな――
一人考え込んでいた。
その時に浮かんできたのが父親の顔だった。
自分の父親が謎の失踪をしたというのも、同じように何かが原因でショックを受けて、そこから逃れるために失踪したのではないかと思った。しかし、それなら少しして姿を現せばいいだけのこと、それもできないほど大きなショックを受けたのか、それとも、本当に何かの犯罪に巻き込まれたのか、いまさらそれを証明することはできない。
しかし、今自分が解き明かそうとしている秋田助手の父親の死の秘密が、ひょっとすると自分の父親の失踪に関わっているのではないかと思えたとしても、それは無理もないことだろう。
秋田助手の話を聞きながら、健一は自分なりの推理を立てていた。
――おかしなことが多すぎる――
しかし、女や子供が父親が勤めていた研究所から言われたことを鵜呑みにしたのも分からなくはない。
相手が会社であっても、臆してしまうであろうに、相手は会社よりも閉鎖的な研究所である。一般人の妻や子供に理屈が分かるはずもない。
「心臓麻痺で亡くなったので、その見舞金です」
と言われれば、
――額が違う――
と思っても、それだけ秘密主義の社会でのことなので、見舞金も破格でもありなのだろうと思ったのだ。
母は、お金を受け取ってから、父のことをなかなか話すことはなかった。
秋田の母親は性格的に、ショックを受ければ、それに対して逃げ出したいという弱いところがあった。
夫が死んでしまったという危機的な状況に陥った時、子供を育てていかなければいけないということはいくらお金をもらったとしても、変わりのないことだった。そんな時、死んでしまった人のことを話すことで後ろ向きになってしまう自分が嫌だったのだろう。秋田も少しは母のことを分かっているつもりだった。だから、父のことを話さない母に何も言うことはなかった。
――感謝こそすれ、責めるなどできるはずもない――
と思っていたのだ。
だが、この時の孤独という感覚が秋田の中に芽生えたせいで、孤立を悪いことだと思うことはなくなり、学生時代のあんな性格を培うことになってしまったのである。
秋田が研究所に勤めるようになってからは、母親との会話も回復していたが、さすがに研究所の話をするわけにはいかず、母親からの話を聞くことが多くなった。それだけ秋田の生活は、研究所を中心に繰り広げられていたのだ。
健一は、その時には漠然とした思いでしかなかったが、自分の父親の失踪が、秋田教授の変死に何か関わっているということを知るのは、もう少ししてからのことだった……。
堂々巡りと副作用
タイムマシンの研究が進んでからというもの、誰もがタイムマシンへの興味に胸を躍らせていた。しかし、そんな時代から遡ること五十年、この世界にはタイムマシンはおろか、ロボットらしきものも、ほとんどいなかった。
簡単な頭脳を持ったロボットと呼んでもいいかも知れないものは存在したが、その時代の人でも、
「こんなものロボットと呼べるものでもないよな」
というほど、話題の割には、そこまで注目されてはいなかった。
それに比べれば、石狩教授が失踪した時代は、ロボットに対しての興味は旺盛で、研究する側も、民間の興味に答えなければいけないというプレッシャーを感じながら、開発をしていた。
中には、ロボットに、
「まずは、自分と同じような開発能力を持ったロボットを作ることで、自分の仕事を分散させたい」
と考えていた人もいた。
ロボット開発において、自分たちのような開発に突出したロボットを作る方が、一般市民レベルのロボットを作るよりもよほど難しかったのだ。
すべてに平均的で、いろいろな発想を抱くことのできる人間が、開発するには一番困難なものだった。
「何を考えているか分からない」
というのが人間で、人間に近いロボットを作るということは、そういう汎用性に長けたロボットを作ることになる。そうでなければ、今の人間とロボットの共存など、ありえないと思われていた。
それは、
「成長する頭脳」
を作ることであった。
人間とロボットの一番の違いは、
「肉体的な成長」
である。
しかし、精神的な成長であれば、肉体的な成長を実現するよりはるかに簡単なことである。
そのことは研究員もよく分かっているのだが、研究する方も人間であり、体力的にも精神的にも限界がある。
その点、ロボットは疲れを知らない。
命令してしまえば、いくらでも寝ることもなく活動する。もちろん、定期的に休ませることも必要だが、人間のように、一日の三分の一を寝ていなければいけないようなことはない。
彼らであれば、精神的なムラや起伏もなく、開発に勤しむことができる。
「元々、ロボットというものは、そういう意図で開発されたものではないのだろうか?」
と言われている。
しかも彼らの中には、
「俺たちが最高のロボットなんだ」
という意識が埋め込まれている。
それは、研究員である教授たちが密かに埋め込んだもので、彼らの一種のプライドのようなものだった。
しかし、それは彼らが開発するロボットがいかに複雑であっても、
「自分たちの方が優位なのだ」
という意識を持たせることで、開発に対しての疑念を抱かないようにすることに貢献した。ロボットの世界でも人間のように優劣をしっかりとつけておかないと、混乱をきたしたり、まったく同じものばかりできてしまっては、集団意識を持った時、人間に対抗するにあまりあるほどの力を有することになり、人間を支配する気持ちを持ちかねなくなってしまう。
百年以上前に考えられた
「ロボット工学三原則」
というものがあるが、この時代になっても、その理論を完全に掌握したロボットを作り上げることは不可能なのだ。
「人類にとっての永遠のテーマなのかも知れない」
とも言われるようになってきた。