同じ日を繰り返す人々
「そうだよ。僕は人間を研究すればするほど、そのことを痛感させられる。人間というのは一人では生きられない。でも、一人で生きていこうとする意識は何よりも強い。他の動物は本能で、まわりへの感情と、自分が一人で生きていくという境目を感じているだけで、意識はしていないのさ。だからうまく行っている。うまく行っているけど、それは潜在意識なので、人間のように悩んだり苦しんだりしない分、余計なことは考えない。それが幸せなのかどうか分からないが、『知らぬが仏』なんて言葉、本当は人間に使うものではないような気がしてくるよね。でもね、確かに人間は弱くて流動的なんだけど、本能に逆らうことができるのも人間だけなんだ。ただ、逆らったらどうなるかということは本当に『神のみぞ知る』というべきなんだろうね。そこから先は、僕の研究の外だったんだ。というより、それ以上研究することが怖くなったというべきなんだろうね」
「どうしてですか?」
「だって、自分の運命を自分で見てしまうことになるからね。それは先を見るわけではなく、これから起こることを知ってしまうというのは、自分の人生の終わりから、遡っていく感覚になることなんだ。そこまで考えてくると、同じ日を繰り返している方が、気が楽になるような錯覚に陥ってしまう。これは完全に錯覚なんだと思うんだけど、きっと同じ日を繰り返す人というのは、自分の最後を考えたことのある人なんだと思う。本当に見た人がいるのかどうか、分からないけどね。でも、ここまで考えてくると、自分が知ってはいけないことが次に日に待ち構えているんじゃないかって無意識に感じた人は、次の日に進むための扉を目にすることになる。そして、扉を見た瞬間、それを超えるのが怖いと、皆思うんじゃないかな? それこそ『知らぬが仏』さ。無意識に前に進んでいた今までの自分にゾッとするほど恐怖を感じる人もいるんじゃないかな?」
「それが同じ日を繰り返しているということになるんですか?」
「そうだよ。同じ日を繰り返すのと、毎日先に進むのとではどっちがいいのか、その人それぞれということだね」
「でも、先に進むのが怖くて、毎日を繰り返すようになった人は、二度と、先に進むことを望んだりしないんですか? 老いることもない。ただ同じ日を繰り返しているわけでしょう?」
「そうじゃない。同じ日を繰り返していると言っても、それは精神的なものであって、身体や感覚は着実に先に進んでいるんだ。年も取れば、年齢相応の感覚を持つことになる。だから年を取れば感覚も衰えてくるものなんだけど、でも、同じ日を繰り返している人のほとんどは、いつの間にか、先に進んでいたということも珍しくはない。同じ日を繰り返している時に誰かに教えられることはあっても、先に進む毎日に戻る時には、誰も教えてくれる人はいないんだ。元の世界に戻った時、その人は同じ日を繰り返していたという意識は消えてしまう。記憶が抹消されるわけではないけど、その記憶が表に出てくることはない。もし出てくることがあるとすれば……」
「あるとすれば?」
「その人は、自分の死期がハッキリと見えているのかも知れない」
「それは、ヨシオさんの科学者として発見した事実なんですか?」
「僕は科学者として事実だと思っているけど、でも証明することは難しい。だから、僕の考えを他の人に強制しようとは思わない」
「じゃあ、どうして僕に話してくれたんですか?」
「どうしてだろうね。でも、僕はこの話をするのは君だけにではないんだ。もちろん、ここまでの話をツトム君にはしていない。同じ日を繰り返していることを誰か一人が、他の一人に教えてと言っただろう? それは決まったことしか教えることはできないし、個人の考えを正当論のようにして伝えることもできない。だから、ツトム君には、必要最低限のことしか話をしていない。君だって、ツトム君からは必要以上なことを聞いていないはずだからね」
「確かにそうですね。ツトムさんの話がどこまで信憑性があるか分からなかったけど、あなたの話が裏付けになっているのも事実ですね」
「でも、僕は君にこの話をするということは、君は気付いているかも知れないけど、もうすでに前兆ではなく、本当に同じ日を繰り返していることになるんだよ」
「どうしてですか?」
「だって、今君が言っただろう? 同じ日を繰り返している人に対して、一人は一人にしか言えないって、僕はすでにこの世界から抜けているから誰に話しても問題はないんだけど、でも、聞く方の君としてはツトム君からも聞かされて、僕からも聞かされることになるということは、君は意識はないかも知れないが、同じ日を繰り返す世界に入っているんだよ」
「でも、確かに昨日とは違う日を繰り返しているはずなんですけど?」
「まだ完全な自覚があるというわけではないんだろうね。しかも、君は自分に前兆があるという意識があった。前兆という意識からはなかなか抜けられないものなんだよ。しかも君は意識はしていないまでも、この世界のことを自分なりにいろいろ想像している。それはツトム君や僕のように想像力があるわけではないが、実は君の中で、大きな仮想の世界を作り上げているんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ、君には意識がないと思う。しかも、その理由を君に言えば、ひょっとすると、言葉を聞いただけでは訝しい表情になることは目に見えているんだ」
「それは一体どういう?」
「それは人間誰もが持っている『欲』というものが働いているからなんだ」
「欲ですか?」
「ああ」
きっと自分でも訝しい表情になっていることが分かっている。
しかし、オサムは「欲」という言葉をすべて悪いことだとは思っていない。確かに悪いイメージはあるが、
――人間にはなくてはならない必要なもの、いわゆる「必要悪」のようなものなのかも知れない――
と思っていた。
そのことを彼は言っているのだろう。そうだと思うと、オサムは訝しい表情になったとしても、それは反射的なもので本能ではないと思う。相手がどう思っているか分からないが、誤解は解いておきたいと思った。
「欲というものは、自分ではどうすることもできないものだという思いをほとんどの人が持っているんだろうが、決してそんなことはない。逆に自分の中にある欲を利用しようと思えば、簡単に利用できるものなんだよ」
「でも、利用している人なんているんですか?」
「心の持ちようで、利用するものというのは、利用できると思うからこっちが利用していると思っているわけでしょう? じゃあ、どうして利用できないかというと、そのものの本質を分からないから、利用できないと思いこむのさ。本質を知らないということは、怖がっているということ、怖いから、そんなものを利用するなんておこがましいと思いこむのさ」
「じゃあ、欲というものを怖がっているということですか?」
「利用できないと思っているということは怖がっているということだよ。ただ、それは本質を知らないから怖がっているわけではない。欲というものを悪いものだと決めつけているから怖いと思うのさ」
少し考えてみたが、答えは見つからない。分かりそうで分からないことというのは、じれったいものだ。
作品名:同じ日を繰り返す人々 作家名:森本晃次