同じ日を繰り返す人々
それだけ、オサムは一途なのか、それとも狭い範囲でしか見ることができないからなのか、どちらにしても、自分ではあまりいい感覚ではないと思っている。
それでも、ドラマと現実はどこまで行っても交わることのない平行線のようなものなので、他人事のように思えたとしても、それは仕方のないことだ。むしろ、その方が理解しやすいのかも知れない。
最近のオサムは、テレビでドラマを見ても、その内容を覚えていることはほとんどない。完全に忘れてしまっていることもあるくらいで、
――その時は、ちゃんと見ているつもりなのに、どうして覚えていないのだろう?
と感じていた。
記憶力の低下を考えたが、それよりも、子供の頃からドラマを他人事のようにしか見ていなかったことで、見た後にすぐに忘れてしまうというのも仕方のないことだと感じるようになっていた。もちろん、記憶力の問題もあるのだろうが、主人公や登場人物に自分をなぞらえることができなければ、そう簡単に覚えておくことはできないものだと思うようになっていた。
――俺は、同じ日を繰り返しているのではないか?
と思っている人が、自分だけではないことを、オサムは知らなかった。一番身近な人間として、緒方ツトムがいる。ツトムの言葉から、自分が同じ日を繰り返しているなどという大それたことを考えたくせに、ヒントをくれた人間も同じことを考えていると思わないのは、それだけ自分の考えが他の人とは違っていると思うからだ。
ツトムが喫茶「イリュージョン」に来なくなったのは、本当に自分が同じ日を繰り返しているという意識を持ったからだった。その思いはオサムのものよりもかなり強い。実際に同じ日を繰り返しているという自覚があったからだ。
オサムの場合は、疑問には思っていても、それ以上ではなかった。
――そんなバカな――
と思う以前に、自分が渦中にいるという感覚がハッキリとはなかったのだ。
それは、元々少しでも深刻な意識を持つようになると、逃避の意識からか、すぐに他人事に思えたり、夢ではないかと感じたりしてしまうのがオサムだった。そのことを誰よりも分かっているのは自分であり、それだけに、考えることも大それたことだったのだ。
オサムの性格として、一つのことに集中すると、他が見えなくなるというのがあるが、それも自分の保身から生まれるものだと考えれば、他人事に思ってしまうのも、仕方のないことなのかも知れない。
それに比べてツトムは、普段から冷静沈着な考えを持っていた。
いつも一歩下がって後ろから状況を見ているので、全体を見渡すことができる。そんな彼の性格を知っている人も多く、頼りがいのある男性として、女性からの信任も厚かった。それを、
――俺はモテてるんだ――
と勘違いしたこともあったが、冷静に考えると、モテているわけではないことにすぐに気付く。
――因果応報な性格だな――
と、勘違いもすぐに分かってしまうことに夢のなさを感じ、
――冷静であるがゆえに、見たくないものまで見えてしまう――
それを因果応報と言っていいものなのかどうか分からないが、少なくともツトムは、冷静である自分の性格を快くは思っていないようだ。
人には一つ大きな性格があり、表にはその大きな性格が見えているがゆえに、本当はその次に大きな性格が正反対であっても、なかなか他の人に気付かれることがないということも少なくはないだろう。
もし、同じくらいの大きさであれば、
――この人は二重人格だ――
と思われるのであろうが、完全に隠れてしまっては、二重人格と思われることはない。だが、見えないだけに怖いこともある。それが、ツトムのような性格の人間ではないだろうか。それでも、ツトムのように一つのことに突起していると、その反動がもう一つの性格に影響してしまうことに気付かない。
その反動が大きな性格の正反対である必要はない。派生する性格の延長線上にあってもいいわけで、ツトムの場合は、その表現にピッタリではないだろうか。
冷静沈着に考えるのを、意識していなかった時はそれほどでもなかったが、自分で意識してしまうと、どうしても、まわりに対して逃れられない性格に見えてくる。それがプレッシャーやジレンマを引き起こし、最後には爆発させることになる。たまにキレて、それまでの冷静さからは想像できない人間に豹変することがあるが、そんな時、本人にはキレたという意識はなかったりする。
そんなツトムと、まるで波長を合わせたかのように、必ず喫茶「イリュージョン」では一緒になっていたオサムだったが、オサムにはツトムの性格が分かっていたような気がする。
もちろん、最初から分かっていたわけでもないし、そんなに人の性格を簡単に読めるほど、洞察力がすごいわけでもない。
――やはり、同じところがあるんだろうな――
と感じたからであって、ツトムがオサムのことをどう思っていたのか分からないが、もし親近感を持っていてくれたのだとすれば、オサムは喜ぶべきことであろう。そう思うとやはり、急に会わなくなったツトムのことが気になるのも仕方がないことで、最初はそうでもなかったものが急に気になるようになると、ツトムの言葉まで気になってきた。だからこそ、
――同じ日を繰り返している――
などという発想になるのだ。
ツトムのことをオサムは何も知らない。ツトムもオサムのことを何も知らないだろう。
しかし、性格的なものだけは、お互いに分かっていたような気がする。
――俺がツトムさんのことが分かるくらいなので、ツトムさんは俺のことくらい、簡単に分かるんだろうな――
とオサムが思っていれば、
――オサムは分かりやすい性格をしているよな。俺のような洞察力のない人間が分かるんだから――
とツトムの方も分かっていた。
オサムとツトムの関係は、友達というよりも兄弟分のような感じだった。どちらが兄貴になるかというと、ツトムの方だった。性格的にもどちらが大人かと聞かれれば、きっと誰もがツトムの方だというだろう。オサムも面倒臭いことは好きな方ではなく、弟扱いされた方が気が楽なので、お互いに以心伝心だったに違いない。
ただ、最初からそうだったわけではない。最初はどちらかというと、オサムの方が兄貴っぽかった。
ツトムは冷静な性格ゆえに、なかなか人に馴染むことができなかった。それが少なくとも喫茶「イリュージョン」でだけでも馴染めるようになったのは、オサムのおかげだった。
最初はツトムに限らず誰も単独の客だった。単独の客でなければ常連になることもないのだろうが、中には知り合いとやってきて、雰囲気が気に入って、次から一人で来るようになり、そのまま常連になった人もいたが、それは稀な例だった。
だから、ツトムもオサムも最初は単独の客だったのだが、オサムは最初から馴染めたのに、ツトムは一人で佇んでいた。
そんなツトムに最初に声を掛けたのがオサムだった。
「俺も自分に合う話題があったから馴染めただけで、話題が合わなければ馴染めなかった。馴染めなければ次から来ることはなくなるのに、ツトムさんの場合は会話に入れないで一人でいるのに、馴染みになっているなんてすごいと思いますよ」
作品名:同じ日を繰り返す人々 作家名:森本晃次