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次元を架ける天秤

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 大学院時代までの秋田はそうだった。団体で研究をしながらも、いかに自分が目立つかということを考えていた。自分の意見でメンバーが動くという快感もあり、常に頂点にいなければ気が済まなかった。
――そうでなければ、ずっと助手どまりで終わってしまう――
 と感じていた秋田は、そのまま研究所に残ることになっても、その気持ちを変えることなく自我を通すつもりでいた。
 だが、助手をやってみると、今までにない感情が浮かんできた。
 なぜなら、今までずっとトップでいようと心に決めて、突き進んできたのだ。相手が先輩であっても同じだった。しかし、それは学生だから許されたことだ。卒業してしまえばいくら研究所に残ると言っても、立場はまったく違うものになるからだった。
 秋田は研究所の中で、健一に会っていなければ、孤立していたかも知れない。学生時代から孤立には慣れていたが、卒業してしまうとそうもいかない。学生時代と何が違うのか、身に染みて感じたからだ。
 まず一番の違いは、
「結果を求められること」
 だった。
 いくらプロセスが順調でも、最後の詰めが甘ければ、結果がついてこない。そんな状態では研究員としては二流のランクを押されてしまう。
 また、いくら結果が出たとしても、今度はそこからプロセスを見られることになる。つまりは、息が抜けないということだ。
 そんな状態の中、孤立してしまうと、致命的になってしまうのは必至だった。実際に先輩の中で、かなり自意識過剰の人がいて、孤立してでも自分ならできると思っていたのだろう。ノイローゼになってそのまま入院を余儀なくされたという。鬱病を発症し、いまだに入退院を繰り返しているというから、心の奥に受けた傷は、かなりのものだったに違いない。
 しかし、中にはそんな先輩のことを見て、
「俺はあんな風にはならないぞ」
 と、息まいている人もいたが、その人は、気が付けば研究所を辞めていた。
 誰にも言わずに去ったようで、すでに人の顔を見るのも嫌な状態になってしまっていたのだろう。今ではそんな人がいたことすら、誰の脳裏にも残っていないのか、話題にする人は誰もいなかった。
――それも嫌だ――
 いろいろな話を聞いたり見たりしてきたことで、秋田は自分の考えを改める必要性に駆られた。
 だが、今までに培ってきた性格をそう簡単に変えるのは難しかった。
 それでも何とかなってきたのは、助手としてついた相手が健一だったということと、持って生まれた性格が、今までの性格ではなかったということが原因だったのだ。
 秋田が孤立してでも、自分が中心にいなければいけない性格になってしまったのは、父親が亡くなってからかも知れない。
「いくら研究に没頭していても、死んでしまえば同じことだ」
 と思ったのだろう。
 それでも、死ぬまでに自分の何かをこの世に残したいという思いは強く、その思いが秋田の中で、孤立を生む結果になったのかも知れない。
 秋田は遠回りをしたが、健一と出会って、やっと本来の性格を取り戻したと言っても過言ではなかった。
 秋田は、健一に出会って、
「目からうろこが落ちた」
 と思ったことだろう。
 一番ビックリしたのは、秋田の考えていることは、すべて健一に看過されていたことだった。
 しかも、健一はいいことしか言わない。決して自分でもいい性格だと思っておらず。欠点だらけの自分に対していいことしか言わないというのは違和感があった。だが、そのうちに心地よくなって、素直に受け入れるようになった。
――そんなに僕は卑屈になっていたんだろうか?
 と思っていたのだ。
 健一の一言一言が秋田の心に突き刺さり、次第に秋田は健一を慕っていった。
――人を慕うという気持ちがこんなにも気持ちいいなんて――
 と忘れていた何かを思い出したような気がしていたのだ。
 それにしても、自分の父親の死について、今まで疑問に感じたことはなかったのは不思議だった。その理由としては、
――それだけ父親のことを嫌っていたんだ――
 と思っていた。
 確かにそのことに間違いはないが、ただ嫌っているだけではなかったと思う。もし、反抗期が終わるまで父親が生きていれば、嫌ったままでいることはないように思えた。
 そういう意味でも、
――どうして、あのタイミングで死んだんだ――
 と悔やんでも悔やみきれない思いが残っていたのも事実だ。
 その思いはずっと燻っていたのだろう。自分で意識しないまま月日は流れ、健一と出会ってから、まるで今気が付いたかのように思い立ったのである。
――こんな不思議な感覚になったことはなかった――
 この思いも、秋田が自分の本来の性格を取り戻すために必要だったものである。
 健一が秋田をいつもねぎらいながら、本当は何かを探っていたということに秋田が気づくはずもない。秋田は健一にとって最高の助手だった。今までに健一は助手を何人か持ったが、その中でも最高だった。
 健一は、自分の助手の頃を思い出していた。
 健一は、秋田とは逆だった。
 学生時代までは、自分を表に出すことはあまりせず、人の助手のようなことばかりをしていた。
 しかし、そんな中で目だけはいつもギラギラしていた。自分の心を決して表に出すことをせずに、黙って中心人物のすることを他人の目から見ていたのだ。
 それはいずれ自分が中心になった時、まわりからどのように見られるかということを考えてのことだった。そのおかげで、研究所に入って自分が中心になると、その時に培ってきた目が生きることになる。
 そういう意味では健一は秋田と違って、計算高い人だった。
――学生時代はあくまでも、自分が本番で目立つためのリハーサルのようなものだ。リハーサルで目立ったって、しょうがないじゃないか――
 という思いがあったのだ。
 そういう意味でも、秋田とは正反対だった。
 しかし一つ言えることは、二人とも、助手のようなことも、中心になってからのことも、すでに経験済みということである。健一の方が経験も立場も上なので、秋田が健一によって変わることができたというのも頷ける。
 だが、秋田は健一の本当の姿を知らなかった。
――石狩先生は、僕の師匠であり、恩師なんだ――
 と思っている。
 健一も学生時代に、恩師と呼べる人がいた。
 その人は健一の気持ちを理解してくれていて、計算高いところも理解していた。
「君のその性格は利用されないようにしないといけないよ」
 と言われ、
「僕が利用することはあっても、利用されることなんかありませんよ」
 と、自分が表に出ることは決してしない性格だったのに、血気盛んなところはその根底にあった。
「本当にそう言い切れるかな?」
 恩師は、そう言って、健一に含み笑いを浮かべた。
 健一はこの手の含み笑いが一番嫌いだった。カーっと頭に血が昇り、顔を真っ赤にして、冷静ではいられなくなっていた。
「どうしてそんなことが言えるんですか?」
 恩師が含み笑いを浮かべる時、それは自分の発言に絶対の自信を持っている時だった。
 元々恩師は自分の発言のほとんどに自信を持っていて、そこが健一の心を掴み、
――あんな人になりたい――
 と思わせる要因になったのだった。
作品名:次元を架ける天秤 作家名:森本晃次