同じ日を繰り返す人々
オサムは被害妄想を持っていたり、人に対しての嫉妬心が強かったりするのは、それだけ自分のことを大切に思っているからだ。どちらの性格も決して褒められるものではなく、どちらかというと恥かしいタイプの性格で、自分ではどうにもならない性格だった。
それなら、何とか正当化させたいと思う。
そのためには、自分のことを大切に思うことをいかに正当化させるかということだが、まわりを見ると、
――自分のことよりもまわりのことを考えている――
と見えていたものが、
――自分よりもまわりのことを考える方が美しい――
というところまで見えてきた。
そのわざとらしさを、オサムは毛嫌いした。
――自分のことを大切にできない人に、まわりを考えるなど、おこがましいのではないだろうか――
と思ったのだが、その考えに対して違和感はなく、自然に受け入れられるような感じがしてくる。
オサムは、自分がツトムと似たところがあることに気付いていたが、それよりも違うところが目立って見えてきたのも感じていた。そんな自分がツトムと同じように、同じ日を繰り返そうとしているのは、きっとツトムとは違ったところで、同じ道に入りこんでしまったのだろう。
オサムは、かなり違っている道だったと思っているが、案外と近いところの道だったのかも知れない。
ツトムは、自分がかつて書いた小説の内容と、今がまったく同じだという感覚でいるようだが、本当だろうか?
本人がそう言うのだから間違いないのだろうが、オサムはどうにも納得がいかない。
まず、前に書いた時がいつだったのか分からないが、書いた時と今とでは、完全に環境が違っているはずだ。
少なくとも、書いた時には、同じ日を繰り返しているはずはなかったからだ。もし、繰り返していて気付かないだけだったとすれば、それはあまりにも都合が良すぎる。
では、逆に書いた時にはまったくの空想で描いたのだとすれば、彼にも予知能力の片鱗があったのではないかと考えるのも、おかしなことではないような気がする。オサムには前兆があって、予知能力が備わっているようなことを言っていたが、同じ日を繰り返す人たちの特殊能力として共通点があるとすれば、この予知能力ではないだろうか。オサムは予知能力すべてが特殊能力のように思っていた。それはツトムの話を聞いたからだったのだが、それがツトムの巧みな誘導によるものであるとすれば、やはりツトムにも予知能力が特殊能力として備わっていることを自覚させるものがあったに違いない。
同じ日を繰り返していると自覚した時、すぐにツトムは自分の小説を思い浮かべたのだろうか。今までにたくさんの作品を書いてきたと言っていたが、そう簡単に思い出せるものなのだろうか?
「ツトムさんは、自分が同じ日を繰り返していると感じた時、すぐに自分の小説を思い出しましたか?」
一瞬、オサムの質問に訝しそうな表情を浮かべたツトムだったが、
「それがなかなか思い出すことはできなかったんだ」
と、答えるのがやっとのように、急に脱力感が感じられた。それまで張りつめていた糸がプツンと切れてしまったかのような感覚に、見ているオサムの方も、緊張の糸が急に切れたようだった。
――まるで音も聞こえてくるようだ――
アキレス腱が切れる時も、プツンという音が聞こえるらしい。そのことはテレビで聞いた話だったが、妙にリアルな感覚だった。
――あれも、一種の予知能力のようなものだったのかな?
と感じたが、予知能力というものを意識し始めてから、ツトムの小説の内容も、予知能力が絡んでいるように思えてならなかった。
「ツトムさんが書いた小説というのは、予知能力に絡むものがあったんですか?」
と聞いてみると、
「いや、同じ日を繰り返しているという話の中で、予知能力という発想はまったくなかったんだ。でも、書いているうちに予知能力の発想がまったく違った形で頭に浮かんできて、自作で、予知能力について書いたんだ。その話は書いているうちに前の作品の続編のように思えてきたが、それを感じていたのは俺だけだったようなので、結局、まったく違った話として新作が生まれることになったんだ」
ツトムの話を聞いていると、予知能力の話も読んでみたくなってきた。
「予知能力はどんな形で生まれたんですか?」
「元々は、同じ日を繰り返していることを俺に教えてくれた人がいて、その人のことを思い浮かべるうちに、予知能力の話が生まれてきたんだ。その人は俺の知らないことを、まるで当然のことのように話をするので、俺としては、尊敬の眼差しだったよな。今までに見たこともない人が目の前にいるという感覚は、どこか自然ではないように思えてきた。予知能力のせいで、初めて会う人でも、今までに会ったことがあったような感覚に陥っていた。それが、同じ日を繰り返していることに繋がっているのだと、その人は言っていたんだ」
オサムもツトムから同じように、
「同じ一日を繰り返している」
と聞かされたのに、ツトムが教えてくれたその人に感じた思いと、まったく違っているように思えた。
ツトムは続けた。
「その人は、名前を真中ヨシオと言ったんだが、彼は彼なりに自分の考えを持っていたんだ。それは俺なんかとは違った発想だったんだ。奇抜な発想なんだけど、いろいろなパターンを想定し、その中から自分が納得できるものを捜し当てたと言っていたけど、本当にそうなのかも知れないと思ったんだ。ただ、後から思うと、本当にそんな人間は存在したんだろうか? って思ったくらいに存在感は薄かったんだ。時間が経つにつれて忘れていくんだけど、一日を繰り返すと、また記憶がリセットされて、彼のことを鮮明に思い出すようになった。何度も繰り返していると、今度は、意識がどんどん固まってくる。おかげで、彼の信じられないような話も信じられるようになった。そりゃあ、何度も同じことを言われていれば、嫌でもくせになってしまうよな」
ツトムの話にはどこか捨て鉢なところがあった。
ツトムが小説家であるということは、この日初めて聞いたはずなのだが、なぜか初めてではないような気がする。
――誰か他の人から聞いたのかな?
とも思ったが、考えてみれば、喫茶「イリュージョン」では、ツトムの話はおろか、他の人の話題というのはタブーになっているのか、誰の話題も聞いたことがなかった気がする。人の話を聞いたとすれば、それは必ず本人からで、人の話題に触れないのは、喫茶「イリュージョン」ではルールになっているのか、それとも客それぞれの暗黙の了解なのか分からなかった。
しかし、それぞれでニュアンスは違うようで似ている。
喫茶「イリュージョン」がそういうお店なら、お店の雰囲気が客を呼び寄せたのだろうが、逆に客同士の暗黙の了解だとしても、そういう客が自然と集まるのが、喫茶「イリュージョン」ということになる。偶然に違いというニュアンスでいけば、後者の方になるのではないかとオサムは考えた。
オサムは、この店に偶然ということをあまり考えたくない。そう思うと、やはり、店が客を呼び寄せたと考える方が自然な気がする。
作品名:同じ日を繰り返す人々 作家名:森本晃次