同じ日を繰り返す人々
小説の中でオサムは、前半の主人公に感情移入していた。その思いが、最後に二人を別々の世界に追いやり、しかも、現実世界にも同じ二人を存在させ、二度と会うこともない、平行線の上を歩かせるという運命を辿らせた。
それが何を意味していることなのか、その時、自分が何を考えて小説を書いたのか、オサムは感じていた。
小説を書くということは、少なからず、自分を小説の中のどこかに置こうとするのは、小説家の感情だと思っている。
それが意識的であれ無意識であれ、オサムは自分の立ち位置を小説を書くことで再認識しようと思っているのではないかと感じていた。
小説の中で、主人公である自分がどのように立ち回るかという内容は、実はあまり好きではない。確かに主人公を自分になぞらえることはあるが、それは性格の一部が似ているところから、派生した部分を自分と照らし合わせるところであり、その人全体像をそのまま自分に照らしてみようとは思っていない。
他の小説家がどのように考えているのか分からないが、オサムは自分の小説を他の人にはないオリジナリティを前面に出したいと思っている。
そういう意味では、自分という人間が他の人と違って変わったところがあることを、いかに自覚し、その部分だけを小説に生かすことができるかということを考えていた。
そして、そんな自分が、
――恋愛をしたらどうなるか? 相手はどんな女性なのか? 二人の行く末は?
などと考えていると、自然とストーリーが頭に浮かんでくるのを感じていた。
オサムは自分の小説の中に出てきたヒロインに、どのような思いを持っていたというのだろう?
――いずれ、似たような女性と出会うことになり、そして、小説と同じように恋をして、最後には同じ別れが訪れるというのだろうか?
客観的に見てしまう自分の性格は、小説を書いた時には、そこまで強い自覚ではなかった。逆に小説を書いたことで、自分の性格を顧みることができたのか、自覚できるようになったのは、それからすぐだったように思う。
この小説のミソは、実は現実社会の二人だった。お互いの本心はそれぞれの別世界にあるのだが、現実社会の二人は、別に抜け殻というわけではなかった。
ただ、出会ったという記憶もなければ、これから出会うということもない。二人が二度と出会うことがないというのは決定していることだった。
決定している運命に対して、何かを考えたことがある人が、果たしてどれだけいるだろうか?
運命というのは、確かに決定していることであり、それに逆らうことはできないというが一般的な考え方であって、オサムもその考えに逆らう気持ちもなかった。
しかし、この小説を書いた時、まだまだ将来を夢見ている青年だったはずで、書いている時も、こんなに切ないラストにしようなどと思っていなかった。それなのに、書き上げてみると、出来上がったのはこんな切ない小説だった。
――これが僕の本意なのか?
もちろん、公募の新人賞に応募してみたりしたが、思った通り、一次審査にもパスしなかった。何が原因かは分からなかったが、落選したのだから、それなりの理由はあるのだろう。
正直、その時に落胆がなかったと言えばウソになる。もちろん、新人賞受賞などという大それた考えがあったわけではないが、それでも一次審査くらいはパスしてほしいという思いがあったのは事実だった。
そのことがあって、しばらく小説を書く気にもならなかった。それまで頭の中で燻っていたはずの発想も、いつの間にか消えていた。
――どこに行ってしまったというのだ?
それこそ、小説の中に出てきたすれ違いの世界の中に行ってしまったのかも知れない。想像というのは留まるところを知らず、次第に妄想に変わってくることもあったに違いない。
小説を書かなくなると、自信を持って書いたはずの作品の内容も、次第に忘れてしまっていて、気が付けば、ほとんど頭の中から消えていた。
――どうかすると、書いたということすら忘れてしまいそうだ――
あれから小説を書こうと思わないと、自分に小説を書くだけの力量がないと思いこんでしまう。それが、書いたことすら忘れてしまうという健忘症にも似た症状を生みだすことになるのだろう。
そんなことを思い出していると、なぜかミクのことが思い出されてきた。
ミクと会ったのは喫茶「イリュージョン」で、何度かだけだったが、なぜか以前にも出会ったことがあったような錯覚があった。
ミクを見ていると、親近感が湧くというよりも、自分が作り上げたキャラクターのイメージがあり、自分が作り上げたものなのだから、自分に都合のいい性格をしているに違いないという勝手な妄想が生まれていた。
――ミクは自分が書いた小説のヒロインのイメージだ――
と感じた。
ただ、ミクに対して見えるのは、自分に都合のいい部分というよりも、それ以外のプラスアルファな部分が多かった。
――疑り深い性格なのではないだろうか?
という思いが強く頭の中に残っている。
ミクとは歴史の話しかしたことがなかったが、他にどんな話をすればいいのか思い浮かばなかった。ただ、ミクという女性の存在は、オサムにとって、なくてはならない存在であったことには違いない。
最初はあれだけ波長があっていて、毎回会っているような気がしていたのに、ある日急に、
――会えなくなるような気がする――
と思ってから、不思議と会わなくなった。
ミクが来なくなったわけではなく、完全に二人の歯車が狂って、平行線を描くようになったようだ。
ミクと再会したのは、ミクと会わなくなってからの何回目かに喫茶「イリュージョン」に行った時だ。その時、
――会えるような気がする――
という予感めいたものがあった。
ミクも、
「会えるような気がしていました」
と言っていた。
その時の話は、歴史の話ではなく、自分が考えていることをミクが話してくれたので、オサムは黙って聞いているか、相槌を打っているだけにしようと思っていたが、それだけでは済まないようだった。
「お話したいなと思うようになって。やっと会えるようになりましたね」
「お話したいと思ってくれたんだ?」
「ええ、歴史のお話で盛り上がったことで、お互いに気持ちが通じ合うことがあるような気がしていたんですが、会ってしまうと、何を話そうか考えていたことが一度リセットされた気がします」
「それは僕も同じかも知れない。何かを話そうと思っていたはずなんだけど、何を話そうと思ったのかということを忘れてしまったような気がするんだ」
二人は照れ笑いを浮かべながら、相手の顔を見ていた。お互いにウソを言っているわけではないことは分かっているが、相手に気持ちを覗かれているようで、そこが照れ臭かったのだ。
「でも、同じようなことを考えていたような気がするんですよ。そうでなければ、忘れたりしないと思うんです。自分が考えていたことを、相手も考えていると思った時というのは、ドキッとするでしょう? しかも自分の心の奥を覗かれているような気がしてくる。そんな状態になると、思っていたことがフッと、意識から飛んでしまったとしても、仕方のないことではないかと思うんです」
作品名:同じ日を繰り返す人々 作家名:森本晃次