小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

同じ日を繰り返す人々

INDEX|31ページ/34ページ|

次のページ前のページ
 

 目の前で人が死のうとしていても、実際に死んでしまっても、死ななくても、さほど関係ないと思うのではないだろうか。ショックを受けた瞬間、自分の中にある他人事だという思いが顔を出し、自分の気持ちに蓋をしようとする。防衛本能と言ってしまえばそれまでだが、逆にこの思いを誰もが持っているとすれば、自殺をする時も、まるで他人事のように思って割り切ってしまうことで、いとも簡単に死ぬことができるようになるのかも知れない。そうでなければ、自殺など、そう簡単にできるものではないと思っている。
――自殺をする人としない人とでは精神的に紙一重なのかも知れない――
 オサムは、今までに自殺をしようと思ったことはあったが、実際に具体的に考えたことはなかった。自殺するにもいろいろある。手首を切る。電車に飛び込む。ビルから飛び降りるなど、いろいろあるのだが、方法は考えても、そこから先を考えない。最初は考えるだけで怖いと思っていたが、それよりも、他人事のように思う方が強かったことに、後になって気が付いた。
――他人事のように思うのは、逆に自殺しやすくなるのではないか?
 死への恐怖を拭い去るには、自分を他人に思うというのも一つの手である。
 死を恐れるということは、自分がこの世にやり残したこと、未練があることで死を恐れているというのであれば、自分をまるで他人のように思うことができれば、その部分の恐怖は拭い去ることができる。いわゆる
――開き直り――
 というやつである。
 しかし、実際の死というのは、それだけではない。
 痛い思いをしなければならないのは当然のことで、
――痛い、苦しい――
 というこの世にやり残したことや未練などという抽象的なものではない直接的な苦痛を考えると、開き直りだけで死を選べるものではないだろう。
 しかも、死んでから先を考えてしまう。
「死んだら、どうなるの?」
 子供の頃に、祖母に聞いてみると、
「いいことをした人は天国に行けて、悪いことをした人は地獄に落ちるんだよ」
 という、当たり前の答えが返ってきた。
 さすがに子供でもそれくらいのことは分かっていた。要は地獄というところがどんなに辛いとこなのかを聞きたかったのだが、教えてはくれなかった。考えてみればそれ以上知るのは怖いだけ、知らなくてもいいことをその時に怖い思いをしてまで知る必要はなかったのだ。
――聞いておけばよかったかな?
 今となってはそう思った。
 知らないだけに最悪を想像してしまう。祖母が話してくれるであろう話は、戒めも入っているだろうが、子供相手なので、ショッキングなことはなるべく言わないようにしたに違いない。しかし、恐怖を煽るような言い方しかできないであろう地獄を、祖母が柔らかく言えるかどうか疑問だった。やはり苦しめなかったという意味でも、あの時は聞かなくて正解だったに違いない。
 地獄というのがどういうものなのかを知ったのは、祖母が亡くなってからのことだった。別に興味があったわけではない時期だったので、知らされた時はショックだったが、その時もまるで他人事のように見ていたので、印象にはさほど残らなかった。そのおかげで、今でも地獄を想像することは難しい。
――死んだらどうなる?
 天国に行くか地獄に行くか、想像できるわけもなかった。少なくとも地獄を他人事だと思っている間は、ずっと考えたとしても、堂々巡りを繰り返すに違いない。
 オサムは自分が死ぬということを今までに何度考えたことだろう。そのたびに、
――死んでからどうなる?
 と考えた時点で、他人事に変わってしまい、気が付けば意識しなくなるという状態を、何度も繰り返していた。同じ日を繰り返しているというのに、そんな感覚がないのは、やはり他人事のように思うくせがついてしまっているからに違いない。
 同じ日を繰り返している時、オサムは、
――自分は死んでいるのだろうか?
 と考えていた。
 しかし、身体から魂だけが抜けてしまい、その魂だけが同じ日を繰り返しているのではないかという思いも生まれてきた。なぜかというと、
「死んだらどうなるの?」
 と子供の頃に祖母に聞いた時、
「身体から魂が抜け出して、魂が生きているから、ずっと生き続けることになるのよ」
 と言われたのを思い出した。
 子供心にいろいろと考えてみたが、その時は、
――誰か違う人に生まれ変わるんじゃないのかな?
 と感じた。その思いは今も残っていて、
――死んだ人は誰かの生まれ変わりになるんだ――
 と思うようになった。その思いが、同じ日を繰り返しているというよりも、向こうの世界から誘われていると考えた時に感じた「生まれ変わり」に似ているのだ。
――そこに繋がってくるんだ――
 と思うと、考え方がどこからどこに繋がっているのか分からない気がしていた。オサムは自分が同じ日を繰り返しているということを本当なら意識できなかったかも知れない。それをまわりから言われることで嫌でも意識するようになったのは、必然のように思えてきた。
 ヨシオがツトムのことを話した時、オサムはどうしても他人事のように思えてならなかった。そして、ヨシオが自分の前に現れたのは、ツトムのパターンとオサムのパターンが違っていることに注目したかったのかも知れない。
――それにしても、ヨシオはどうして自分が同じ日を繰り返しているということを知ったのだろう?
 という疑問が頭を擡げた。
 誰かがヨシオに教えたのだろうが、ツトムではないことは確かだ。
 ツトムとはあれから会っていない。同じ日を繰り返しているにも関わらず会っていないということは、二人のパターンが違っているからなのかも知れない。
――横溝が関係しているんだろうか?
 横溝のことを思い浮かべると、ツトムがヨシオにとってどういう関係なのか、おぼろげながら想像できるような気がした。
――ツトムはヨシオにとっての実験台なのかも知れない――
 そう思うと、ヨシオはツトムのことは手に取るように分かっても、オサムや横溝のことは分からないだろう。
 そもそも、ヨシオと横溝が顔見知りだという証拠もなければ、自分が同じ日を繰り返していることに横溝が関わっていることも、オサムの勝手な想像なのだ。
 ツトムやヨシオは、一度同じ日を繰り返す世界に身を投じ、その世界から戻ってきた。その時に、
――日にちが変わった瞬間に、過去のある位置に戻って、そこから前に飛び出したのかも知れない――
 ただ、その方法を最初から分かっている様子だった二人は、すぐにこちらに戻ってくることができなかった。
――なぜなのだろう?
 ヨシオと話をしていたのを全部覚えているつもりだったが、どうやら、覚えているのは一部だけのようだ。今昨日の話を思い返しているうちに、その時に話したことで忘れてしまったことが思い出されてくると、次第にその感覚が繋がってくるように思えてくるのだった。
 しかも、繋がってくると、今朝目が覚めた時に感じたヨシオとの話の内容とは、若干違っていることも分かってきた。
――憚られたのかな?
作品名:同じ日を繰り返す人々 作家名:森本晃次