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同じ日を繰り返す人々

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 と記憶を紐解いているつもりが、逆に絡ませているのを感じた。それだけ記憶に繋がりがない。つまりは、繋がっているはずの一日の始まりと終わりがハッキリとしないのだ。
 たとえ時系列に並んでいないとしても、一日の始まりと終わりがしっかりと記憶されていれば、そこからどれが昨日なのか、さらにそこから遡ることもできる。つまりは推測要素になるものがしっかりしていれば、一つ一つを消去していくことで、最後に残る「昨日」を捜し当てることができるはずなのだ。
 だが、同じ日を繰り返しているのだとすれば、まったく同じ記憶が時系列の中で一番最新に、そして、消去法でいけば、最後に残るはずなのだが、その意識がない。
――同じ日を繰り返している時というのは、昨日の記憶がなくなっている時なんだろうか?
 もし、昨日の記憶が存在しているとすれば、同じ日を繰り返しているという意識とともに記憶までが存在してしまうと、頭の中が混乱し、
――本当に同じ日を繰り返すことができるのだろうか?
 という意識を抱いてしまう。
 繰り返さなければいけないのに、繰り返せないのは、タブーに当たる。それを敢えてさせるのであれば、リスクは最小限度に留めることになるだろう。それが、
――同じ日を繰り返している時というのは、昨日の記憶がなくなっている時なんだろうか?
 という疑問に対しての答えになるのかも知れない。
 同じ日を繰り返しているということをあまりにも過剰に意識しすぎているのかも知れない。それは自分が感じているよりも、まわりから言われることの方が強い意識を植え付ける。それも一人からなら、
――そんなバカなことはない――
 と一蹴できるのだろうが、同じ時期に二人から言われたのだ。
 二人は示し合わせているというのであれば分からなくもないが、そんなことをして、何の得になるというのか、まったく分からないではないか。
 同じ日を繰り返しているというのを初めて意識した人は、どんな気持ちだったのだろう?
 もし、誰からも教えてもらっていないとするならば、簡単に信じられることではないはずである。
 同じ日を繰り返しているのが事実だとしても、まず最初に自分の頭を疑ってみるのではないだろうか。
――そんなバカなことあるはずない――
 と、思うことで、問題は自分にあるとしか思えないだろう。
 オサムは同じ日を繰り返しているという意識があるが、実際に信用できるほどの確証があるわけではない。明らかに他の人とは感覚が違っているようだ。そう思うと、違う不安が頭を過ぎる。
――他の人は、いずれは元の世界に戻れるようだが、僕の場合は、本当に元に戻れるのだろうか?
 違うパターンに敏感になっているオサムだった。
 ただ、本当に他の人と違うパターンなのかどうかも分からない。オサムの勝手な思い込みだからだ。
 確かに今まで何人かから同じ日を繰り返しているという話を聞かされたが、その内容に関しては、ほとんど聞いていない。聞きたださなかったのが悪いのだろうが、それは話しを聞きながら、自分で勝手に想像を膨らませた部分があったからだ。
 しかも、元々同じ日を繰り返すという発想をオサムは持っていた。
 自分は小説家でもなければ科学者でもない。しかし、子供の頃に見たテレビ番組で、似たような話があったような気がする。オムニバス形式の奇妙なお話をドラマ化したものだが、オサムはその中で同じようなストーリーを見て、恐怖を感じたのを覚えていた。
――そういえば、あの話の結末ってどうなったんだっけ?
 何度も思い出そうとしたが思い出せない。
 オサムは今回、他の人から同じ日を繰り返しているという話を聞かされた時、思い出そうとしたが思い出せなかった。しかも、その時に、
――同じ日を繰り返しているという人には、共通点がある――
 とどうして感じなかったのだろう?
 共通点というのは他でもない、
――同じ日を繰り返すという発想を、意識している人が陥る現象だ――
 ということだ。
 これほどハッキリとした共通点はないではないか。誰もが陥ることではないとすれば、陥る人に共通点があるはずだ。
 しかし、そのことを考えなかったということは、オサムの頭の中に、
――同じ日を繰り返すという現象は、誰もが一度は人生の中で経験することではないのあろうか?
 と感じていたからなのかも知れない。
 それにしても、
――では、誰もが必ず元の世界に帰ってこれるということなのか?
 ということでもない限り、同じ日を繰り返している人が増え続けることになる。
――そんなことがあっていいのだろうか?
 そう思ったことで、同じ日を繰り返している人は、限られた人だけだと考える方が自然であり、その人たちには共通点があると考える方が、これまた自然というものではないだろうか。
 オサムはそのことに気付くと、それでも、
――皆必ずいつかはこっちの世界に戻ってこられるんだ――
 と思った。
 根拠は、
――同じ日を繰り返す前に必ず前兆があり、前兆と同時に、向こうの世界の人間がまるで誘うように現れる――
 それは、向こうの世界にいる人間が、一人向こうの世界に引きこむことで、自分がこちらの世界に復帰できると考えたからだ。
 ということは、向こうにいる人間の数は決まっているということになるのだろうか?
 ただ、こちらの世界でも同じようなことが言える。
――世界的に考えると、たとえば一分間に、必ず何人かが生まれ、何人かが死んでいる――
 と思うと、少々の誤差はあっても、短期間であれば、それほど人の数に差はないというものだろう。人口の減少を感じるのは、まとまった期間の間を取るからで、限られた期間であれば、さほど差はないはずだった。
――死んだ人は、どこに行くのだろう?
 そんなことを考えたこともあったが、
――生まれる子はどこから来るのだろう?
 と考えたことはなかった。
 誰かの生まれ変わりだという発想がないわけではないが、それもレアなケースで、なかなか信憑性のある発想ではない。
 そういえば、オサムは子供の頃、同じ日を繰り返しているテレビドラマを見た時、
――同じ日を繰り返すのから逃れるためには、死ななければいけないのではないだろうか――
 と感じたのを思い出した。
 それはテレビ番組のストーリーから感じたことだったような気がするが、なぜか思い出せなかった。
――ひょっとして、あの時、最後まで番組を見なかったのではなかっただろうか?
 記憶がなぜか定かではないが、ここまで曖昧なのは、本当にラストまで番組を見ていなかったからかも知れないという発想も、まんざらでもないと思えてきたのだ。
「死」というものを、子供心に受け入れる気持ちにならなかったことが、その時、記憶を留めておけなかった理由なのかも知れない。自分にとって理解できることでも、理解してしまうと、自分がその後、理解したことによって苦しむことになるというのであれば、受け入れることはできないという思いが、記憶を留めさせることを拒んだに違いないと思うのだ。
 そんな思いは他にもある。
 テレビを見ていて、記憶はしているのだが、その時完全に、他人事のようにしか感じなかったものも少なくはない。
作品名:同じ日を繰り返す人々 作家名:森本晃次