同じ日を繰り返す人々
本人の口から聞いたわけではない。その時の本人の様子がどんな感じだったのか分からないだけに、どこまで信憑性があるかを疑ってしまう。ひょっとすると、他のことを考えていて、ふと感じたことを口走ってしまっただけなのかも知れない。そんな風に思うと、横溝の頭の中がどうなっているのか、覗いてみたくなった。
ただ、それは横溝に限ったことではない。誰にだって、ボーっと何かを考えている時間はあるはずだ。そんな時にその人が何を考えているかということを覗いてみたい衝動に駆られるのは、今に始まったことではなかった。
――それにしても、本当に抽象的なことを口にする人だな――
横溝のことを考えると、思わず苦笑いをしてしまった。横溝という男性のことは最初、まったく意識していなかったのに、急に意識するようになったのは、アケミからこの話を聞いてからだった。その後に自分のことを、
――特異なタイプ――
という表現をしたのだから、嫌でも意識してしまうというものだ。
横溝さんを見かけなくなってからしばらくすると、オサムは自分が最近、彼女のいないことを必要以上に気にしていることに気が付いた。それまでは、仕事のことで頭がいっぱいで、彼女がほしいという意識を封印しているところがあったのだ。
オサムは性格的に、一つのことに入れ込むと、まわりが見えなくなるところがあった。それは違う見方をすれば、
――一つのことに集中するために、他のことにはわざと目を瞑ってしまうところがある――
とも言えるのだ。
意識的に気持ちを封印しているわけで、彼女がほしいという意識も、自分自身で封印していたのだった。
しかも、オサムは人から言われてそのことに気付くことがある。自分で気付くわけではなく、人から言われて気付くことがどれほど恥かしいことかということに、本人は意識がなかったのだ。
いや、彼女がほしいと思っていることを他の人から指摘されたことに関しては、むしろ、恥かしいというよりも、
――人から指摘された方が、最初から意識していなかったということで、下心を持っていないということをまわりに示せるからいいことなのかも知れない――
とさえ思った。
あまり計算高いところがあるオサムではないが、人から指摘された時だけは、ついつい計算してしまう。やはり、他のことで人から指摘されると、恥かしいと思うからなのかも知れない。
そんなことを思っていると、喫茶「イリュージョン」にいつも一人でやってくる女の子が気になるようになっていた。
オサムが初めてこの店に来てから半年が経とうとしていた。その女性を初めて見たのは、二か月前くらいからだっただろうか。彼女はあまり明るい方ではなく、むしろ気配を消す方だった。ただ、気配を消しているように感じたのはオサムだけで、他の人がどのような意識で彼女を見ていたのか、分からなかった。
彼女は、いつもカウンターの手前に座って、雑誌や文庫本を読んでいた。
食事を摂ることはなく、コーヒーだけを呑みながら、一時間以上、ほとんど微動だにすることもなく、その場所を占拠していた。
――空間をお金で買っている――
という表現がまさしく合っているかのようだった。
オサムも同じようなものだった。
オサムはいつもカウンターの一番奥に鎮座していて、コーヒーだけしか飲まないという方が、むしろ珍しい。いつも夕飯をここで済ませ家に帰る。オサムはこの店に来ると、二時間近くいるのだが、その二時間がいつもあっという間だった。
「アケミちゃん、俺はここの店に来ると、いつも時間があっという間に過ぎるような気がするんだ」
と、いつもアケミに話をしているような気がする。
「そうですか。それはいいことですね」
と、決まった言葉をアケミも繰り返す。この時ばかりは、さすがにオサムも、
――なんかいつもこの店に来ると、同じパターンを繰り返しているような気がするんだよな――
と、何となく違和感を感じながらも、それ以上深く考えることはなかった。
だが、それがこれから自分の身に起こる一つの前兆のようになっているのだということを、まだオサムは知らない。もちろん、他の誰も知る由もない。このことは他の誰にも関係のあることではないが、逆にいうと、すべての人が関係してくるようにならないと成立しないことでもある。
この話はもう少し後になってからのことになるのだが、このタイミングで前兆を感じるということは、何かの縁があったのかも知れない。そんなことを知る由もないオサムは、最近気になり始めた女性が、次第に自分の中で大きくなってくることを感じたのだった。
彼女のことはおろか、この店の人のことをまるで知らない。いつも店に来て、食事をしながら、一人でいる。話し相手といえば、アケミだけだ。そんなオサムだったが、アケミ以外の女性を気にしたということは、相手が女性であれば、自分の中で敏感に何かを感じるようになっているということだった。逆に男性に対しては余計な感情は浮かんでこなかった。
――二十五歳になったばかりの俺は、まだ、思春期なんだろうか?
と考えていた。
本当は高校を卒業するくらいまでだという意識だったが、一般論が本当に自分に通用するのか疑わしかった。
――一般論はえてして余計なことを考えさせない――
などと思っていた時期もあったりした。
話しかけるきっかけというのは、偶然訪れるものだ。彼女が読んでいる本をチラッと見ると、歴史の本だったのだ。
オサムは学生時代から歴史が好きだった。特に戦国時代の話になると、話題が尽きない方だった。類は友を呼ぶというが、学生時代の友達も不思議と歴史好きの人が多かった。
「歴史が好きな人って、感覚で分かるものだよ」
と言っていた友達がいたが、オサムは分からなかった。同じように歴史が好きな連中は、彼の話に同調はしていたが、どこまで同調していたのか、ハッキリとしないところがあった。
――話を合わそうとしている人は、俺には分かるんだな――
と思いながら見ていると、同調に疑いの目を向けてしまうのも無理のない気がした。しかし、そんな連中に気付いてしまうと、
――俺だけは、人に合わそうなんて考えないぞ――
と思うようになっていた。
だが、皆歴史が好きなことに変わりなかった。そして、歴史が好きな連中が集まったことも間違いではない。ただ、そこに何かの力が加わったものなのかということは、誰が分かるというのだろう。
――理論を立てても証明することはできない――
そんな思いから、
――感覚で分かる――
などということは、信じられるものではなかった。
だが、オサムは彼女が歴史の本を読んでいるのを見て、
――類は友を呼ぶとはこのことだ――
と、学生の頃に考えたことを棚に上げて、まるで感覚が引き寄せたような思いに浸っていたのは、自分が学生時代とは違う人間になってしまったかのようだったからだ。
「へぇ、歴史が好きなんですね?」
と、まるで意外に見えるという顔でさりげなく声を掛けた。
作品名:同じ日を繰り返す人々 作家名:森本晃次