同じ日を繰り返す人々
「ええ、アケミちゃんから以前聞いたことがありました。アケミちゃんは、天真爛漫であまり人を疑うことのない女性だと思います」
そう言いながら、オサムの頭の中に、ミクが思い浮かんだ。
ミクとはほとんど歴史の話しかしていないが、毎日のように会っているのに、話題が尽きることはなかった。それは、オサムがミクとの会話に楽しさを感じ、どんなに長く話していても、それがあっという間だったように感じることで、自分がミクを好きなのだという意識を持つことでも感じられることだった。
今まで自分の好きな話題について来れる人がいないのは、オサムにとって優越感を感じるものであったが、逆に一抹の寂しさを感じさせるものでもあった。
アケミちゃんとミクとの違いは、明るさを前面に押し出しながら、どこかおしとやかな雰囲気を感じさせるアケミちゃんに対し、目立たない雰囲気であるにも関わらず、気が付けばいつもそばにいるという、逆の意味で存在感を示すミクだったが、その存在感がそれぞれに絶対的であるというところに共通点があった。
それは、ツトムと横溝の関係に似ているのかも知れない。どちらかが光でどちらかが影。そういえば、オサムが喫茶「イリュージョン」でツトムと横溝が一緒になったところを見たことがあっただろうか?
オサムもツトムには言わなかったが、学生時代に小説を書いていたことがあった。誰にも言わずに、もちろん、投稿しても、結果は芳しくなかった。
その時の内容はほとんど忘れてしまっていたが、ツトムの話を聞いて、少し思い出してきたような気がした。
しかも、ツトムの書いたという小説と、共通点が多いのではないかと思っている。ツトムの話を聞いて自分も忘れていた内容を思い出してくるのだから、引き出すだけのものがあったに違いない。
オサムが小説を書いたのは、その頃だけだった。
――あの時は、発想が湯水のように出てきて、どんな話でも書けるような気がしていたはずなのに――
ということを感じていたはずだった。
しかし、一作品書いてから今度は、まったく発想が浮かんでこない。
――燃え尽きたような感じなのかな?
その作品を書いている時は、自分でも何かに憑りつかれたかのように無我夢中で書いていた気がする。小説というのは、自分の世界に入らないと書けないものだというのを聞いたことがあったが、まさしくその通りだと思ったものだ。
自分の作品は、同じ日を繰り返しているというよりも、もう一人の自分が存在していて、その人が数分自分の後ろを生きているという話だった。
これは、毎日を繰り返しているシンジの話に酷似したものだが、シンジに対して、なぜか親近感が湧いてこない。自分が以前に書いた小説の主人公をそのまま生き写したような彼に対し、親近感が湧いてこないというのは、それだけ書いている時、主人公に対して、客観的な目で見ていたからなのかも知れない。
その作品が最後になってしまったが、その時一気にだったが、小説はいくつか書いたことがあった。その時も主人公に対して自分を照らし合わせることがあっても、結局は主人公を客観的にしか見ることはなかったのだ。
そういえば、その時に書いた小説の主人公には彼女がいた。
相思相愛だったはずの二人は、次第にぎこちなくなっていくのだが、その原因が、主人公がまわりを客観的にしか見ることができなくなったからだ。主人公としては客観的に見ているだけのつもりのようだが、まわりからは冷たく見られてしまい、彼に対しての誹謗中傷がいくつも出てくる。
それまで彼を支えていたはずの彼女も、そんなまわりを見て、次第に彼と一緒にいることが耐えられなくなっていた。そのうちに、お互いの気持ちが空回りを始め、引き合っていたはずの気持ちがすれ違うようになってくる。
客観的な目を、冷徹な目として見てしまうと、相手に対して疑念が生まれると、修復することができなくなってしまう。
――一体、私は彼の何を見てきたというのだろう?
女性の方が我に返り、自分だけを見つめるようになると、もういけない。相手がどうのというよりも、それまで信じていた自分が、信じられなくなってしまう。
お互いに客観的にしか見ることができなくなると、二人は別次元に入り込んでしまったかのように思うようになった。
二人の別れはすぐに訪れた。
別れというのは、実にアッサリとしたもので、別れてしまうまでに、気持ちが冷めきってしまっている自分を再認識するだけだった。
――人と別れるのが、こんなにアッサリしているなんて――
離婚する夫婦は、結婚した時の数倍もエネルギーがいるという話を聞いたことがあったが、結婚と恋愛とでは違うというのか、それとも、それまでに培ってきた感情の深さが違うからなのか、冷めたものは、最後まで冷めたままだった。
そのまま別れられるなら、簡単なことだったはずである。
しかし、別れてしまって、
――もう二度と会うこともない――
と思うと、急に寂しさがこみ上げてきた。
別れを決めて、別れが形になるまでは、二度と会えないことくらい覚悟はしていたし、会えない方が却ってアッサリしていると思っていたはずなのに、別れが形になった瞬間、主人公は、初めて後悔した。
最初はその理由が分からなかった。しばらくしていると、二度と会えないということが頭を擡げ、そう思うことで、逆に今度は彼女を愛おしいと思った自分を感じたのだ。
――付き合い始めた時は、そう感じていたはずなのに――
今さらながらに思い出しても、後の祭り。すべてが終わってしまって後悔しても、元の鞘に収まることはできないと分かっている。
――どうして、別れようなんて思ったんだろう?
衝動的な感情がお互いにぶつかったわけではない。逆に冷めた気持ちを自覚しただけのことだ。
衝動的な感情なら、熱い思いで、相手を説得することもできるだろう。しかし冷めてしまったものを再度熱を持たせることは難しい。しかもその感情は自分にあるだけではなく、相手にもあるのだ。お互いに持ってしまったのだから、始末に悪い。
小説の内容は、前半が氷のように冷めた感情、そして後半は、後悔することによって生まれて初めて感じた熱い感情をいかに自分で納得できる状態に持っていくかということに掛かっていた。
しかし、オサムの書いた小説は、決してハッピーエンドではなかった。
二人が二度と再会することはなく、それは別れを決めた瞬間から決まっていたかのような書き方だった。
いや、実際には、出会った瞬間から決まっていたのかも知れない。二人は、いや、人間は自分に決められた運命から逃げることはできないのだ。
そして、二人が別れを形にした瞬間、彼女の方が、同じ日を繰り返す世界に入りこんでしまい、彼の方が、毎日を繰り返す世界に入りこんだ。
しかも、他の世界に入りこんだ二人とは別に、現実世界にも、二人は存在している。
それは、同じ現実世界でも、出会うことのない二つのラインを、平行線のように歩んでいるだけだ。
――そんな二人を神のみぞ知る――
とでもいうべきであろうか。
作品名:同じ日を繰り返す人々 作家名:森本晃次